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Norton Juster "The Phantom Tollbooth"(ノートン・ジャスター ファントム・トールブース) 言葉と知恵の秘密

全てのことに興味を持てず、何をするのも億劫で、退屈な日々を過ごしていた普通の少年Miloは、彼の部屋に現れた料金所(Tollbooth)から不思議な世界へと続く道を旅していく。Miloが旅へと出かけたのは、他にすることがなかったからであった。 Miloの前に現れるのは、言葉と知恵が人や生き物の形をとって生き生きと活動する世界であった。Miloは時計が体にくっついている Watchdog(番犬、時計の犬) のTockとともに旅をする。 言葉が溢れる町 Dictionopolis(辞書の町) に着いたMilo達は、警官 Shrift(懺悔という意味) によって地下牢に送られる。地下牢には 魔女(Witch) がいると教えられていたが、そこにいた老女は自らのことをOfficial Whichと名乗る。Official Whichとは、言葉の国で、どの言葉を使うべきでどの言葉を使うべきでないかを決める役職であった。彼女の本当の名前は Macabre(死、気味が悪いという意味) といった。Macabreは彼女が地下牢に幽閉されている理由と言葉の国の治世がうまくいっていない原因を教えてくれた。 その世界にはDictionopolisと Digitopolis(数字の町) があり、それぞれを統べる王 Azaz(AからZまで) と王 Mathemagician(数学魔術師) がいる。実はこの二人の王は兄弟で、王には Rhyme(韻という意味 )王女と Reason(理性という意味) 王女という姉妹がいて、彼女達が王国に起きた全ての問題を解決してくれていた。しかし、AzazとMathemagicianは、次第に互いに競い合い反目しあうようになり、仲裁に入るRhymeとReasonが公平でどちらの王にも偏らないことに腹を立て、RhymeとReasonを Castle in the Air(空の城) という牢に幽閉してしまう。二人の王女がいなくなってから、国の治世はおかしくなってしまったのだった。 二人の王女を救い出せば、国は元のように素晴らしいところに戻り、Macabreも地下牢から出られると聞いて、MiloはTockと Humbug(ペテン師という意味) の3人で王女達を助け出すために出かけていく。 Castle in the Airへの旅は新しい冒険や発見で一杯

ソルジェニーツィン 「イワン・デニーソヴィチの一日」 自由はいずこに

シベリアにある強制収容所(ラーゲリ)に入れられた主人公シューホフ。極寒のシベリアというのにまともな暖房設備もなく、貧弱な栄養状態で、 過酷な労働を 強いられるが、その逆境を生き抜いている。ある一日の起床から就寝までが描かれているだけだが、その描写にはラーゲリの日常が凝縮されている。また、ラーゲリの外にあるソヴィエト社会も囚人の会話や回想によって垣間見られる。 淡々と描かれていても、 やはり苛酷であることに変わりないラーゲリでの生活。主人公が真剣に 生きる姿、力強さ、逞しさには圧倒されるし、感動さえも覚える。 シューホフは何も語らないが、自らを押しつぶそうとする権力に対して反抗する精神が息づいているように感じられる。シューホフ は、自分の庇護者に対しては誠実さをもって尽くすが、 権力を持つ者には正面切って抵抗することはしないものの、必要以上の奉仕もしない。それは 、権力に敗北しているわけではなく、隙があれば、 そして益するところがあれば、 権力に対しても歯向かうのである。 それ以外の者は邪魔者でしかない。 モスクワから来たチェーザリや元海軍中佐といった知識人がラーゲリの囚人として登場するが、この過酷な環境で現実を直視できず、 思索へと逃げてしまっているように見える。 しかし、シューホフは彼ら知識人を見捨ててはいない。 暖かい心情を含んだ眼差しで見ている。 シューホフの現実的な姿、 ラーゲリを生き抜くためには何をすべきか、 それだけを徹底させた生き方である。 読者に苛酷な状況であることを忘れさせてしまうのは、主人公や周囲の人々を淡々と描く 著者の卓越した文章力によるのだと思う。また、この逆境を生き抜いた著者の揺るぎない精神力の現われとも思う。悲惨な状況を悲惨には描かず、淡々と描写することで、読者が表面的な悲惨さに目を奪われないようにし、問題の本質を見失わないようにしたのかもしれない。 何故農民が主人公でなくてはならなかったのか、言いかえれば 主人公が知識人ではこの物語は成立しえないのだろうか。その頃のソヴィエトにはもう知識人はいなかった。スターリンの時代に中間層や富農や知識人は粛清されてしまい、農民しか残っていなかったのである。また、わずかに残った知識人に語らせると、かえってことの本質を見失わせるのかもしれない。農民に素朴に現実を語らせる

L. Scott Fitzgerald "The Great Gatsby"(フィッツジェラルド グレート・ギャツビー)

ギャツビー(Jay Gatsby)は何を追い求めて生きたのだろうか。 ギャツビーは、ニューヨークに近いロングアイランドにある壮大な邸宅へ毎夜多数の客を招き盛大なパーティを催してはいるが、パーティの喧騒から離れて佇む彼自身はそのパーティを楽しんでいるわけではなかった。ギャツビーは青春時代に愛したデイジー(Daisy)という女性、今はトム(Tom Buchanan)と結婚し湾の対岸に住んでいるのだが、彼女に再会することを待っていた。     'Her voice is full of money,' he said suddenly. (p.115) デイジーの声は金で一杯だ、という有名な言葉、彼女は裕福な家庭で不自由なく育った。デイジーは、ギャツビーにとって、人生の目的を象徴するような存在だと思う。彼女は、裕福な家庭に育ち、美人で華やかであり、そして中西部に生まれた若きギャツビーよりも東(ルイビル)に住んでいた。アメリカでの東は、エスタブリッシュメントを意味している。ギャツビーにとっての人生の目的は、グレートになること、彼にとってそれは物質的あるいは金銭的な成功であり社会でのステータスの獲得であったと思う。 そして、彼の人生は挫折で終わる。グレートとは人生にとってどういう意味があったのか。デイジーと再会したとき、実は、物質的、金銭的な成功や社会のステータスなど虚しいものであることに彼は気付いていたのではないかと思う。そしてニックも、また薄々感じていたのではないか。 I see now that this has been a story of the West, after all -- Tom and Gatsby, Daisy and Jordan and I, were all Westerners, and perhaps we possessed some deficiency in common which made us subtly unadaptable to Eastern life. (p.167) この物語はニック(Nick Caraway)という中立的な視点を持つ人物によって語られている。ニックが、見て、聞いて、体験した出来事の中からニックによって語るべきであると選ばれたものが、ギャツビーに関する想

マイケル・ゲルヴェン ハイデッガー『存在と時間』註解 4 ニーチェの超越

19世紀後半、キルケゴールやニーチェに代表される哲学者達は人間存在への問いつまり実存への問いへと向かった。その流れは20世紀になっても衰えることはなく、ハイデッガーや多くの哲学者たちが実存の意味を探るようになっていった。 何故実存の意味が問われるのか。伝統的価値の崩壊、社会の劇的な変化、伝統的哲学の不毛など、様々な理由が出されているが、こうした社会学的、心理学的理由ではなく、哲学の流れには哲学的考察が必要であろうと著者は述べている。死や意識や罪や自由と言った実存の問題を、過去の偉大な哲学者たち、アリストテレス、トマス・アクイナス、デカルト等が顧みなかったわけではないが、実存の問題がこれらの哲学者たちの哲学の究極的根源を成している訳ではない。ニーチェやハイデッガーは、死や意識や罪や自由と言った人間の極めて弱い側面をとらえることで、彼等の偉大な哲学の全重量を支えようとしたのだという。それは、実存を問うことでしか哲学を支える方法がないからである。 実存が哲学の根源であるという意識は、とてつもない天才的な哲学者イマヌエル・カントにその原型を見出すことができる。彼の著書『純粋理性批判』において、カントは科学と数学が如何にして可能であるかを分析している。カントによれば、人間が科学と数学を成すことができるのは、感覚を通じて直接に理解する能力と、悟性の厳密な規則を用いることができる能力とによるのである。カントはこの偉大な発見にも満足することなく、更に真理を追究して新しい立場に立つ。カントが科学と数学に関する人間精神の働きを発見できたのはどういう位置からだったのだろうか。それは、彼が「ア・プリオリ」と呼ぶ方法によってであった。 「ア・プリオリ」という視点が科学に使えたとすると、それは哲学にも使えないものであろうか。しかし、カントはそこで難問にぶつかる。カントによれば、科学が可能になるのは、科学的な悟性の限界を指摘することによるのであった。限界を知るには、限界を超え出て行かなければならない。科学という安全確実な世界を飛び越えた先で、何が悟性の正しさを保証してくれるのだろうか。 カントの難問に答えようとするならば、哲学者を批判できるのは物自体という視点からであるといえようか。カントによれば、人は物自体をあるがままに知ることはできないが、しかし自分の為さねばならぬことと

