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Steinbeck, "East of Eden" (エデンの東) 14 アロンとカレブ

アダムの双子の息子アロンとカレブは、対照的な性質を現しながら成長した。アロンは優しい性格で誰からも好かれた。人々はアロンを見ると自然に好意を抱 き、アロンを受け入れるのであった。それに対して、カレブはどこか陰のある近寄りがたい雰囲気を漂わせていた。カレブは隠そうとしても隠しきれない利口さ を備えていて、大人はカレブに対して警戒心を持ち、用心をしながら彼に接するのであった。 アロンが人に好かれるのを見て、カレブは嫉妬をいつも感じていた。自分も同じように好かれるようにと、アロンの行動を真似るのだが、いつも失敗に終わった。 次第に、カレブは、アロンと同じように愛されることを諦めていた。その代わりに、カレブはアロンをコントロールする術を知っていた。アロンの行動を予測す ることが出来たし、アロンの心を不安定な状態にし、怒らせることもできた。怒りがある限界を超えると、アロンは手がつけられなくなる事も知っていたし、そ うなったときにはカレブはアロンに体力で勝てないことも知っていた。だからカレブは、ある程度の限度を超えたときには逃げ出すべきことも知っていた。こう やって、アロンへの嫉妬に対する復讐をしたのだった。 読者は、アロンに対して羨望の念は抱くかもしれないが、カレブに対してより強く親近感を持つのではないかと思う。それは、著者自身も同じではなかろうか。カレブのことが書かれているのを読むとき、カレブへの愛情を感じるのである。 例えば、カレブへの気持ちを次のような場面で感じるのである。チャールズの死とその遺産の知らせがアダムに伝えられたとき、アダムとリーは居間でキャシー のことを話し合った。カレブはドアの陰に隠れて二人の話を聞いていた。自分の母親の存在とその性質についての話にショックを受けたカレブは、涙をこらえな がら自分の部屋へ戻った。泣いているのを悟られないように声を押し殺しながらアロンが寝ているベッドへと滑り込んだ。アロンは優しくどうしたのかと尋ねて くれる。アロンの暖かい言葉を聴きながら、カレブは涙をこらえ心の中で「嫌なやつにはなりたくない」とつぶやいた。 アロンのやさしい言葉が、カレブへの気持ちを示しているような気がする。カレブは、自分にとって不都合な事実も真に受け取ろうとして、苦しみながら涙を流すのである。カレブのその真摯な態度を暖かく見守っている。

Steinbeck, "East of Eden" (エデンの東) 13 アダムとキャシーの再会(2)

チャールズは生まれ育った農場で生涯を閉じた。チャールズは、父サイラスが残した遺産は、父が政府から盗んだものだと信じて、手をつけなかった。このため、チャールズの手元にあった遺産はそのまま残され、遺言によりアダムとキャシーへと相続されることになった。 弁護士からの手紙を受け取ったアダムは、キャシーに遺産を渡すべきかを悩んだ。キャシーにお金を渡せば、彼女はサリナスを出て東海岸へ向かい、キャシーに瀕死の重傷を負わせた男に復讐をすることだろう。それ以外にも、世に害を与えることであろう。アダムは迷った。 そして、ついにキャシーへ会いに行った。2度目の再会である。アダムは遺産のことを話し、キャシーの取り分を説明した。キャシーは、正直に遺産の話をするアダムに何か裏があるのではないかと疑った。というのもキャシーには正直に生きるアダムの行動の真意がわからなかった。真意がわからず、本当は存在しないトリックにうろたえるのであった。 アダムは、キャシーにはわからない大切なことが存在すること、自分にはキャシーにわからない大切なことがわかることを知った。それは、善き生き方を象徴するアダムの勝利でもあった。 "East of Eden", Penguin Books, John Steinbeck

Steinbeck, "East of Eden" (エデンの東) 12 自由な思考

時に栄光が人の思考を輝き照らすことがある。そのようなとき、肌は空気を味わい、呼吸は甘美に変わる。脳の中で煌めきが生じ、世界は炎のように燃えあがる。それは、思考の輝きであり、創造である。人の価値は、この栄光、思考の輝きの質や量によると、著者は語る。 外界は時にモンスターのように牙をむき人に襲いかかる。そのような外界へ対抗するために、人は協力する。一人よりも二人の方が石を運ぶことは容易である。たくさんの人でやる方が大きな事を為し遂げられる。そうして、我々は大量生産の時代に入る。大量生産は効率が良く、それ故に人の物質的な生活に浸食していく。物質的な生活に留まらず、大量生産の集団的な概念は、思想や宗教などの精神的な世界にさえも浸食していくのだ。 そのような時代であるからこそ、著者は問いを投げかける。「何を信ずるべきか」「何のために、何に対して闘うのか」と。 何を信ずるのか: 個人が持つ自由で探求する思考こそ最も価値あるものである。 何のために闘うのか: 思想の自由のために。 何に対して闘うのか: 思想の自由を阻み破壊する全てのもの、それが思想、宗教、政府であろうとも。 "East of Eden", Penguin Books, John Steinbeck

Steinbeck, "East of Eden" (エデンの東) 11 アダムとキャシーの再会

ーーー ウィキペディア「エデンの東」2008年5月10日 (土) 03:24 (UTC)Fuccieによる投稿は、このWebページの作成者によるものです。 ーーー 住み慣れた土地を離れ、オリーブのところに身を寄せるようになったサミュエルであったが、しばらくしてこの世を去った。葬儀が催され、親族や友人達が集まった。 サミュエルの葬儀に出席した帰りに、アダムはキャシーの営む売春宿を訪れた。キャシーと再会したアダムは初めてキャシーの真の姿を見ることが出来た。 その出来事は、再会と言うよりは対決と言うに相応しい雰囲気である。暗い面を代表するキャシーと、明るい面のアダムとの対決である。 キャシーは言う。この世に生きる人々は馬鹿と悪ばかりである。皆、自分は正しいという振りをしているが、すこしも正しくない。正しいという振りをしているだけである。キャシーにはその態度が許せなかった。キャシーは、世の人々を馬鹿にし、自分の都合の良いように使い、用が無くなれば破滅へと追いやった。 正しくあろうとする人間の姿勢を否定し、正しくないのであれば、そういう生き方をしろといっているように感じられる。 キャシーの存在は、読者に原罪の意味を考える機会を与える。正しくあろうとする人間の姿は偽りで意味のないことなのか、それとも、少しでも罪を償いながら努力することこそが一番美しいものではないか。 アダムはキャシーの意見を否定する。アダムにはキャシーの考え方にアダムの確固とした姿勢。 アダムは、真の自分自身を取り戻した。アダムの勝利は、読者にも勇気を与えてくれる。 "East of Eden", Penguin Books, John Steinbeck