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スタンダール 「赤と黒」 9 レナール夫人

ジュリアンとレナール夫人との出会いのシーンは、絵画的で、非常に美しい描写である。 レナール夫人は、男の眼のとどかぬところでは、いつもきまってそうなのだが、きびきびとしかもものやさしく、庭に面した客間の出入窓をひらいて出ようとした、そのとき、まだ子供っぽさのぬけきらぬ一人の年若い田舎者が、真青な、いま泣きやんだばかりの顔をして、入口の扉の前に立っているのを認めた。汚れめのないシャツを着て、紫羅紗のさっぱりした上衣を小脇にかかえている。(第6章) ジュリアンはレナール家の家庭教師として雇われることになるが、レナール夫人は子供のことを思うばかりに教師がどのような人物であろうかと心配する。ラテン語、僧侶という言葉から、家庭教師に対して恐ろしいイメージを想像してジュリアンを待っていたのである。 レナール夫人はものもいえなかった。二人は非常に近よっておたがいの顔をじっと見つめあっていた。ジュリアンは、こんなりっぱななりをしたひとが、ことにこんな眩しいほどの色艶の婦人が、自分にやさしい言葉をかけてくれたりするのに今まで出会ったことがなかった。夫人の方は、はじめあんなに青かったのが、今こんなにバラ色になった、若い田舎者の双の頬にとまっている大粒の涙を、じっと見つめていた。やがて彼女はすっかり小娘のようにはしゃいで、笑い出した。自分がおかしくなった。そして自分の幸福を、はかりきれないほどだった。まあ何ということだ!醜いなりをした汚らしい坊主がきて、子供たちをしかったり、鞭でぶったりするものだと考えていた、その家庭教師というのが、この少年だ!(第6章) ジュリアンとレナール夫人は恋愛関係に落ちていく。 (ああ、もう十年前に、ジュリアンを知っていたら、あの頃なら、まだあたしもきれいだといわれていたのだけれど!) ジュリアンの方では、そんなことは考えもしなかった。彼の恋は、やはり野心から出たものだった。それは、あんなに軽蔑されていた、みじめなあわれむべき彼が、このように気高い、美しい女をわがものにする喜ばしさだった。彼が恋こがれるさまや、恋人の美しさをみて夢中になるところを見て、年齢のちがいを気にしていた夫人も多少安心した。(第16章)

スタンダール 「赤と黒」 8 ヴォルテール

スタンダールは、随所にヴォルテールを引き合いに出して古いもの(伝統・慣習・宗教)を批判する代表としている。フランス革命の前夜に自由思想の下地を作ったヴォルテールの影響が、いかに大きかったのかが改めて感ぜられる。 極端に世間見ずの女に恋愛教育をうけたことは一つの幸福である。ジュリアンは現在あるがままの社会を、じかに見ることができるようになった。彼の頭は昔の、二千年前の社会のーーそれとも単に六十年前の、ヴォルテールやルイ十五世時代の社会のーー物語によってじゃまされることはなかった。(第17章) 「不信心な君なんかは、神さまが、ヴォルテールのように雷でおうちになりそうだからね。」(第27章) その仕事をすますと、ジュリアンは思い切って、本に近よってみたが、ヴォルテールがそろっているのを見ると、うれしくて気がへんになりそうなくらいだった。(第2部 第2章) ラ・モール嬢はいつも見つからぬように、父の図書室へそっと本を盗み出しに来るのであった。ジュリアンがいたものだから、その朝せっかく来たのが、何の役にも立たなかったし、その上とりに来たのが、ヴォルテールの『バビロンの王女』の第二巻だったからなおさら残念だった。(第2部 第3章)