マイケル・ゲルヴェン ハイデッガー『存在と時間』註解 3 ドストエフスキーの大審問官

本著作は、哲学書の註解でありながら、優れた随筆あるいは評論とでも名づけられそうな箇所が随所に見られる。その中の一つ、ハイデッガー哲学の本来性・非本来性を扱うのに、ドストエフスキー『カラマーゾフの兄弟』を引用しながら、わかりやすく説いている箇所がある。ハイデッガーを研究する学者らしいドストエフスキーの読み解き方を教えてくれる。 ドストエフスキーの『カラマーゾフの兄弟』には、「大審問官」という有名な章がある。この章は、登場人物の作った話という位置づけで、物語の中の物語という形で綴られているが、キリスト教会内の高僧ですら平安へ盲従しているということを描いて人間の弱さを暴いている。 そこでは自由と安全確実性との間の偉大な闘争のさまが力強く描かれている。ドストエフスキーは、この問題にキリスト教における問題という形をとらせているのではあるが、この素晴らしい章に示された人間存在への洞察は、単なる一つの宗教的見解をはるかに越えたものである。   「大審問官」の主題は次のようなものである。もしもキリストが今日の西欧キリスト教社会に戻ってきたとしたなら、彼は教会自らによって拒否されるであろう。なぜならば公の教会というものは、ほとんど機械的とも言える宗教制度によって安全確実性を与えてくれるものであって、そこでは救いを得るためには何をなし何を望んだら良いのかがきちんと解っているいるのに、ところがキリスト自身は少しもそんな安全確実性は与えてくれず、ただ自由を与えるからである。   教会の枢機卿である大審問官は、再び甦ったキリストを、人々に対する愛情を自分ほどは示していないといって非難する。枢機卿が言うには、自分は人々に欲しがるものを与え、従って彼等をしあわせにしてやる。それなのにキリストは、人々が欲しがっている安全確実性による平安を奪い、その代わりに自由という恐るべき重荷を背負わせるのである。(p.329) 「大審問官」自体が素晴らしいのは勿論であるが、ここで著者が「大審問官」を取り上げているのは、ハイデッガーが『存在と時間』第二篇第二章で語っていることと関係があるためである。それは、ドストエフスキーとハイデッガーの両者が注目する、自由の大切さと、それに伴う自由の性格にある。 第一には、自由は自由である者の肩に恐るべき重荷をのせるものであり、何をしてでもよいからそ

マイケル・ゲルヴェン ハイデッガー『存在と時間』註解 2 理性という基盤

存在への問いは至上の問いである。存在への問いを、ハイデッガーは「ひと」を探究していくことで成し遂げていく。ここで言う「ひと」とは普通の意味での「ひと」ではなく、自分自身が存在しているということに気づいている「ひと」の一面を指している。ハイデッガーは、人が何であるかを求めているのではなく、人にとって「ある」(存在する)とはどういう意味かを問うている。人はいかに生きるべきかという問いではなく、存在することの意味を問うているのである。 存在の意味が意義をもつのは、自己自身の存在について問う者にとってだけなのである。(p.61) 自己自身の存在について問うとはいかなることであろうか。ハイデッガーは、「ひと」が死に面したとき、良心の声を聴くときの、「ひと」の理性の動きについて探究する。この理性の働きを見ることで、「存在するとはどういうことなのかという構造」を明らかにしようとしている。 理性の働きは論理的、科学的分析の認識には限られない、ということを最初に指摘したのはカントであった。『純粋理性批判』の第一節を読めばいやでも気付かざるを得ないことであるが、理性は、超越論的なはたらきによっておのれ自身を反省することができ、この反省を通じてまさにおのれの自由の基礎をきずくばかりか、おのれ自身に対して持つべき畏敬の念をも生み出すので、これは倫理的判断の原理をもなすことになるのだ、とカントは言っている。(p.098) ここで、著者が指摘しているのは、理性という「ひと」に共通にあるものは、確固たる基盤たりえるということである。私の理性は個人的なものでもあるし、理性の働きという基盤を通じて、全ての人と通じ合えるのである。理性は、自分自身を省みて、「存在することの意味を了解する」ことができるというのである。しかも、それは心理的な意味ではなく、哲学的な意味で分析ができるとも言っている。 普段理性のことをもしていない。こうして改めて、自分へ中心部分へと沈思してみると、理性の不思議さに驚きを禁じえない。自分自身のものであり、ひとに共通の基盤でもあるということ。いざ自分の理性を見つめようとしても、それは簡単にできることではない。何か空虚なものを感じるだけである。しかし、自分が恐れを感じている瞬間、自分が怒りを感じている瞬間であれば、そのさらに奥に潜んでいる自分の自己を見つけ出す

マイケル・ゲルヴェン ハイデッガー『存在と時間』註解 存在への問い

ハイデッガーの『存在と時間』は、後世に対して多大なる影響を与え続けている著作だと思う。主題が魅力的である一方、内容は難解を極めており、哲学者にとっても難敵であると言うし、ましてや我々のような一般の読者が易々と読み解くことができる書物ではない。しかし、それにも関わらず、一般の読者がこの著作に憧れ読むことを諦めないのは何故であろうか。註解書の著者マイケル・ゲルヴェンは次のように説明している。 入門者や学生の方が『存在と時間』を読んで共感を覚えることが多いのは、まさにこの本が、ほとんど全ての人にとって非常に興味深い主題を含んでいるからである。死・良心・罪・本来的存在といったことに興味をひかれない人がありえようか?(p.018) ところが、逆に、ハイデッガーが死・良心・罪・本来的存在といった事項を扱っているが故に、従来の哲学に親しんだ者や注意深い読者にとってハイデッガーの哲学は胡散臭いものに映ってしまう。しかし、そうした意見を呈する者が言うところの哲学からは、死・良心・罪・本来的存在を問うことは抜け落ちてしまい、人間にとっても最も豊かで重要な関心事は問われないままになってしまう。 結局、こうした問題は哲学へのもっとも根源的な促しであって、こうした問題を副次的なものとして、あるいは「無意味」なものとものとさえみなしてなおざりにするというのは、そもそも人間はなぜ哲学するのかという隠れた問題を押しつぶすことなのである。(p.034) ハイデッガーが『存在と時間』で扱っている主題は、実は最も古くからある根本的なもの、「存在の意味への問い」(在るとはどういうことなのかを問うこと)である。こう書くと、壮大な理論の展開を想像してしまうが、実際に『存在と時間』の中で見出すことは、 人間の深い分析であり、人が世界の内におのれを見出す仕方であり、自己自身のかくれたる弱さをかばおうとする仕方であり、また、自分の内なる力の中心へと跳びいる仕方である。(p.038) 日々を自らに誠実に真剣に生きている人々が捜し求めている内容ではないだろうか。 ハイデッガーの描く人間は、彼の哲学そのものと同様、現代の奥深くでおこっている変化を反映している。それは、自己が真正でありうるか否かの責任を自らに背負い、自己自身の可能性に鋭く目ざめた人間の姿である。それはまた、非本来性によっ

