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1月, 2007の投稿を表示しています

魔の山 18 マダム・ショーシャ

サナトリウム「ベルクホーフ」には、クラウディア・ショーシャというロシア系婦人が療養のために滞在していた。サナトリウムに滞在する人々が異性に対して必ず恋い焦がれる様に、ハンス・カストルプ自身もショーシャへと惹きつけられていった。 ショーシャは、食堂に入る時にガラス戸をガランガチャンと音を立てて不作法に閉めるのであったが、この音がハンス・カストルプにとっては非常に気に障った。このことがきっかけとなってハンス・カストルプはショーシャへと関心を寄せていった。ショーシャと廊下ですれ違うように待ち伏せしたり、時間を見計らって同じ時刻に食堂の入り口で出会うように工夫したり、食堂で遠くの席から彼女を見つめてみたりしていた。その行動は周囲の者たちにもわかることで、セテムブリーニは説教までして止めさせようとした。 13歳のころのハンス・カストルプが日頃から話しかけたいと思っていた少年が一人いた。プリビスラウ・ヒッペという異教徒ふうの名前で、模範生、ゲルマン系とスラブ系の混血、「キルギース人ふうの眼」という特徴を持った子であった。ショーシャは、ヒッペと同じ目をしていた。 セテムブリーニに代表される西欧の人文主義者ーー神から独立した人間性や理性を尊重する立場の人たちーーと対照的に東欧やアジアの非文明的なものを代表しているのがショーシャであった。ハンス・カストルプは、非文明的なロシア婦人が持つ、人文主義で覆い尽くせない部分の人間性に惹かれているのではないだろうか。 ショーシャは、訛りのある発音をしていて、人間性という言葉を「ねーんげん性」と口に出した。「ねーんげん性」は、理性や合理的なものでも、ましてや攻撃的で非人道的なものでもなく、彼女が本能的に感じる人間性を表現するまことにしっくりとした言葉である。 カーニヴァルの夜にハンス・カストルプはショーシャと初めて真剣な会話を交わすことができた。彼等はサナトリウムで通常使われるドイツ語ではなくて、ショーシャが得意なフランス語を使って会話した。カーニヴァルの夜、ハンス・カストルプはショーシャに対して「君」という言葉を使ったが、これは西欧の上流の人たちが神や親しい人に対してのみ使う言葉であって、ショーシャとはほとんど会話らしい会話もしていない間柄のハンス・カストルプにしてみれば礼儀正しい西欧人であれば慎むべき態度であった。それを敢

魔の山 17 叔父ジェームズ

ヨーアヒムがサナトリウムを出ていってしまった後、しばらくして叔父のジェームズ・ティーナッペル領事がサナトリウムを訪ねてきた。ジェームズは40ちかい年齢の紳士で、「きわめて精力的で思慮深く、きわめてゆうがである一面、また冷静で実際的な実業家であった」。 自分の考えを主張しないこのいんぎんな的な如才なさは、彼が育った文化に自信がないからではなくて、むしろ、その文化の強固な価値を意識していたからであったし、また、自分の貴族的な狭量さを修正して、自分にとって奇怪に感じられる習俗に接してもそれを奇異に感じる気持を見せまいという考えからでもあった。「それはもう、なるほど、ごもっとも!」と、紳士ではあるが融通がきかない人間と考えられないために、あわてていうのであった。(下巻p158) 今回の訪問は、「出たっきりで戻ってこない若い甥の様子をはっきりと見定め」、「甥を『救い出して』、家の人々の手に戻すため」親族全員を代表としてのものだった。まずは、ハンス・カストルプの様子を窺うように軽口を言ってみたが、彼が平気な顔をしてすましているのをみて、少し動揺する。 甥がその軽口のどれにも落ちつきはらって、受けつけないように微笑を浮かべるのを見て、その微笑にこの上の世界の手ごわい自信がそっくりあらわれているのを感じ、不安をおぼえ、自分の実務家としてのエネルギーがそれに圧倒されるのをおそれ、平地から持ってきた自意識とエネルギーを動員できるうちにすこしも早く、その日の午後のうちにでも、甥のことで顧問官と重要な話しあいをしようと急に決心したのであった。(下巻p160) 数日間が過ぎ、顧問官との会談が持たれた。ハンス・カストルプを連れ帰るための直談判をするためであった。しかし、会談の様子を著者は具体的には書いていない、ただ、次のように推測の形で触れているだけである。 ベーレンスとの会談も、領事が考えたのとはちがう結果におわったのだろうか?話あうにつれて話はハンス・カストルプのことだけではなく、ジェームズ・ティーナッペル自身のことにかわり、会談は私的会談の性質をなくしてしまったのだろうか?領事の様子はそういうように想像させた。領事はひどくはしゃぎ、しゃべりつづけ、理由もなく笑い、甥の脇腹を拳固でこづいてさけぶのであった、「よう、大将!」そして、その合間には例のあちらをうかがい、あわて

