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野矢茂樹 「ウィトゲンシュタイン『論理哲学論考』を読む」 哲学問題の全ては解決されたのか

ウィトゲンシュタインは、『論理哲学論考』の序文に於いて、次のように記している。 問題はその本質において最終的に解決された。 ここで「問題」と言っているのは、哲学問題の全てのことを指しており、哲学問題の全てが解決されたとウィトゲンシュタインは主張しているのである。 では、どうすれば哲学問題の全てが解決されたと主張できるのであろうか。それは、次のような論理の流れになる。「われわれはどれだけのことを考えられるか」という問いに対して、答えることができ、更に、その答えの中で哲学の全問題は思考不可能であることが明らかになったら、哲学問題は解決(解消)されたことになるというのである。 思考不可能なことは考えることはできない。しかし、「これは思考不可能だ」と言うことはできる。だが、これはナンセンスな文章である。言語の上では、有意味と無意味(ナンセンス)という言語の境界を引く事ができるというのである。 どれほどのことを考えることが出来るかという思考の限界と、どれほどのことを語りうるかという言語の限界とが一致するとウィトゲンシュタインは主張する。こうして、思考可能性の限界を画定しようとする試みがなされるのである。 ウィトゲンシュタインは、『論理哲学論考』の序文で自ら次のように記している。 本書は思考に対して限界を引く。いや、むしろ、思考に対してではなく、思考されたことの表現に対してと言うべきだろう。というのも、思考に限界を引くにはわれわれはその限界の両側を思考できねばならない(それゆえ思考不可能なことを思考できるのでなければならない)からである。 したがって限界は言語においてのみ引かれうる。そして限界の向こう側は、ただナンセンスなのである。 本当にそのようなことができるのであろうか。本書を読んで真偽を確かめてもらいたい。 思考が言語によって語られる(画定される)というのは、非常な驚きであった。しかし、カントのカテゴリー表を見たときに文法書のようであるという印象を受けたことを思い起こすと、思考と言語は密接な関係にあるのだと感じる。 認識論を軸として考察されてきた哲学が、言語論を軸とした考察へと転換する、そういう時代にウィトゲンシュタインは生きていた。フレーゲによって開かれた言語論による哲学の扉から一歩踏み出したのはウィトゲンシュタインであった

ポール・クルーグマン 「さっさと不況を終わらせろ」

本著に於いて、クルーグマンは、2008年金融危機を端緒としたアメリカの長期経済停滞をいかに脱してあるべき経済成長へと回復させるべきかを説いている。 経済停滞は様々な苦痛をもたらすが、もっとも深刻なものが失業問題である。職が無い人は、所得が無いからだけでなく、職業に就けないことを自分の価値の低下に感じることから、非常な苦しみを強いられる。人は職業を通じて、自らの社会における存在価値を確認して生きている。だからこそ、大量の失業は、大きな悲劇である。 本人の問題でなく経済停滞が原因であったとしても、長期の失業は、職業的なスキルを低下させ、また長期に職に就いていないという理由から雇うに不適当な者と見做されてしまうこともある。特に若者の失業は深刻である。長期経済停滞で、一度も職に就けないまま、スキルを身につけることもできず、雇うに不適当な存在と見做され、これが一生続くのである。好況と不況の時期に社会に出た若者の人生を調査すると、好況の時期に社会に出たものの方が出世し経済的にも裕福な生活を送っているのである。 では、長期経済停滞の理由は何かというと、それは消費者、事業者、政府が十分なお金を使っていないことからきているのである。技術も生産能力もあるのに、需要が不足しているというのである。そして対策はというと、需要を十分に大きい規模に増やせば、社会全体は技術も生産能力も有しているので自然に回り始めるというのである。そして、需要を増やすのは政府の役目である。これは、ケインズが20世紀初頭に説いた話と同じである。 この意見に対する態度は、様々であるが、当たり前すぎて不況への解答になっていないとか、不十分な需要で世界全体が苦しむのはありえないと否定する。そもそも人々は自らの所得を何かに使わざるを得ないのであるから、需要不足が起きる筈が無いというのである。 この意見に対してクルーグマンの出した「子守り協同組合」のアナロジーは、社会経済構造の要点を的確に説明しており面白い。社会全体の心理が悪化すると需要が不足するのである。: 若い議会職員(約150組)が、ベビーシッター代を節約するために、交代でお互いの子供の面倒を見る仕組みを作ったのである。互いが公平に子守を受け持つように、クーポン制にしてあった。子守をしてもらうときにクーポンを相手に渡し、自分が子守をするとクーポン