トオマス・マン 「ヴェニスに死す」 芸術への献げ物

初老の作家グスタアフ・アッシェンバッハのひと夏が描かれているのに過ぎないのだが、芸術に全てを献げた芸術家の精神生活が全体的に浮き彫りにされているように感じた。天賦の才能を持ち、その才能を完成させるための鍛錬を怠らず、飽くなき精進の道を歩む姿。それは、芸術に対する厳格で真摯な態度であり、もって生まれた偉大な才能を高めるために自らを完全に律する克己の精神であり、そして本能的ともいえる芸術家としての美への憧れであった。 個人的に考えても、むろん芸術とは一つの高められた生活である。芸術は一段とふかい幸福を与え、一段と早くおとろえさせる。それに奉仕する者の顔に、想像的な精神的な冒険のこんせきをきざみつける。そして芸術は、外的生活が僧院のようにしずかであってさえも、長いあいだには、ほうらつな情熱と享楽とにみちた生活によっても、めったに生み出され得ぬような、、神経のぜいたくと過度の洗練と倦怠と、そして好奇心とを生み出すのである。(p.24) 外部の生活がいかに穏やかであっても、その精神世界では芸術家はいかに過度で過酷な体験を体験していることか。それは、強靭で尊大な精神を持ったアッシェンバッハにしても、その芸術への奉仕から解放されたいという一時的な逃避を起こさしめたのだった。彼は、自分が一時的な逃避をしていることを自覚しながら南国の休養地へと旅立った。 南国の気候は彼の体質には合わず、北国へ引き返すことも考えた。しかし、ヴェニスで彼は一人の美しい少年に出会ってしまった。 目を見はりながら、アッシェンバッハはその少年が完全に美しいのに気づいた。 (中略) かれの顔は、最も高貴な時代にできたギリシャの彫像を思わせた。そしてそれは形態がきわめて純粋に完成していながら、同時に比類なく個性的な魅力を持っているので、見つめているアッシェンバッハは、自然のなかにも、造形美術のなかにも、このくらいよくできたものを見かけたことは無い、と思ったほどであった。(p.41) 芸術家として美を追い求めている彼にとって、それは非常な驚きであり、絶頂感をもたらすものでもあったのではないか。しかも、少年は人間らしい浅薄な醜い感情さえも有している。ただ形態的に美しいだけでなく、生命を吹き込まれて実在している。このような完全な美が実体

マイケル・サンデル 「これからの正義の話をしよう」 6 道徳的個人主義とコミュニティの善

自分の国が過去に犯した過ちに対する謝罪の例に取りながら、責任の範囲とは何かを考えている。例えば、アメリカにおける黒人奴隷制を現代アメリカ国家が公式に謝罪すべきかどうか、ナチスドイツが犯したホロコーストを現代ドイツ国家が公式に謝罪すべきか、これらには賛否両論があるだろう。 公式な謝罪に反対意見の根底には、道徳的個人主義が根ざしている。道徳的個人主義とは、「 みずからの意思で背負った責務のみを引き受けることである 」。この原理からすると、自分が引き受けたもの以外の責任は負う義務は無く、過去の祖先が犯した過ちは自分には責任がないということになる。この考え方は、広く支持を受けるのではなかろうか。重くのしかかる歴史的な責任の束縛から解放されるのである。 しかし、道徳的個人主義の持つ自由に対する概念に、著者は否定的である。カントに触れる部分で著者が説明しているように、カントにとって自由とは自律的であるということだった。自律的とは自らが与えた法に従うことだ。個人的な利害から退き、自らが与えた道徳律に従って選択を行なう。このことは、次のような特徴がある。 道徳法則(カント)を望むとき、あるいは正義の原理(ロールズ)を選ぶとき、われわれは自分の役割やアイデンティティ、つまり自分を世界の中に位置づけ、それぞれの人となりを形作っているものを考慮しないのだ。 果たして、自らのアイデンティティを形成してくれた社会から切り離された正義、ある意味非常に抽象化された正義に従うことが正しいのだろうか。 リベラル派の自由の構想の弱点は、その魅力と表裏一体だ。自分自身を自由で独立した自己として理解し、みずから選ばなかった道徳的束縛にはとらわれないと考えるなら、われわれが一般に認め、重んじてさえいる一連の道徳的・政治的責務の意義がわからなくなる。そうした責務には、連帯と中世の責務、歴史的記憶と信仰が含まれる。それらはわれわれのアイデンティティと伝統を形づくるコミュニティと伝統から生まれた道徳的要求だ。自分は重荷を負った自己であり、みずから望まない道徳的要求を受け入れる存在であると考えないかぎり、われわれの道徳的・政治的経験のそうした側面を理解するのは難しい。 どうしたら自らの人格形成に大きな影響を与えたコミュニティの道徳的な重荷と重

マイケル・サンデル 「これからの正義の話をしよう」 5 美徳を求める

カントの考えは強力で堅固であるが、サンデルは満足していない。それは、余りにも理想的で、人間が直面する現実との乖離があるということではないか。 カントとロールズの哲学は、良い生の定義は人によって違うという現実を前に、中立的な立場から、正義と権利のよりどころを見つけようとする大胆な試みである。 中立的な立場での正義、と改めて問われるとき、果たして事の大きさに気づかされる。あらゆる人に共通に認められるような正義こそが正しいとすれば、ある人やある文化で尊ばれる美徳のような個別のことは無視されるのではないか。この問いに答えるために、アリストテレスの考えが登場する。 アリストテレスにとって、正義とは人びとに自分に値するものを与えること、一人ひとりにふさわしいものを与えることを意味する。 ふさわしいものは何かというと、それは与えられるものによって決まる。笛の例が持ち出される。最も良い笛をもらうべき人は、笛を最も上手に演奏できる人である。つまり笛によってそれを与えられるべき美徳が決まるのである。 家柄のよさや美しさは笛を吹く能力よりも大きな善かもしれない。全体的に見れば、そうした善を持つ人がそれらの資質において笛吹きに勝る度合いは、笛吹きが演奏で彼らに勝る度合いよりも大きいかもしれない。だが、それでも、笛吹きこそが彼らよりよい笛を手にするべきという事実は変わらない。 この説明は、笛吹きの能力と家柄という全く異なる種類のものを比べているのではなく、笛を配るにあたり考慮すべきは、笛によって決まる美徳、つまり家柄ではなく笛吹きの能力であるということである。 アリストテレスが考える、最もよい笛を最も笛吹きの能力のあるものへ配る理由は、そうすることで素晴らしい笛の演奏が生まれて人々が幸せになるからではない。笛は、うまく演奏されるために存在しているから、というのがその理由である。 笛の目的は優れた音楽を生みだすことだ。この目的を最もうまく実現できる人が、最も良い笛を持つべきなのである。 ヴァイオリンの競売の例が出される。ストラディヴァリウスのヴァイオリンが売りに出され、富豪のコレクターが、有名なヴァイオリニストに競り勝ってヴァイオリンを手に入れ、それを居間に飾ったとする。こ

マイケル・サンデル 「これからの正義の話をしよう」 4 重要なのは動機

自由が拠ってたつ「自己所有」という概念は、突き詰めていくと急進的な考え方に行き着いてしまい、ほとんどの人が同意できないようなもの、例えば、本人の同意があれば自分の生命でさえ傷つける行為(例えば食べられる本人が同意した人肉食)が認められるような考え、を突きつけてくる。そこからは、無制限の自己所有権は認められないのではないか、そうだとするとどういう原理で制限はかけられるのか、という問いが自然と生まれてくる。 カントは、自己所有とは異なるものに基盤をおいて彼の理論を作り上げていった。それは、人間は誰でも理性を持っており、理性を通して行動ができるということであった。しかも、それが人間の尊厳の基盤でもあるという。深い洞察と思索によって裏付けられた確固とした考えで、強い感銘を受ける。 カントの理論は、自分の所有者は自分自身であるという概念にも、人間の生命や自由は神からの贈り物だという意見にも基づいていない。その基盤となっているのは、人間は理性的な存在であり、尊厳と尊敬に値するという考え方だ。 人間はみな尊敬に値する存在だ。それは自分自身を所有しているからではなく、合理的に推論できる理性的な存在だからだ。人間は自由に行動し、自由に選択する自律的な存在でもある。 カントによって提示される人間の尊厳に関する考え方は、非常に重要だと思う。しかも無制限の自己所有という極めて厄介に見えた問題を乗り越えてしまうのである。まずは、彼の言う自由という概念を理解する必要がある。 カントの考える自由な行動とは、自律的に行動することだ。自律的な行動とは、自然の命令や社会的な因習ではなく、自分が定めた法則に従って行動することである。 生理的な欲求によって行動したり、社会慣習に従って行動しているとき、それはあたかも重力によって物体が落下するように、自分以外の力に支配されている。しかし、自らが自身に課した道徳律に従って行動するとき、それは自らの理性による行動であり、これこそがカントの言う自由な行動である。別の言い方で説明されている。 自由に行動するというのは、ある目的を達成するための最善の手段を選ぶことではない。それは、目的そのものを目的そのもののために選択することだ。これは人間には可能でも、ビリヤードの球(と大半の動物

