スペードの女王 2

三枚のトランプの話を聞いてからというもの、秘伝のことが頭を去らず、我を忘れてゲルマンはペテルブルグの街を彷徨い歩いた。そして、知らず知らずのうちに辿り着いたのが老伯爵夫人の邸宅であった。

伯爵夫人の屋敷を探し当てたものの、どうしたものかと考えあぐねて、ゲルマンは屋敷の外に何時間も立ちすくんでいた。そのとき遠く窓越しにではあったが、屋敷に住むリザヴェータと目があったことから、ゲルマンの考えは決まり、物語が前へと歩み始める。ゲルマンは、リザヴェータを介することで伯爵夫人へ近づくことを企てるのである。
その当時の老伯爵夫人やリザヴェータについて、プーシキンが簡潔ではあるが非常に表現力豊かな文章で描いた一例を紹介する。プーシキンの見事な文章が物語にリアリティや魅力を与える重要な役割を果たしている。

短い文章の中で、伯爵夫人の過去や性格や毎日の生活の様子が上手に描かれている。

伯爵夫人***はもとより邪な 人ではないが、世に甘やかされた女の例しに漏れず、気儘な人であった。また、花の時楽しみつくし、今の世に縁遠くなった老婆の例しに漏れず、吝嗇で、冷た い我執に満ちていた。彼女は今もなお、社交界のあだな催しには何時も欠かさず姿を見せた。華やかな舞踏会にも出入りして、厚化粧を凝らし時代遅れな衣装を まとうた彼女は、広間にはなくてはならぬ怪奇な置物として、片隅にうずくまっていた。

リザヴェータの境遇や伯爵夫人との関係もこんな風に表現されている。

リザヴェータは本当に不幸な娘であった。『他人の麺麭(パン)のいかばかり苦く』とダンテは言う、『他人の階子(はしご)の昇降のいかばかりつらき。』もし束縛の絆が、高貴の老婦人の許に養い取られた哀れな娘の身にこたえぬとしたら、ほかの誰がその苦さを知ろうか。

リザヴェータ・イヴァーノヴナはこの館の殉教者である。お茶を注いでは、砂糖の使い方が荒いと叱られた。小説を読み上げては、作者の罪科を一人で着た。散歩のお供をしては、天気や道がわるいと責められた。定めの給金をきちんと払って貰えた例しはないのに、いつも皆の衆と、と言うのはつまりきわめて少数の婦人と同じに、身仕舞いをととのえていなければ夫人のご機嫌は悪かった。

「スペードの女王・ベールキン物語」 岩波文庫 プーシキン著 神西清訳




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