スタンダール 「赤と黒」 7 大貴族

神学校校長ピラール師が、神学校内の敵対する勢力から校長を辞職させられた時、ラ・モール侯爵によってパリ近郊の司祭職を与えられた。ピラール師に可愛がられていたジュリアンは一緒にパリへと出て、ラ・モール侯爵の秘書として仕えることになった。 やっと二人が、このりっぱな部屋つづきのうちで一ばん美しくない部屋へやって来た。わずかに日の光がさしこむか、それさえ怪しいくらいである。そこに、金髪の鬘(かずら)をかぶって、鋭い眼つきをした、小柄のやせた男がいた。師はジュリアンの方を振り向いて、彼に引き合わせた。それが侯爵だった。あまり鄭重な態度なものだからジュリアンはなかなか侯爵とは思えなかった。ブレールーオの僧院で、あんなに高慢な面構えをしていた大貴族の面影はもう少しもなかった。(第2部 第2章) ラ・モール侯爵は、都会の貴族を象徴している。第1部で出てきたレナール氏という地方貴族と対比されるが、知性、優雅さ、財政など全てにおいて優越している。そのラ・モール侯爵が、ジュリアンのことを気に入った。 「この若僧はものになると思う」と侯爵はアカデミシャンにいった。(第2部 第3章) 侯爵は、彼が根気よく働き、寡言で、頭がいいのを見て重宝に重い、解決の困難な事件を全部まかすようになった。(第2部 第5章) ラ・モール侯爵は、系図が何世代にもさかのぼれる由緒ある生まれで、大臣にもなろうかという有力者でもあった。自分の意で、人を司祭にしたり大使にしたりできるのだが、そういうこともあって自然とそのサロンには人が集まるのであった。 ラ・モール家のみやびやかなサロンに見出されるものは、すべてジュリアンには物めずらしかったが、また一方黒服をきて青白い顔をしたこの青年は、彼のようなものにまで注意を払ってやろうという方々の眼には、実に変な人間に見えたのである。(第2部 第4章) こんなおもしろくもない世紀においてすら、娯楽を必要とする力は実に大きいので、会食の日でさえ、侯爵がサロンを去るか去らぬに皆逃げてしまうのだ。神や、僧侶や、国王や、地位のある人々や、宮廷の保護をうけている芸術家や、すべてちゃんと位置のきまったものをばかにしたりさえしなければ、またベランジェや、反政府の新聞や、ヴォルテールや、ルソーや、すべて少しでも率直な物言いを認めるようなことを褒めたりさえしなけ

スタンダール 「赤と黒」 6 地方都市の政治

ジュリアンが住んでいたヴェリエールの政治は、上に立つ一部の人たちによる専制政治であった。 事実、この賢明な連中がこの土地でじつにに不愉快な専制政治をしいている。パリとよばれるあの大共和国で生活したものが小都会の暮しがやりきれないのは、この不愉快な言葉のためである。世論の専横は、(しかも何という世論か!)フランスの小都会においても、アメリカ合衆国においても、同様に愚劣なことだ。(第1章) まもなくこの博識の青年を手に入れようとする競争で、レナール氏か収容所長か、そのどちらかが勝つかということがもっぱらヴェリエール中の問題になった。この両氏は、マスロン氏を加えて三頭政治を形成して久しい年月のあいだ、この町を専制していたのである。(第22章) フランスの小都市やニュウヨークのような選挙制の治世の不幸なことは世間にはレナール氏のような男が幾人も存在しているという事実を、われわれに思い起させるところにある。人口二万の都会では、こういう人たちが世論をつくるのであって、そしてこの世論は立憲国では恐ろしいものだ。(第23章) 貴族と自由主義者と僧侶によって支配され、三者の力関係のバランスで政治が動いていたようである。これは多分当時のフランスの縮図でもあったのだろう。

スタンダール 「赤と黒」 5 神学生

ジュリアンは、レナール夫人との恋愛がある範囲の人たちに知れるところとなりヴェリエールを去らざるをえなくなる。シェラン氏の計らいでブザンソンにある神学校で学ぶことになる。神学校にいる神学生というのが大多数は農民の出身で、知的精神など少しも垣間見られず、ジュリアンにとっては何の興味もわかない連中であった。 ジュリアンが、彼らの鈍重なトロンとした眼差しから察するのは、食後の満足された生理的欲望か、でなければ、食前の意地ぎたない食欲の楽しみ以外に何もない。ジュリアンが、その中にあって頭角を現そうと決心した、周囲の連中というのは、ざっとこういう連中である。(第26章) このような者が神学校にいて将来聖職者になっていくのかと思うと、少なからず驚かされる。ところが、これらの神学生の方がジュリアンよりも優れている面があったのである。 実際のところ、彼の日常生活の目ぼしい行為一々賢明にはこんであったのだが、ごく些細な点に関しては、どうも注意が足りなかった。ところが、神学校のしたたかな連中ときては、ただその細かい点をしか見ないのである。だから仲間のあいだでも、彼のことをすでに「傲」と評判していた。何でもない、ごく」些細な行為をやる度に、彼の本性が出たがるのであった。(第26章) 仲間に言わせると、ジュリアンは、「権威」とか模範とかに、盲目的に従おうとはせず、「自分で考え」「自分で判断する」というとんでもない悪癖にそまっている、というのだ。(第26章) ただ盲目的に教えに従うことが徳とされ、自分で考えてはならないのであった。 数ヶ月のあいだ、一刻もおろそかにしないで努力してみたけれども、やはりまだジュリアンには、「考える」態度が残っているのだった。彼の目の動かし方とか、口元の表情には、どんなことでもやすやすと信じ、たとえ殉教によってでもいっさいを忍ぼうという、絶対的な信仰が出ていないのだ。ジュリアンは、こういう点で、ほかの最も粗野な百姓たちに優位をしめられていることが、腹立たしかった。彼らに「考える」態度のないのは、むりもないことだ。(第26章)