魔の山 16 従兄ヨーアヒム

ヨーアヒムは、士官候補生であったが、病気のためにサナトリウムで療養を黙々と続けていた。軍人らしい几帳面さと真面目な性格で、誰からも好かれる好青年であって、健康を取り戻して軍隊に入るために、実直に療養生活を送っていた。他の病人たちが医師たちの目を盗んでは課せられた療法をさぼって遊びに出たりしても、ヨーアヒムは自らを律して規律を守り黙々と療法を続けていた。 物語の中で、文化人としてのハンス・カストルプとの対比で軍人ヨーアヒムが置かれている。 ヨーアヒムは、自身の病状が好転せず、医師から帰国の許可が出ないのに業を煮やし、とうとう自ら決心してサナトリウムを出発する。ハンス・カストルプは一緒に出ることもできたのだが、自らサナトリウムに留まることを選択する。 サナトリウムを抜け出したヨーアヒムは士官候補生として軍隊に入り、鍛錬期間の後、少尉へと昇進する。そのころまでの消息は、ヨーアヒムからの手紙によってハンス・カストルプへと知らされた。ところが、数ヶ月後、ヨーアヒムは容態が悪化し、再びサナトリウムに戻ってきてしまうのである。多くを口にしないヨーアヒムの気持は、態度や表情として描かれているが、士官としての役割を果たせず療養生活に戻ってしまった悔しさが強く出ている。 「魔の山」 岩波文庫 トーマス・マン著 関泰佑、望月市恵訳

魔の山 15 イエズス会士

散歩の議論の数日後、従兄弟たちはナフタの下宿を訪問した。 貧弱な下宿は、仕立て職人ルカセクの店であったが、その中のナフタの部屋は、絹で覆われた豪奢なものであった。部屋の調度品をいくつか数え上げると、金具の付いた円卓、バロック式の肘掛け椅子、バロック式のソファ、マホガニーで作った書棚、カーテンも家具を覆うカバーも絹であしらえてあった。 ナフタは従兄弟たちを迎えて精神が高揚したのか、ナフタの議論は加熱していく。彼の主張は、散歩の時よりもさらに激しさを増していく。ルネサンスや自由を否定し、民族国家や資本主義経済を否定した上で、神の目的のためのテロにまで言及するのである。 ナフタの部屋を辞した後、セテムブリーニの口から、ナフタは清貧で知られるイエズス会士であることを教えられる。 しかし、ナフタには、眉をひそめさせる何かいかがわしいものを感じさせる。清貧さを心情とするイエズス会士でありながら豪奢な暮らしをするコントラスト、その狂信的な信仰。 「魔の山」 岩波文庫 トーマス・マン著 関泰佑、望月市恵訳

