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コンラッド 「闇の奥」 3 アフリカ 静寂の中で

さらに奥地へと出発するまでの中央出張所で過ごす日々。アフリカ奥地の静寂は、穏和で平和なものではなく、神秘的で測り難い奥深さがあり、その静寂は、マーロウを自分自身への内面へと思いを向かわせる力を持っていた。「闇の奥」という題名がアフリカの奥地を示していると同時に、心の奥という意味を暗示していることがわかってくる。アフリカの過酷な自然の中では原住民でさえ平気でいられない、ヨーロッパから来たような男たちは1,2年で病に倒れてしまう。過酷な環境に体が耐えられる男でさえ、静寂の中で正気でいられなくなる。 なにも仕事好きじゃない、ーー誰だってそうさ、ーーただ僕にはね、仕事の中にあるものーーつまり、自分というものを発見するチャンスだな、それが好きなんだよ。ほんとうの自分、ーー他人のためじゃなくて、自分のための自分、ーーいいかえれば他人にはついにわかりっこないほんとうの自分だね。世間が見るのはただ外面だけ、しかもそれさえほんとうの意味は、決してわかりゃしないのだ。(p58) いったいこうした単に表面の偶発事にばかり注意していると、物の真実、ーーそうだ、真実というものは、影がうすくなる。幸いなことにーー内部の真実は隠れるのだ。(p69) マーロウは、自身の内面を見つめると同時に、クルツという男への関心も高まっていった。アフリカにまで流れてくる金目当ての男たちとは違い、クルツが有能であるばかりか志さえも優れた人間であったからである。文明人として立派な男であるクルツは人間を代表しており、この襲いかかるような静寂の中で人間はいったい何を思うのか、何をするのかが、問われている。 なにも特に興味をもったというわけじゃない。そんなことはないのだが、それにもかかわらず、僕は、なにか妙に興味があった。クルツというこの男、とにかくある道徳的信念をもってやってきたというのだが、果してそうした人間でも立身出世をするものだろうか、そしてまたそうした位置についた場合には、どんな風に仕事をやって行くものだろうか、それが知りたかったのだ。(p62) アフリカのジャングルの静寂は、情景描写されてはいない。私が頭に思い浮かべるアフリカのジャングルは、鳥や獣や昆虫の声、草木の揺れ動く音や河のせせらぎに満ちていて、それほど静かでもなかろうと思うのだが、「闇の奥」では、人を狂わせんばかりの押さえつ

コンラッド 「闇の奥」 2

マーロウは、河口から200マイルも遡った奥地へと入っていった。 人影一つない空虚の国を、踏みならされた小径が網の目のようについている。草野をよぎり、焼野をすぎ、叢林を抜け、夏なお寒い警告を下るかと思えば、炎暑にぎらぎら光る石塊山を上っている。寂寥、ただ寂寥、人一人見ず、小屋一つ見ないのだ。(p38) マーロウが雇われた会社は、象牙をアフリカの奥地から集めて売りさばいていた。マーロウが辿り着いた中央出張所では、原住民の黒人たちが会社の労働力として使われ、搾取されていた。黒人たちは周辺の村から徴集されてきて、容赦なく酷使され、体が弱るとそのまま道ばたに放っておかれた。 出張所の支配人は、クルツという男のことをしばしば口にした。中央出張所からさらに奥地へと行ったところにある出張所の責任者で、会社の上層部が一目をおく有能な人物であった。そのクルツのことを心配しているのである。 「闇の奥」 岩波書店 コンラッド著 中野好夫訳

コンラッド 「闇の奥」 1

「闇の奥」 岩波書店 コンラッド著 中野好夫訳 ロンドンのテームズ川、船の上で暇つぶしをする男たちに、船乗りマーロウは、自身が過去に行ったアフリカの奥地の話を始める。テームズ川の連想から出てくる遠くローマ人のことやイギリスの輝かしい船長たちの名前ーーこれらは少し読み進むと出てくる未開の地の河と、古くから文明の中にあるテームズ川との対比が示されている。 マーロウは、アフリカの奥地に行くことを思いつき、ある船会社を訪れる。会社の入り口に二人の女が座っているのだが、これからマーロウが向かうアフリカへの旅を暗示するかのように暗い雰囲気を漂わせていた。 奥地へ行ってからも、またしても僕はこの二人の女のことを思い出した、まるで暗い棺衣にでもするつもりか、一心に黒い編み物をしながら、「闇黒」の門を衛っている女、呑気な、お人好しの若者たちを、次から次へと、一人はたえず未知の国へ案内しつづけている、そして今一人は、例のあの冷ややかな視線を挙げては、一人一人その顔を観察しつづけているのだ。(p20) 会社と契約したマーロウは、船に乗りアフリカへと向かう。その旅路から既に、心浮かなず、憂鬱な気持をマーロウに抱かせていた。しかし、生気に満ちた黒人たちの姿を見た時、いくらかは心が紛れることもあった。それも長続きはしなかったのだが。 顔は奇怪な仮面をそのままーーだが、彼等にも骨格、筋肉、そして激しい生活力はあるのであり、その激しい活動力は、あの岸に寄せる波のように、自然であり、そして真実でもあるのだ。ここでの彼等は、完全に存在の理由をもっている。眺めているだけでも、大きな喜びだった。だが、それも長くはつづかない。(p26) これから向かうアフリカで経験する何かを暗示させる旅路だったわけである。 が、僕の胸には、妙に漠然とした、そしてなにか胸でも圧えられるような驚異が、いつもまにか、大きくひろがっていた。いわば悪夢の予兆の中をわけ入るとでもいうような、物倦い遍歴の旅だった。(p28) そして、目的とする河の河口に辿り着いたのだった。