スタンダール 「赤と黒」 4 自由主義者

ジュリアンは、貴族的な人々に軽蔑を持っていたが、自由主義者たちにはもっとひどい感情を抱くようになる。 ジュリアンは、収容所所長ヴァルノ氏の邸宅に招待された。ヴァルノ氏は、レナール氏とは対極にある存在である。貧しい生まれから成功し成金になっている、貴族と対立する自由派の代表でもある。収容所所長という立場を利用して公金を横領し、富裕な自由主義者となっているのである。 ヴァルノ氏の邸宅に招待された自由派の人々は、不正を働いてその地位を勝ち取っていた。そこにいる人々の中に、ジュリアンは人間として下品なものを見て取り嫌悪感を抱き軽蔑するのである。 「(ああいやな奴!下品な奴!)と、彼は冷たい空気を呼吸する快感にひたりながら、三四度小声で罵った。」(第22章) 「この瞬間の彼はまったく貴族的になっていた。ながいあいだレナール氏のところで家人からうける礼節の底に、いつも人を馬鹿にした冷笑と尊大な優越感を認めて、あれほど不愉快にされていたそのジュリアンであったが。彼はいま極端な相違を感じないわけには行かなかった。そこを遠ざかっていきながら彼はつぶやくのだ。(たとえ囚人たちから金を盗んでおいて、しかも歌をうたうことすら禁じたということを、忘れてやるとしてもだ!レナール氏がお客にブドウ酒をすすめながら、これは一瓶いくらと一々言ったことがかりそめにもあっただろうか。あのヴァルノといったら、持物の地所を列挙する時に ー しょっちゅう話がそこに行くのだが ー そのときに細君が傍にいると、自分の家や土地のことを、「お前の」家、「お前の」土地と言わずにはしゃべれない。)」(第22章) 「なんという人々の集りなんだろう。彼等が不正なことをしてえているすべてのものの、その半分をくれるといってもおれはあんなやつらといっしょに生活することは御免だ!いつかおれの本性のばれる日がある。彼らにたいしてきっと感じる侮蔑感を外に出さないで辛抱することができないだろうから。」(第22章)

スタンダール 「赤と黒」 3 司教

国王陛下が行幸され、ヴェリエールを通ってブレールーオに安置された有名な聖クレマンの遺骨に参拝することになった。祭典が催され、アグドの司教とともに元司祭のシェラン師も参列する。ジュリアンは、シェラン師の副助祭として同席することができた。こうしてジュリアンは若い司教と接する機会を得る。 「ジュリアンはこんな壮麗な儀式を目のあたりに見て感激のあまりただぼんやりしていた。司教の年の若さを見て目覚めた野心、そのひとの感じの細やかさ、気持ちのいい上品さ、そういうものが彼の心をすっかりかき乱していた。」(第18章) 「彼はもうナポレオンや武勲のことなど思ってもいなかった。(あんなに若くって、アグドの司教なんだ!だがアグドっていったいどこだろう?そしてあれでいくらの収入があるんだろう?おそらく二三十万フランかな)」(第18章) もう軍人として出世できる時代ではないと気がつき、僧侶を志していたわけであるが、若い司教と接してその気持ちをもっとはっきりと認識したのである。そして、あんなに崇拝しているナポレオンのことさえ忘れてしまった。

