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タキトゥス 「ゲルマーニア」

古代ローマ帝制期の人タキトゥス(55頃~120?)はローマの執政官(首相のような位置)まで勤めた人物で、その著書『ゲルマーニア』は、一流の歴史家でもあり一流の政治家でもあった著者が知りえたゲルマン民族の有り様を簡潔ではあるが正確な筆致で描いた著作である。『ゲルマーニア』は単なる地誌、民族誌ではない。ローマへの直接的な言及は無く、ただゲルマン人の政治・社会が記されるだけにもかかわらず、ローマの政治・社会への警鐘を記した一種の文明論として読めるのである。 当時のローマは地中海世界を統一して西はイベリア半島から東はユーフラテス河まで北はブリテン島から南は北アフリカ沿岸部までも版図に組み入れ、世界の中心的な存在となっていた。国は繁栄を謳歌し、ローマは文化の中心として頂点を極めていたが、ローマに頽廃のきざしがあるようにタキトゥスには感じられたのではないだろうか。ローマ社会は、発展拡張した時期の共和制から、大きな領土と様々な民族を治める帝制へと移行していた。タキトゥスは、共和制末期に起こったローマにおける政治的混乱や実力者同士による内乱は帝制によってしか収められなかったことを理解していたが、それでも、共和制における政治的自由を理想としていたのである。 ガリアは比較的順調に征服されローマ化が進んだのに対して、ゲルマーニアはローマを受け付けなかった。ローマの大軍がゲルマーニアへ進出して作戦が成功裏に終わったとしても、時間の経過とともにローマは跳ね返され、ゲルマーニアは元のままに戻るのである。ローマ人とは対照的に、ゲルマン民族はライン河、ドナウ河を挟んで帝国の北方に位置する蛮族とも見られがちである。しかし、タキトゥスの描くゲルマーニアを読めば、そこには、若々しくも活力に満ちた国がこれから成長せんとする国が歴然として存在することが見て取れる。活力のある国であるからこそ、世界の覇者ローマを跳ね返す力をも有しえたのであり、後代にローマ滅亡の一因にもなりえたのであろう。タキトゥスの慧眼は、ローマ最盛期という時代にあって早くもローマ滅亡とゲルマン人の影響とを予見していた。 第13章において、ゲルマン人社会において青年が初めて資格を認められて武装を許されることを描いているが、ここに於いて、 civitas (市民団体)や res pubulica (市民社会)などの言葉を使って