マイケル・サンデル 「これからの正義の話をしよう」 3 自由と制限

正義の基盤となる自由とはどういうものか。自由というと自分に関することを自分自身で決められるということだ思うが、しかし、自由とは一般に考えられているほどには単純なものではない、いやむしろ非常に難しいことが示される。 プロスポーツ選手、マイケル・ジョーダンへの非常に高額な課税は、彼が自分自身で稼いだものの一部を社会の幸福という理由で強制的に取り上げてしまう。しかし、彼が稼いだものが強制的に徴税されるとしたら、彼自身に労働をさせたのと同じにならないか、彼の時間を奪ったとこにならないか、という問いが投げかけられる。自由とは、自分が自分自身を所有しており、自分の所有しているものは、人に危害を加えない限りにおいて何をしても良いということに基盤を持っている。自分が労働して稼いだものは自分のものである。それに制限を加えて、強制的に取り上げても良いものだろうか。 また、生命や性に関する例も提示される。自分自身のことは、自分のものであるから自分でどうにでもしても良いはずではなかろうか。しかし、自分の命を自分で終わりにしてしまうのはどうなのか、それを幇助することはどうなのか。 自分を所有しているのは自分自身だという考え方は、選択の自由をめぐるさまざまな論議の中に姿を現わす。自分の体、命、人格の持ち主が自分自身ならば、それを使って何をしようとも(他人に危害を及ぼさないかぎり)自由なはずだ。こうした考え方の魅力にもかかわらず、その含意するところすべてが簡単に容認されるわけではない。 課税の時には、社会の幸福のためといって、自由を制限することに賛同した者が、命に関する事項では自由を制限することに反対の側へ回ることもある。また、その逆もある。正義の基盤である自由の考え方が、このように相対的になってもよいものであろうか。実際に現実の自分自身を省みると、その場その場に応じて自由への態度が変わっていることに気づかされる。自由こそが人間の基盤であると考えていたが、その基盤は実はもろいものではないのか、改めて考えさせられる。 自分の命を自分で絶つことは許されるのか、許されないとすれば、それは一体どういう原理に基づいて言える事なのか。もっと深く正義を追究しない限り、生半可な思索では、この自由への問いには答えることはできない。サンデルは、更に次の原理へと進んでい

マイケル・サンデル 「これからの正義の話をしよう」 2 幸福の最大化

正義を議論するのに幸福という視点があることを著者は説明した。幸福とは何か、幸福によって正義はいかに語られるのか。幸福と正義をつなぐ哲学、つまり功利主義という原理を確立したのはジェレミー・ベンサムである。 道徳の至高の原理は幸福、すなわち苦痛に対する快楽の割合を最大化することだというものだ。ベンサムによれば、正しい行ないとは「効用」を最大にするあらゆるものだという。 この考え方は直感的で非常に明解であるし、実際、現在に至るまで広範囲の人々に大きな影響を投げかけているはずである。政治家の発言を見ると、この考え方に沿った意見が見られるだろう。 この考えにベンサムが至ったところは、単なる思い付きではなく、実は人間観察に基づいた深い思索に裏打ちされている。 われわれは快や苦の感覚に支配されている。この二つの感覚はわれわれの「君主」なのだ。それはわれわれのあらゆる行為を支配し、されにわれわれが行なうべきことを決定する。善悪の基準は「この君主の玉座に結びつけられている」のである。 人間は、ただ快や苦の感覚によってのみ支配されている、これは実に人を動物的に捉えた人間観である。しかし、実社会を見ると、この人間観が実に否定しにくいことにも気づかされ愕然とするだろう。あるいは、この人間観を誇らしげに肯定する人さえいる。これでいいのか。 功利主義は正しいのか、例えばこういう問いかけがある。マンハッタンに時限式の核爆弾が仕掛けられており、テロ容疑者を逮捕した。容疑者から何も聞き出せないうちに、刻々と時間だけが過ぎていく。この場合にテロ容疑者への拷問は正当化されるのか。功利主義の立場から見ると、何十万、何百万という多くの人々の生命を守るためであれば、テロ容疑者に拷問するという非人道的な行為は許される。これとは意見を異とする、人権的、道徳的な見地から拷問に反対する人もいるだろうが、大多数は、容疑者への拷問を容認するだろう。 この例から言うと、人は数十万、数百万という数の人命が危険にさらされると、人は、道徳とか人権とかいう大切なものから眼を逸らしてしまいがちである。もし、この例が示すようことが正しいとすれば、道徳とか人権とかいう人間の尊厳に関わる問題は、コストと利益の計算の問題に帰されることになる。人権とはそのような

マイケル・サンデル 「これからの正義の話をしよう」 1 幸福、自由、美徳

正義とは何であろうか。誰もが何かしらのイメージを持っていると思うが、それを言葉で形にするのは難しいのではないか。また、思弁的に論理的思考によって、正義を考えることはできるであろう。しかし、その方法では、毎日個人が体験する自身の周囲で起きている複雑で泥臭くて奥深い人生そのものからは遠く離れてしまっている。自身は安全な場所に身を隠しながら、高尚かもしれぬが意味を失ってしまいがちな問いをしているに過ぎなくなる。正義とは何かという人生にとって非常に大切な問いが、輝きを失ってしまうのである。正義とは、根源的なものでもあり、我々の日常の行為にも深く関わっているものでもあるのだろう。 この著作では、正義とは何かという探求が、我々が身を委ね又構成もしている社会はどうあるべきかという形で深められていく。例えば、2004年アメリカでハリケーン・チャーリーによって甚大な被害がもたらされたとき、一部では便乗値上げが行われ、自由市場はどうあるべきかという議論が巻き起こった。被害にあって困窮する人々を狙って法外な価格を請求するなどの行為が見られ、そういう便乗値上げは法律で禁ずるべきだという意見と、あくまでも自由市場を守るべきで便乗値上げは自由市場の一つの形であるという意見に分かれ大きな議論になった。 法律はいかにあるべきか、社会はいかに組み立てられるべきかというテーマにもかかわっている。つまり、これは「正義」にかかわる問題なのだ。これに答えるためには正義の探求をしなければならない。 (中略) 便乗値上げをめぐる論争を詳しく見てみれば、便乗値上げ禁止法への賛成論と反対論が三つの理念を中心に展開されていることがわかる。つまり、幸福の最大化、自由の尊重、美徳の促進である。これら三つの理念は、正義に対して異なる考え方を提示している。(第1章) 例えば便乗値上げの問題を考えるとき、我々は正義のことを直接意識しながら議論はしていないかもしれない。それよりは、被害者の幸福のことを第一に考えるべきだとか、自由市場原理はいかなるときでも守られるべきだ、というようなことを考えているだろう。 便乗値上げによって、社会全体の幸福が向上しているようには見えない。高い価格が設定されたことで、商売の機会を感じた業者による供給の増