魔の山 14 セテムブリーニとナフタ

ハンス・カストルプがサナトリウムに来て1年が経っていた。ハンス・カストルプとヨーアヒムが散歩をしていた時、二人の前にセテムブリーニともう一人の男が歩いているところに出会った。男はナフタといい、セテムブリーニと同じ下宿(セテムブリーニはサナトリウムを出て、近くに下宿していた)に住む者であった。 痩せた小さな男で、ひげはなく、刺すような、腐食的といいたいような醜さで、従兄弟がびっくりしたほどであった。どこもかもが刺すような感じで、顔の感じを決定している鉤鼻も、うすく結びしめている唇も、うすい灰色の目にかけられている縁のほそい眼鏡の厚い玉も、すべてがつめたい感じであり、彼がつづけている沈黙までが刺すような感じであって、一度口をひらけば辛辣で理路整然としているだろうと感じられた。(下巻p55) ナフタは、宗教的なもの側に立つ者で、セテムブリーニが従兄弟たちに「スコラ派の首領」と紹介した通りである。セテムブリーニは、近代的、自由と理性の側に立っており、ナフタの意見とは相容れなかった。従兄弟たちが二人と出会った時に、二人は議論をしており、従兄弟たちを加えて4人の散歩になった後も議論は続けられた。 (セテムブリーニ)「自然は、それ自身が精神です。」 (ナフタ)「あなたは一元論の一点ばりで退屈なさらないとみえますね?」 (セテムブリーニ)「ああ、それではあなたは、自分からみとめるんですね、あなたが世界を相反する二つの部分、神と自然とに二分なさるのは、知的遊戯にすぎないことを!」 (ナフタ)「私が熱情jと呼び精神と呼ぶ場合に心に考えているものを、知的遊戯とおっしゃるのは興味ぶかいことです」 (セテムブリーニ)「そういう低俗な欲求にそういうものものしい言葉を使われるあなたが、私のことをいつも弁舌家とおっしゃるとは!」(下巻p56) さらに議論は激しくなっていき、ものものしい内容をナフタは口にした。 (ナフタ)「その生活の最下位の段階は『製粉所』、その上位が『畑』、第三のもっとも尊敬すべき段階はーーセテムブリーニさん、耳をふさいでいらっしゃいますよーー『ベッドの上』です。製粉所、これは世俗生活の象徴です、ーーまずい譬えではありませんね。畑は説教師と聖職にある教師がたがやすべき世俗人の魂を意味しています。この段階は第一の段階よりも尊敬すべき段階です。しかし、ベ

魔の山 13 生命とは

著者は時々自分の意見を物語の中に挟んでいる。例えば以下にあるような生命についての文章もそうである。 生命とはなんだろうか? だれもそれを知らなかった。生命が湧きでる、生命が燃えあがる自然的基点は、だれにもわからない。この基点からのちは、生命の世界には偶発的な、もしくは偶発的にちかい現象は一つとして存在しないが、生命そのものはやはり偶発的とみるほかはない。生命についてせいぜいいえることは、生命がきわめて高度の発達をとげた構成を持っていて、無生物界にはそれと少しでも比肩できるものは一つも存在しないということだけである。(p472) さてそれなら、生命とはいったいなんだろう? それは熱であった。形態を維持しながら一瞬も同一の状態にいないものがつくりだす熱、同一の状態を維持することが不可能なほどに複雑で精巧な構成を持つ蛋白分子が、たえず分解、新生する過程に附随する物質熱である。したがって、もともと存在しえないものの存在であって、分解と新生とが交錯するねつ過程においてのみ、甘美に、せつなく、辛うじて生命線の上にバランスを保っていることができるものの存在である。生命は物質でもなければ精神でもなかった。両者の中間物であって、飛瀑にかかる虹のように、または焔のように、物質を素材とする一現象である。(p473) 「魔の山」 岩波文庫 トーマス・マン著 関泰佑、望月市恵訳

魔の山 12 サナトリウムで療養する人々

ハンス・カストルプのサナトリウム滞在が次第に長くなっていった。 この上で過ごした日数は、ふりかえって考えてみると、不自然に短くも感じられたし、長くも感じられたが、実際の日数にだけは、どうしても感じることができなかった。(p380) サナトリウムに療養する若者が本心からでなく同情を受けたい理由から愚痴をこぼすのを見て、セテムブリーニが辛辣に言った。 「かれらのいうことを本当になさってはいけませんよ、エンジニア、かれらがなにか愚痴をこぼしても、本当になさらんことです! みんなここでひどくいい気持でいるくせに、例外なくこぼすんです。だらけきった生活をしている上に、まだまわりの同情をもとめたり、皮肉や毒舌や悪口をいう権利があるように考えているんです!」(p380) ハンス・カストルプは、時間を良心的に取りあつかう人々が、時間の経過に注意を怠らず、時間をこまかい単位に分け、数え、命名して整理をしている手数を、頭のなかで励行するのを怠っていた。(p392) ハンス・カストルプが人生勤務の意義と目的とについて時代のふかみから彼の単純な魂を満足させるような答をあてられていたら、この上の人たちのもとでの滞在に初めに予定していた日数を、現在の線までものばしはしなかったろう、と私たちは考えるのである。(p398) 「魔の山」 岩波文庫 トーマス・マン著 関泰佑、望月市恵訳