スタンダール 「赤と黒」 2 ロベスピエール

ジュリアンと社会の関係が知れる一節が第9章にある。 ジュリアンは冷やかに、無上の侮辱を浮かべた眼で、彼女をじっと見た。 この眼つきにデルヴィール夫人は驚いた。もし彼女が、その真の意味を見抜いたら、なお一そう驚いたことだろう。彼女はそこに世にも恐るべき復讐の漠たる希望のごときものを読みとりえたかも知れない。疑いもなく、かかる屈辱の瞬間がロベスピエールのごとき人物を生んだのである。(第9章) ジュリアンのレナールに対する心理を描いた部分である。この心理は、レナール氏に向けた心情であるが、同時に上流階級への侮蔑でもある。 ロベスピエールを出すことで、ジュリアンの才能や性格や行く末の暗示を感じる。 ナポレオン没落後、ヴェリエールのほとんどすべての家の表構えが改築されたといわれるくらい、一般に暮らしが楽になったのは、ミュルーズ出来と称するまがいのさらさ製造のおかげであろう。(第1章) とあるように、革命やナポレオンの時代が過ぎ社会は安定し、さらに産業革命がフランスにも訪れようとしており世の中は豊かさを取り戻している。しかし、彼らの豊かさを奪う革命やナポレオンのことを忘れずに恐れており、それらを引き起こすジュリアンのような人間を恐れているのである。 レナール夫人はジュリアンの言葉に、どぎもを抜かれていた。というのは、社交界の人々から、ことにこういう下層階級に生まれて、あまり高等な教育を受けた青年の間から、またロベスピエールのような奴が出るかも知れぬ、とよく聞かされていたからである。(第17章) 僧侶の側でもロベスピエールのような人間に対して同じような考えを持っている。 わたしの母は、この尊いお堂の中で貸椅子屋を世渡りをしていたのだ。ロベスピエールの恐怖政治がきて、わたし達はすっかり貧乏になった。その当時わたしはまだ八つであったが、もうちゃんと信者の宅でミサのお勤めができた。そしてミサの日には、ごちそうになった。わたしは誰よりも上手に、法衣をたたむことができた。けっして飾紐を切ったりすることはなかった。その後、ナポレオンのおかげで信仰が復興された頃から、わたしは、ありがたいことにも、この尊い御本山で万事を切りまわす地位につくようになったのだ。(第27章)

スタンダール 「赤と黒」 1 上流階級

スタンダールの「赤と黒」(岩波文庫 桑原武夫、生島遼一訳)を読んでいる。 物語の舞台は、スイス国境に近いフランスのフランシューコンテ地方にある小さな町ヴェリエール(注釈によると空想の町。)1830年代の王政復古の時代。 ヴェリエール町長レナール氏とレナール夫人との会話の中で、主人公のジュリアンがレナール氏の子供たちの家庭教師候補として登場する。ジュリアンは、製板所を営むソレルの末息子である。製板所という家業からすると非常に珍しいことに、ジュリアンはラテン語ができるため、家庭教師候補に選ばれたのである。 レナール氏とジュリアンは雇う側と雇われる側という関係であるが、それ以上に彼らが属している階級を代表している点が重要で、特にジュリアンから見た心理面が描かれていて面白い。 レナール氏は貴族であり上流階級に属する。レナール氏を代表として描かれている上流階級は、金銭と権威だけが関心事で、知的創造性に乏しい、もはや社会を牽引する力が無くしている。 これに対してジュリアンは職人階級に属す。普通ならば肉体労働に一生を費やすところである。(それは、彼の父や兄たちの姿を見ればよくわかる。)しかし、たまたま知人の老軍医から好意を寄せられてラテン語という教育の機会を与えられた。ラテン語を通じて、いくつかの書物を読み、ジュリアンが持っていた大きな精神的エネルギーが貧しさをバネとして開花し、出世という野心にそのエネルギーが注がれることになる。 社会を動かす精神的なエネルギーは上流階級にはないということを、ジュリアンは明確には認識はしていないが、上流階級のことを憎み軽蔑し、心のどこかで感じている。 時代は、ナポレオンが没落した後のことで、ナポレオンの影が物語に色濃く影響を与えている。それは、ジュリアンがナポレオンを崇拝しているにもかかわらず、そのことを隠そうとしていることからもうかがえる。ジュリアンは、ナポレオンが象徴するような「出世」をすることを望むが、ナポレオン没落後に軍人としての出世は望み薄であり、代わって僧侶として「出世」しようともくろんでいるのである。 故郷を嫌い、上流階級を軽蔑し、自身の出世しか考えていないジュリアンが、レナール夫人との恋愛に 落ちていく。最初は自分の野心からでたものであったが、次第に本当の恋愛になっていく。