大野晋 「日本語練習帳」 2 写生文職人の限界

国の力が衰えたり混乱したりした時期や、海外との交流が盛んになるような時期に、国語を海外の言語に変えるべきだという意見が出たのだという。世の中を動かす知識や技術、高度に洗練された文化など、それらの発信源が海外の言語にあるとしたら、その言語を使ったほうが知識や技術、文化を取り入れるのに効率が良いだろうと想像して、世の権力者たちがその海外の言語を日本の国語にしようとするのは、全くわからない話ではない。 しかし、本当にそうだろうかと、一つの例を取りながら、著者は問いかけるのである。戦後の混乱期に志賀直哉が、フランス語を日本の国語にしてはどうかと提案したのだという。志賀直哉は、大正期の優れた小説家として、著者自身も尊敬した存在であった。その日本語を巧みに使って優れた文章を書いているはずの志賀直哉が、日本語はいかにも不完全で不便であるとして、国語をフランス語に変えてはどうかという意見を雑誌「改造」誌上において提案したのだという。 日本語は、文章を書くのに不完全で不便であり、これが起因して文化の発展が阻害されている、したがってこのままでは本当の文化国になることはできないというのが志賀直哉の主張であった。逆にフランスは文化の進んだ国であるからという理由であった。しかし、志賀直哉自身はフランスにもフランス語にもそれほど知識を持っている様子でもない。何か世間で流布している文化論を受け売りしているような印象を受けるのである。 国語はそのように簡単にスイッチで切り替えるように変更できるものではない。生きた文化、歴史そのものであるから、国語を英語やフランス語に変えたからといって海外の文化を取り入れられるものでも、日本の文化が急に進むものでもない。 志賀直哉の意見では、言葉と文化は切り離されていて、言葉は単なる道具にしか見られていない。それは、志賀直哉という小説家の言葉に対する態度を表しているのかもしれない。 「文化が進む」という場合の「文化」とは、内実何なのか。おそらく彼は『源氏物語』など読んだことがないのでしょう。志賀直哉には「世界」もなく、「社会」もなく、「文明」もありはしなかった。それを「小説の神様」としたのは大正期・昭和初期の日本人の世界把握の底の浅さのあらわれであるでしょう。 このことは作家個人に何か問題があるというより

大野晋 「日本語練習帳」 一生に一度の為に

日本語約3000語の語彙があれば、生活していく上ではことが足りるのだという。では、3000語の語彙の生活でいいのであろうか、そうではないと著者は断言する。 言語生活という言い方をしているが、文章の調子、文体のかすかな違いを感じられる、そういう深く豊かな原語経験を体験するためには、3000語程度の語彙では不可能であり、少なくとも3万~5万の語彙が必要なようである。しかし、3万~5万という語彙を持っていたとしても、そのうちの半分は1年間に1度しか目にしないものばかりである。 一生に一度しかお目にかからないかもしれない。しかし、その一年に一度、一生に一度しか出あわないような単語が、ここというときに適切に使えるかどうか。使えて初めて、初めてよい言語生活が営めるのです。そこが大事です。語彙を七万も十万ももっていたって使用度数1、あるいは一生で一度も使わないかもしれない。だからいらないのではなくて、その一回のための単語を蓄えておくこと。 著者の日本語に対する美意識が明確に現された文章だと思うし、強く心を動かされる言葉だと思う。言葉を多く知っていて何の役に立つのか。それは、一生に一度の舞台に適切で見事な表現をしたり、そのことを感じたりできるかどうか、更にはそのことに価値を感じられるかどうか、それにかかっていると思う。 一期一会。一生に一度お目にかかれるかどうかわからない、そういう緊張感の漲る瞬間を待ちながら、そういう言語経験を出来るだけの能力を蓄えるために言葉の力を磨くことを改めて考えさせられた。 「日本語練習帳」 岩波新書 大野晋著

E.H.カー 「歴史とは何か」 3 広がる地平

時の流れを、自然的過程としてではなく、人間が意識的に関与していくものとして捉えるところから歴史は始まると著者は言っている。 歴史とは、人間がその理性を働かせて、環境を理解しようとし、環境に働きかけようとした長い間の奮闘のことなのです。ところが現代はこの奮闘を革命的に広げてしまいました。現代の人間が理解しようとし、働きかけようとしているのは、彼の環境だけでなく、彼自身なのです。(p.200) 歴史が始まって以来、現代に至るまで、上記の意味での理性の対象は環境であった。しかし、現在、人間が理解し働きかけようとしているものは、人間自身そのものになっているという。ここで著者が言わんとするところは何処にあるのだろうか。現代までの歴史では、人間が環境に働きかけ時代が変化した、しかし、現代では人間が環境と同じく人間自身にも働きかけ時代を変化させる、そういうようなことを言っているように思われる。思想家が歴史に大きな影響を与える。 著者は、歴史という観点で影響を与えた3人の思想家を登場させ、これを説明してくれる。ヘーゲル、マルクス、フロイトである。 著者によると、ヘーゲルは、歴史の変化とは、人間の自己意識の発展が本質であると認識した最初の哲学者であったのだという。自己意識が発展することで歴史の変化が起きると言うのである。しかし、ヘーゲルは政治的には何もなさなかった人で、彼の哲学は、当時の実社会には殆ど影響を与えなかった。次にマルクスは、ヘーゲルの考え方を実際の具体的な形態に推し進めた。革命の理論である。 マルクスは、世界は、人間の革命的なイニシアティヴに応じて合理的過程を辿って発展する法則によって支配されているものだ、というものの見方への転換を成し遂げたのです。マルクスの最後的な総合では、歴史というのは三つのもの---これらは互いに不可分で、一貫した合理的な全体を形作っているのですが---を意味しておりました。第一は、客観的な、主として経済的な法則に合致した事件の動き、第二は弁証法的過程を通して行われる思惟の、これに対応する発展、第三は、これに対応する、階級闘争という形態の行動で、これが革命の理論と実践とを調和し統一するのです。(p.204) 著者が挙げるもう一人の思想家、フロイトであるが、彼が行った意識、無意

E.H.カー 「歴史とは何か」 2 歴史の中の個人

社会を離れて個人は存在しうるのか。人間は生まれたときから社会の中に存在し、孤立した存在であることは不可能である。空想の中では社会から孤立した人間を想像することは可能であるが、そのような存在はありえない。そうであるとすれば、歴史において個人をどう扱えばいいのだろうか。 社会は少数の個人によって動かされているという見方をする人もあるが、著者はそういう立場を取っていない。社会は多数の個人が作る集団によって動かされている。その一例として20世紀の世界大戦について、簡単ではあるが、著者の態度を鮮明にしている。 二十世紀の二つの大戦をヴィルヘルム二世やヒトラーの個人的な悪意の結果と考える方が、国際関係のシステムにおけるある根本的な崩壊の結果と考えるより容易なのです。(p.65) ヒットラーの悪意が大戦を起こしたのではない、国際システムが崩壊したことが大戦の真の原因だというのである。 社会への叛逆者は、一見、社会と対立しているように見えるが、叛逆者もある社会の産物であり、時代を反映したものである。特にニーチェについて記された部分は、非常に興味深い。その社会や時代に対して急進的に叛逆した者が、実はいかにその時代や社会を体現し、反映したものであったかを説明している。 その時代およびその国の社会に対して荒々しく急進的に反抗した点では、ニーチェの上に出るものはありませんでした。しかし、ニーチェは、ヨーロッパの社会の、というより、特にドイツの社会の生粋の産物であって、中国やペルーには現れようのない人物でありました。この個人が身を持って表現していた社会的な力がいかに強くヨーロッパ的なもの、特にドイツ的なものであったかは、ニーチェの同時代者たち」にとってよりも、彼の死後の世代に至って益々明らかになって参りましたため、彼自身の世代にとってよりも、その後の世代にとって重要な人物になったのであります。(p.74) 偉人といえども個人に過ぎないのだが、卓越しているが故に社会的な現象と言える。しかし、逆に社会的な現象であるということは、その時代においてでは偉人となりえたが、他の時代に生まれたなら社会に埋もれていたかもしれないということである。歴史家のギボンはこう言っているという。 「その時代が桁はずれの人物に適合して