スタンダール 「赤と黒」 14 最後の日々

マチルドとの恋のことで軽騎兵中尉にもなったジュリアンであったが、 ラ・モール侯爵からの問い合わせに対するレナール夫人の返信によって全てが破滅へと向かっていく。ジュリアンは衝動に駆られてヴェリエールの御堂でレナール夫人を鉄砲で撃ち、牢獄に捕らわれた。 撃ち殺してしまったと思っていたレナール夫人が生きていたことを知って、神に感謝する様子。 「ああ!あのひとは死んだのじゃなかった!」そう声を上げて叫び、そこにひざまずいて熱い涙の流れるままに泣いた。 この感激の刹那、彼は神を信じる気持ちであった。僧侶の偽善的行為がどうあろうとも、心理には、神という観念の崇高さには一抹の曇りもかからぬ。(第2部 第36章) 牢獄で自殺の誘惑に駆られるが、生を最後まで全うするという考えに辿り着く様。 それから数日後、彼は反省した。(おれの命はまだ五六週間くらいはあるだろうが、‥ ‥ 自殺?いや、それはいかん!ナポレオンは最後まで生命を全うしたんだ‥‥) (それに、生きていることは、楽しい。ここは静かだし、それにうるさい人間は一人もおらん)(第2部 第36章) 牢獄に面会に来た、かつての師シェランを目の当たりにして、シェランの衰えの中に死を感じて恐れる様。 犯罪のとき以来、これほどせつなく感じた瞬間はなかった。。彼はいま目前に死を見たのである。しかもその最も醜い姿において見たのだ。悠々せまらない英雄的な気持、そのさまざまの幻想も、嵐の前の雲のように吹き飛ばされてしまった。(第2部 第37章) 死への恐れに戦いていた時、友人フーケが自身の全財産を犠牲にしてジュリアンを助けようと奔走したことを知って、フーケの行為の中に崇高なものを感じて驚く。そして死への恐れから救われるのである。 この崇高なものをみたことが、シェラン師の姿を見て以来すっかり喪失していた意気をもとどおりに恢復させた。(第2部 第37章) レナール夫人を本当に愛していたことを初めて理解し、フランシューコンテで過ごした時期が本当に幸福であったことを知る様。 野心はもう彼の心の中で死んでしまって、その焼け残りの灰から別の情熱が生まれてきていた。そして、彼はこれをレナール夫人を殺しかけたことの後悔と呼んでいた。 事実、彼は無上に夫人が恋しかった。一人っきりでじゃまのはいる心配なしに、あの

スタンダール 「赤と黒」 13 ダントン

スタンダールは、ダントンの名前を何回も出している。同じようにフランス革命時代に活躍したロベスピエールとダントンであるが、ダントンは好意的に扱われている。 「あの人はダントンになるだろう!」と長い間ぼんやり夢みたあとで、そうつけ加えた。「ほんとに!革命がまた起きるからかもしれない。...」(第2部 第12章) 死刑の判決を受けたジュリアンの心を描くのにダントンを使っている。 (ダントンは断頭台に上りかけたときに細君のことを思い出して心が乱れたそうだ。しかしダントンはとにかくやくざな青二才ばかありかたまっていた国に力を与え、敵がパリに迫るのを防いだ男である。)(第2部 第42章)