E.H.カー 「歴史とは何か」 1 歴史とは

歴史とは何か。歴史は過去の事実の記録ではなかろうかと余り深く考えもしないで信じているのに気づかされる。 19世紀は事実尊重の時代であったと著者は書いている。ランケという人は、歴史家は 「ただ本当の事実を言うだけである」(p.4) と述べたとあるが、これは現代でも普通に見受けられる歴史への態度を代表しているように思える。誰の眼に見ても同じに見える歴史を書かなくてはいけないし、それは書くことができると、19世紀の歴史家たちは考えていたそうである。サー・ジョージ・クラークという人は、 「事実という堅い芯」 と 「それをつつむ解釈という疑わしい果実」 という言い方で、事実尊重の態度を示し、歴史家による解釈を軽視した。 しかし、よく考えてみると「本当の事実」とは何かということは非常に難しい。著者は、シーザーがルビコン河を渡ったという事実と、部屋にテーブルがあるという事実は、両方とも事実ではあるが歴史家の観点では同列には扱えないという言い方で、歴史における「本当の事実」という論点を浮き彫りにしてくれる。歴史における「本当の事実」となるには、歴史家による評価と批判をくぐり抜ける必要がある。その事実を歴史家たちが歴史的に重要だと認識する必要がある。 事実というのは、歴史家が事実に呼びかけた時にだけ語るものなのです。いかなる事実に、又、いかなる順序、いかなる文脈で発言を許すかを決めるのは歴史家なのです。(p.8) また、「本当の事実」に関する別の困難さをも教えてくれる。例えば、紀元前5世紀にギリシャとペルシャが戦ったペルシャ戦争について、我々は多くのことを知っている。しかし、ペルシャ戦争当時のギリシャは、アテネ市民によって書かれたアテネ市民の観点からの姿しかわかららない。スパルタ人やテーベ人、奴隷などの目に、当時のギリシャがどういうように映っていたかは殆ど知ることができないのである。記録が失われたもの、あるいは書かれなかったものからは何も知ることができない。 逆に、現代へ近づけば近づくほど、記録された事実は膨大なものへとなっていく。これらの中から歴史的な事実を拾い上げることも非常な困難を伴う。解釈をやめた歴史家は、事実の蒐集家となってしまうという言い方を著者はしている。 歴史は、事実だけをただ列挙するだ

小林秀雄 「本居宣長」(上)(下) 5 古事記

古事記は、神代のことを伝える書であり、それゆえに源氏物語のような物語とは異なる。しかも、この点が古事記を読む者たちを混乱させる。理性では理解し得ない神代の伝説(つたえごと)を如何に扱うべきか、あるいはどう折り合いをつけるべきか、それは宣長と同時代の学者たちにとっても同じであった。神代の伝説を真実として受け入れるべきか、それは理性とどう折り合いがつくのか、神代の伝説を真実として受け入れられないとすれば古事記自体をどう受け入れるべきか。古事記は、読む者の理性に解けぬ謎を出して来る。学者自らが頼りとする自身の「さかしら」な理性に足を取られ、古事記の世界へ入っていくことができなくなるのである。「さかしら」が学者と古事記との間に介在し、学者が古事記に直に近づくことを阻むのである。 宣長は、源氏物語を通して会得した道を真直ぐに歩いて、行ける所まで行ってみた。その様子が以下のように説明されている。 彼は、神の物語の呈する、分別を超えた趣を「あはれ」と見て、この外へは、決して出ようとはしなかった。忍耐強い古言の分析は、すべてこの「あはれ」の眺めの内部で行われ、その結果、「あはれ」という言葉の漠とした語感は、この語の源泉に立ち還るという風に純化され、鋭い形をとり、言わばあやしい光をあげ、古代人の生活を領していた「神(あや)しき」経験を描き出すに到ったのである。(p.155) ここに言われる「古代人の生活を領していた『神(あや)しき』経験」という深い感覚を掴めないと、先へ進むことができない。著者はこの古代人の経験について、以下のようなヒントを与えてくれる。 上古の人々は、神に直に触れているという確かな感じを、誰でも心に抱いていたであろう。恐らく、この各人各様の感じは、非常に強い、圧倒的なものだったに相違なく、誰の心も、それぞれ己の直観に捕らえられ、これから逃れ去る事など思いもよらなかったとすれば、その直観の内容を、ひたすら内部から明らめようとする努力で、誰の心も一ぱいだったであろう。この努力こそ、神の名を得ようとする行為そのものに他ならなかった。そして、この行為が立ち会ったもの、又、立ち会う事によって身につけたものは、神の名とは、取りも直さず、神という物の内部に入り込み、神の意(こころ)を引出して見せ、神を見る肉眼とは、同時に

小林秀雄 「本居宣長」(上)(下) 4 歌の姿

本居宣長の歌論に、歌の「姿は似せ難く、意は似せ易し」というのがあるという。これは意外に感じられることであろう。少なくとも私にとっては、受け取る者に非常な驚きを与えながら心に飛び込んでくる言葉であった。一般には、言葉の意味を掴むのは難しいが、口真似をするのは子供にでもできる、だから、意は似せ難く、姿は似せ易いと信じられているのではないか。宣長の言うことと反対のことを人は信じているのではないか。 このことは、言葉とは何なのかという本質を掴まぬ限り理解できないことのように感じられる。宣長の歌論に驚かされる者は、言葉を、ある意味を伝えるための単なる道具としてか捉えてはいないのではないか。意味を伝えるための道具であるから、道具は人まねでも使えよう、わけがわからぬ者でも道具は使えよう、そういう思い込みがあるのかもしれない。 ある歌が麗しいとは、歌の姿が麗しいと感ずることではないか。そこでは、麗しいとはっきり感知できる姿を、言葉が作り上げている。それなら、言葉は実体でないが、単なる符牒とも言えまい。言葉が作り上げる姿とは、肉眼に見える姿ではないが、心にはまざまざと映ずる像には違いない。万葉歌の働きは、読む者の創造裡に、万葉人の命の姿を持ち込むというのに尽きる。(p.317) 意味を伝えるための道具でしかないのであれば、目的が達せられてしまえば、言葉の美しさや巧みさは重要性を失ってしまう。自然科学の論文や教科書に対して感じる無機質感は、このことを現しているように思われる。 「万葉」の秀歌は、言わばその絶対的な姿で立ち、一人歩きをしている。(p.317) 非常な驚きをもって受け止められるかもしれないが、言葉はそれ自体で自立して存在できるのである。言葉というものが持つ何という奥深さであろうか。 言葉は、歌の上だけで、姿を創り出すのではない、世の常の生活の間で、交されている談話にも、その姿というものはあるのであり、その作用は絶大である(p.318) 我々は言葉の姿を感じられているだろうか。 「本居宣長」上・下 新潮文庫 小林秀雄著

小林秀雄 「本居宣長」(上)(下) 3 源氏物語

本居宣長は、源氏物語を深く読み、「源氏」を通して紫式部が宣長に対して語りかけてくるのを感じたのだと、著者は書いている。それほど深く踏み込んで「源氏」を読んだ人はいなかった。「源氏」と向かったとき、 「此物がたりをよむは、紫式部にあひて、まのあたり、かの人の思へる心ばへを語るを、くはしく聞くにひとし」 と感じることができた。説明しにくいのだが、「源氏」という古典に自分自身を傾け尽くし、作品の中に没頭し、人智を超えた「道」というようなものに出会うことが出来たのではないだろうか。 幾時(いつ)の間にか、誰も古典と呼んで疑わぬものとなった、豊かな表現力を持った傑作は、理解者、認識者の行う一種の冒険、実証的関係を踏み超えて来る、無私な全的な共感に出会う機会を待っているものだ。機会がどんなに稀れであろうと、この機を捉えて新しく息を吹き返そうと願っているものだ。物の譬えではない。不思議な事だが、そう考えなければ、ある種の古典の驚くべき永続性を考えることはむつかしい。宣長が行ったのは、この種の冒険であった。(p.148) 古典と稀有の学者との出会いが生まれた。人が作品と向かうとき、対象が真実を語っているのかということに必ずや疑念が生じるであろう。そういった疑念がある対象に、自らの全身全霊を傾けつくすことなど不可能である。直感によって対象を信じきり自らを全的に傾け尽くすということは、著者が言うように、まさに「冒険」であり、限られた者にしか出来ないことだろう。そう考えてみると宣長の「源氏」との出会いが、いかに尋常でない事件であったことが感じられる。 「あはれ」とは何かと人に問われた宣長は、すぐに答えられるように思ったのだが、考れば考えるほど、答えに窮する自分を発見した。平凡な言葉を調べてみて、その「含蓄する意味合の豊かさに驚いた」。「あはれ」とは何かという根本を追究しようとすると、「あはれ」という言葉の意味はどんどん拡がって行くのである。平凡な言葉が持つ表現性の絶対的な力を知って驚いたのだという。 「あはれ」がそのように驚くべき表現性を持っているのは、「あはれ」が繋がっている人の心というものによるのではないか。「あはれ」という言葉は人の心を表現している。人の心ほど深く広く全てのものに対して感じ行き渡り、そして

小林秀雄 「本居宣長」(上)(下) 2 藤樹と仁斎

江戸初期の儒学者中江藤樹は、それまでの学問から離れ新学問を始めた人の最初であった。新学問を始めた人々には、伊藤仁斎(「語孟」)、契沖(「万葉」)、荻生徂徠(「六経」)、賀茂真淵(「万葉」)、本居宣長(「古事記」)などがいた。 全くの門外漢であるため、これらの人々のことを説明する力は無いのだが、本居宣長へ至る学問の水脈を感じるという意味で、著者による解説を少しだけ紹介したいと思う。 藤樹の論語に対する態度は次のように説明されている。論語を読むと、道に関する孔子の豊かな発言があり、それは読む者の耳に心地よく響くが、多岐多様に渡り、読む者によって様々に解釈がされてしまう。この曖昧さや不安定さを取り除こうとして、孔子の説く道の根本とは何なのかを分析的に探求していくと言説の外に出てしまう。そこで藤樹は、 「無言トハ無声無臭ノ道真ナリ」 と考えるに至った。道は理を以って言い表すことができないということであろう。では、どうするのか。結局ただ読む者の力量だけが、論語の紙背へと光を当てるのである。 道を求めることが、当時の学問であった。藤樹の弟子、荻生徂徠は、 「学問は歴史に極まり候事ニ候」 と言い切り、人生如何に生きるべきかということは歴史を深く知ることにある、と信ずるに至ったという。 道は明らかには見えて来ない。(中略)道という言葉がそれが為に、無意味になるわけでもない。「言ハ道ヲ載セテ遷ル」のである。道は何も載せても遷(うつ)らぬ。道は「古今ヲ貫透スル」と徂徠は考えた。(p.114) 歴史の中に貫透して変わらぬものを読みことであろう。 「本居宣長」上・下 新潮文庫 小林秀雄著

小林秀雄 「本居宣長」(上)(下) 1 思想劇

小林秀雄が、本居宣長について、冒頭に近い部分で 宣長という謎めいた人が、私の心の中にいて、これを廻って、分析しにくい感情が動揺しているようだ。(p.10) と書いている。読者にとって「本居宣長」という作品も、まさに謎めいているが、そこから尽きせず汲み上げられる新しい発見に驚かされ、うまく言い表しがたい感情に長く心が揺り動かされてしまう、そのような作品ではなかろうか。では、その魅力の源泉は、どこにあるのだろうか。 或る時、宣長という独自な生まれつきが、自分はこう思う、と先ず発言したために、周囲の人々がこれに説得されたり、これに反撥したりする、非常に生き生きとした思想の劇の幕が開いたのである。この名優によって演じられたのは、わが国の思想史の上での極めて高度な事件であった。(p.26) 著者が簡明に語っているが、まさにそういうことなのであろう。「本居宣長」を通じて読者は、小林秀雄によって註解された、「わが国の思想史の上での極めて高度な事件」に、出会うのである。これほど心を揺り動かされるような事件が他にあるだろうか。 本居宣長は、言わずと知れた江戸中期の国学者である。宣長が現れる前の思想界はどうであったのか。江戸時代に入る前、日本は戦国時代と呼ばれる時期であった。 兵乱は、決して文明を崩壊させはしなかったし、文明の流れを塞き止めもしなかったという、この時代の、言わば内容のほうが、余程大事なのだ。(p.82) 戦国の世でも日本の文明は死に絶えるどころか、脈々と生き続け、天下平定で兵乱が収まると、安土桃山の絢爛な華を咲かせたのであった。戦国の世は「下克上」という言葉で言い表されるように、実力のある者が有名無実となっていた既成制度の「位」を押しのけ、のし上がった時代であった。「下克上」というと、下にある者が上のものに克つという意味であるが、大言海という国語辞書では「下克上」を「でもくらしいトデモ解スベシ」と言っていると、著者は指摘している。実力ある者が、名ばかりの者を排して上に登るということを、積極的に現代的に捉えたうまい解釈だと感心する。 日本の歴史は、戦国の試練を受けて、文明の体質の根底からの改善を行った。(p.84) 「下克上」を体現した豊臣秀吉の天下統

小林秀雄 「考えるヒント2」 常識について

常識とは何か。 そう問われると、社会一般に共有されている知識のことだろうと考えていたのであるが、そうではなかった。 常識は、コンモン・センス(一般にはコモン・センスというかもしれない。著者がコンモン・センスと書いているので、ここではこれに従う。)のことである。トマス・ペインの「コンモン・センス(コモン・センス)」はアメリカ独立戦争に大きな影響を与えたことは良く知られている。ではコンモン・センスとは何か。著者は、コンモン・センスの源を辿っていくとデカルトに行き着くというのである。 デカルトは、常識(コンモン・センス)を次のように考えていたらしい。 常識というものほど、公平に、各人に分配されているものは世の中にないのであり、常識という精神の働き、「自然に備わった知恵」で、誰も充分だと思い、どんな欲張りも不足を言わないのが普通なのである。デカルトは、常識を持っている事は、心が健康状態にあるのと同じ事と考えていた。そして、健康な者は、健康について考えない、というやっかいな事情に、はっきり気がついていた。(p.191) これから考えると、常識とは、決して、社会一般に共有されている知識ではなく、各人に共有されている理性の働きを指している。自分がいかに常識をいい加減に使っていたか、物を考えないでいたかが改めて感じられた、と同時に、非常な発見を目の当たりにして驚かされた。それは、デカルトが考えたように、常識は余りにも普通に備わった働きであるから誰の目にも見過ごされてしまう、そういう難しさもあるのだろう。 デカルトは、人が見過ごしていた常識の力に気づき、そして徹底的に追究した。常識を哲学の中心に導入し、故に学問は根底から見直され新しい形となって進み始める。 デカルトが常識についてやったことは何であったか。デカルトは、常識とは何かという定義を出したわけではないし、常識に関する学説を唱えたわけでもない。デカルトは、常識を如何に正しく働かせ得るかを追究した人であった。もう少し具体的に言うと、常識を生活のために正しく働かせるにはどうしたらいいかを考えつくした人であった。その態度は、デカルトの著作「方法序説」に現れている。 彼は当時の学問を疑い、到るところにその欠陥を見て迷ったのではない。根を失って悉く死んでい