スタンダール 「赤と黒」 12 マチルド その2

はじめジュリアンはマチルドを気にもとめず適当にあしらっていたのだが、マチルドの理性的な恋が数日の間で冷め始めた時に、逆にジュリアンがマチルドとの恋の虜になっていた。 永久の絶交を宣言したその次の晩から、ジュリアンはラ・モール嬢に恋していることを、どうしても自認せずにはいられなくなり、気も狂わんばかりだった。(第2部 第17章) マチルドは、ジュリアンのことを少し冷めた眼では見ていたが、偶にはジュリアンと親しく会話を交わしたりした。それは、彼女がジュリアンから見向きもされなくなるのではないかという懸念、彼女自分がジュリアンから見下される位置にいるのではないかということ、に追われてのことだった。 しかし、ジュリアンは、マチルドから冷たくされてどうしていいかわからなくなってしまう。 彼のいまの実に率直な、しかしまた実に愚劣な一言が一瞬のうちにすべてを変化させてしまった。マチルドは自分が恋されていることが確かになると、相手を完全にばかにしてしまった。(第2部 第18章) そんな複雑な恋の心理を見破るには、ジュリアンはあまりにも意気消沈し、ことに、あまりにも心が乱れきっていた。彼女の自分に対する好意などはなおさらのこと、てんで眼にはいらなかった。彼はその好意の犠牲者だったのだ。おそらく彼もかつてこれ以上激しい不幸を経験したことはなかったろう。(第2部 第19章) 不幸のどん底に落ち、自分ではどうすることもできなくなった彼であった。普段の彼であれば到底考えられないことであるが、ロシアの公爵コラゾフに恋の苦しみを打ち明け、コラゾフ公爵から聞いた対処の仕方を半信半疑で従ってみたところからマチルドの態度に変化が起き始める。 コラゾフから言われた通り、ジュリアンはフェルベック夫人に恋文を渡し、人に知られないようにしながら、フェルベック夫人を慕う素振りをしたのである。マチルドには、フェルベック夫人を慕う素振りがわかった。それで、マチルドの心は揺らいでしまった。いままでは、ジュリアンを無視することで優位を保てていたのが、逆に無視されてマチルドはジュリアンを無視できなくなった。 こうした激しい感動のさまを見せられて、ジュリアンはうれしいというよりあきれてしまっていた。マチルドの罵るのを見て、彼はロシア流のやり口がいかに賢明であるかがわかった。(めったに

スタンダール 「赤と黒」 11 カフェ

赤と黒においては上流階級や僧侶の世界が描かれているのだが、その中で数少なくも庶民の生活を扱うのにスタンダールはカフェを選んでいる。 フランシューコンテからブザンソンへ出てきた時、ジュリアンは神学校へ行く前に町を散策した。 一六七四年の包囲戦の歴史で頭をいっぱにしている彼は、神学校に閉じこもってしまうまえに、城壁や保塁を見ておきたいと思った。(第24章) ジュリアンはカフェを訪れた。 高い城壁、外堀の深さ、大砲の威嚇的な様子などに、数時間は魂を奪われている形だったが、ふと彼は大通りにある大きなカフェの前を通りかかった。彼は眼を丸くして立ちどまった。(第24章) カフェの中でジュリアンはカウンターの中にいるアマンダからコーヒーと砂糖とパンをもらい、会話を通して彼女と仲良くなった。カフェの中では、市井の男たちがビリヤードに興じていて、その中の一人、フロックコートの青年とジュリアンはいざこざを起こしそうになる。アマンダが気を利かせてくれたお陰もあり、にらみ合いがあっただけで事なきを得た。

スタンダール 「赤と黒」 10 マチルド

ジュリアンは侯爵のサロンで娘のマチルドに出会う。マチルドは、美しく、才知もある少女であったが、世の中を冷めた目で見ていた。それは、恵まれた境遇に生まれた美貌と理知的な女性が、日々の生活に退屈をし、周囲に集まる人間に退屈をしている姿である。 ほとんどそれと同時に、素晴らしい金髪で、大そう姿のいい若い女が、自分の向かいがわに坐るのを彼は見た。好ましいところはなかったが、よく見ていると、こんなに美しい眼は、かつて見かけたことがないと思うようになった。しかしその眼は恐るべき心の冷ややかさを物語っていた。時がたって、ジュリアンはこの眼には、退屈しのぎにひとの観察をはじめるが、すぐすましていなければならなかったことに気がつく、そういう表情があることを知った。(しかし、レナール夫人の眼も随分きれいだったな。みんながよくほめそやしたものだ。だがこの眼と同じようなところは少しもなかった)とジュリアンは思った。彼はまだ十分世間に慣れていないので、マチルド嬢ーーみんなそう呼んでいたーーの眼の中に、ときどき光るのは、才智の閃きであることがわからなかったのだ。ところが、レナール夫人の眼が輝くのは、情熱のほのおか、それとも何かよからぬ行為に対する義憤の結果であった。(第2部 第2章) マチルドは才知のある女性であるがために、彼女の周囲に集う青年貴族たちの知性に満足できず、退屈な日々を送っており、そこへ突如ジュリアンが登場したのだった。ジュリアンは、生まれが貴族でないという点を除けば、知性や勇気や気概の点で青年貴族たちよりも優れていた。 彼女は理性による恋をした。彼女の恋にはモデルがあった。それは、一五〇〇年代のマルグリッド・ド・ナヴァールとラ・モールとの悲恋だった。この昔の悲恋物語に自分を重ねることで頭の中に恋を描き出し、それに恋をした。 (ジュリアンとあたしの間には結婚契約の署名もなければ、町方風の式を挙げるための公証人もいらない。何もかもが英雄的で、すべてが英雄的だ。あの人には爵位がないが、それを別にすれば、マルグリッド・ド・ヴァロア当時第一の人物といわれた若いラ・モールを愛したのと同じことだ。)(第2部 第12章) (熱烈な恋愛もせずに、あたしは十六から二十までの人生で一ばん楽しいはずの時を退屈になやんできた。一ばん楽しい幾年かをもうなくしてしまったーーお母さま