小林秀雄 「考えるヒント2」 天という言葉

小林秀雄の随筆は、深い思索に裏打ちされた、水墨画の筆致のような一度限りの作品だと感じられる。文章はすらすらと流れていて、著者が築き上げた思想が沈む精神世界の海底から、表面に浮き出てくるものを下絵なしにさらさらと白い紙に描いているような印象を受ける。 さらさらと文章は流れていくが、書かれている内容が難しい。天という言葉ということについて、天とは何かとは定義もしないし、説明もしていない。天という言葉についてどういう思索をめぐらしたかという、思考の過程が垣間見られるだけである。そこに現れている文章は一閃の輝きを持っており、読者の心を掴み、読者自身による思索へといざなっている。著者の文章には定義も説明も無いのであるから、読者は自分で考えるしかない。しかも、著者の思索は、著者の器の大きさを現すがごとく、あちらこちらへと大きく移り行く。 我々現代に生きるものは、天というと、世界のことだとか、宇宙だとか、そんな事物的なものに扱っている。しかし、古来から天はそんな浅薄なことを現すために使われてきたのではないという。我々はひどく無頓着な意識でもって生きていることになる。 人生の意味について自問したどんな沢山な人々が、この同じ言葉を使って来たか。(p.125) これは使われてきた言葉というよりも、寧ろ、注意深く眺められ、その意味を問われて来た言葉だと言った方がいいかもしれない。(p.126) 天という言葉は、人生の意味について問う者が、人々の内的な生活に横たわっている何か言い表せない微妙な心情を表現したものであると、著者はいう。この言葉ほどに、うまく表現できた言葉が他にはないのである。それは何を表しているのか、それは定義できなくて、うまく言い表せないものなのである。だから各人が自身で考え捕まえるしかない。 天という言葉が象徴的だったという意味は人生の意味を問おうとした実に沢山な人々の、微妙な言い難い心情に、この言葉は、充分に応じてくれたし、その点で、これ以上鋭敏な豊富な表現力を持った言葉は考えられないと誰もが認めていた、という事なのであり、従って、この言葉は、自覚の問題が、彼等の学問あり教養なりの中心部に生きていたことを証言していると、そういう意味だ。(p.127) 特に最後の部分が非常に大切

木下順二 「古典を読む『平家物語』」 清盛

「歴史に名を残したほどの人びとは、とにかくその全力を尽くして生きてきたのだ」。祇園精舎の鐘の音、諸行無常の響きあり、と詠われたように、「人はどうせ死んでいくはかないものである違いないが」、全力を尽くして生きた人々の姿こそ、歴史を作り上げているのではないか。或る人は無理のある、わがままな生き方をしたかもしれないし、或る人は見事で美しい生き方であったかもしれない。いずれにしても彼らは全力を尽くして生きた。そしてその人生に真実が見えるのではないか、そういう風に著者は平家物語を読み解いてくれる。 平清盛こそは、その人である。 おごれる心もたけき事も、皆とりどりにありしかども、まぢかくは、六波羅の入道前太政大臣平朝臣清盛公と申し人のありさま、伝え承るこそ心も詞も及ばれぬ。 1156年保元の乱で、清盛は、後白河天皇に味方して勝ち、その栄華の基礎となる。後白河天皇は、後白河法皇となり30余年にわたる院政をしく。清盛と後白河法皇は、院政の初期にこそ頼り頼られる信頼関係にあったが、両雄並び立たず、後には後白河法皇その人が反平家の中心となった。これも全力を尽くして、自分に正直に生きた人々の真実の姿であったのであろう。 後白河法皇派の俊覚等が清盛への陰謀(鹿谷の陰謀)を企てたことで捕らえられる事件が起きた。陰謀は未然に防がれたが、清盛の後白河法皇への烈しい怒りは静まらず、後白河法皇を捕らえて幽閉しようとする。しかし、清盛には長男の重盛という忠臣がいて、諫言してくれた。 悲哉、君の御ために奉公の忠をいたさんとすれば、迷慮八万の頂より猶たかき父の恩、忽ちにわすれんとす。痛哉、不孝の罪をのがれんとおもへば、君の御ために既に不忠の逆臣となりぬべし。進退惟きはまれり、 だから、このときは、思い止まることができた。 その翌々年、重盛は死んだ。清盛にとって一番頼りになる者であった。その支えがなくなり、清盛はとうとう後白河法皇を幽閉してしまう。こうして、平家の独裁政権が完成した。 清盛の死は、それから1年余り後のことである。その1年余りは、平家の絶頂期であり、没落の始まりでもある。その期間に、福原遷都と反平家勢力蜂起があった。清盛は、病床でも反平家蜂起のことで頭はいっぱいで、最後の言葉もその通りであった。 今生の望一

木下順二 「古典を読む『平家物語』」 殿上闇討 忠盛

平家物語に登場する俊覚、清盛、義仲、義経などの主要な人物が物語の中で如何に語られているかを詳細に見ていくことで、平家物語の全体像へと迫ろうという、非常に面白い試みである。 平家物語の時代を生きた人物たちは、自身の個人的な運命を超えて、大きな時代のうねりの中で歴史的な役割を担っていたし、歴史的な役割を担っているという自覚さえも持っていたという。この本の冒頭で語られる「殿上闇討」に出てくる忠盛という人物は、その最たるものではないであろうか。 平氏は、代々地方官であったが、次第に勢力を増し、財政的にも力を蓄えきていた。とはいえ、宮中は貴族だけが殿上を許された古い勢力が力を持つ世界であった。しかし、平氏は、中央の政治にも影響を及ぼすようになり、忠盛(平清盛の父である)は、初めて平氏として昇殿を許された者であった。 古くから宮中にいる者たちにとって、無作法で官位も低い者が財力に物を言わせて急にのし上がってきたのである、面白かろうはずがない。そこで、殿上にいる或る者たちが殿上の廊下で闇討ちを謀るのである。闇討ちといっても袋叩きのようなものらしい。しかし、勢力のある忠盛は、その情報力から事前に察知し、準備をする。殿上の廊下で待ち受ける者たちを威嚇するかのごとく、刀のようなものをちらつかせ、堂々と力で迎え撃つ姿勢を暗に示すのである。謀略を巡らせた者たちは、怖気づき、何事も起こらずに終わった。 事件としては、それだけである。しかし、この短い文章の件に、時代背景が雄弁に語られている。宮中という古い勢力が官位やしきたりに守られてきた世界といえども、外の世界と同様に、実力がものを言う世界へと時代は移ろうとしていた。そして、その実力を平氏は有していたし、その力を振るうべく、時代の役割を担っているという自覚も持っていた。 このような短い文章にも、平家物語の迫力がこめられていることが、語られている。 「古典を読む『平家物語』」 岩波現代文庫 木下順二著

小林秀雄 「考えるヒント」 歴史

「考えるヒント」の中の「歴史」という題の作品は、読んでいて非常に考えさせられて面白かった。 「変わり者」という言葉から話題は切り出され、著者にとっての個性とは何か、世間で言われる個性とはどこが違うのかが述べられている。通常我々は、個性という言葉を聞くと、他人とはどこか違うことをしていることを指すことだと思っている。しかし、それは個性ではないと著者は言うのである。他者と異なろうとするだけの行為は個性ではない。ボードレールの言葉までも曳きだしてきて、他人と異なろうとするだけの行為が個性的ではないということを読者に突きつける。そんなものは、すぐに見破られてしまうと。 では個性的とは何かということになるが、それは自分自身を真に生きて、別に人と異なろうとしたわけではないのだが、どうしてもそういう風にしか生きられない変わり者のことをいうのだという。さらに、人権の平等を唱えているうちに、個人が個性を失いのっぺらぼうになっている、そういう警告を発してもいる。 フロイトの「自伝」を読んだ話も面白い。フロイトの研究によって、意識と無意識の関係が明るみに出たわけであるが、無意識の大きな海の上に浮かぶ小さな波のような意識というイメージは、その関係が複雑であるだけに、混乱をもたらしているようだという。何故なら、根本にある無意識を説明するには、無意識の上に浮かぶような小さな意識によってしか理性的に説明ができないのであるから。 また、フロイトによると、無意識の世界の探求には強靭な自我がないと耐えられないのだという。我々が抱えている心の世界は、それを覗こうとすると、他のものとも比べようもないくらいの重量で以って我々の精神にのしかかってくるからである。 私の心は私の自由になるような、私に見透しの利くようなやくざな実在ではない。私は、自分の心という、ある名付けようもない重荷を背負わされている。フロイトはこの全重量の経験が、ショーペンハウエルにもニイチェにもあったことを見た。彼らの人間に対する洞察が、自分が苦労を重ねた観察の帰結に、驚くほど合致するのを見た。(p78) 現在の心理学者は理論を弄んでいて、実際のこの重量を自分で感じたことがあるのだろうか、果たしてこの重量に耐えられるような者であろうか。 そして、最後に歴史的な意識という言