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ブレヒト 「三文オペラ」 乞食のオペラ

自分の娘を取られた乞食の親分ピーチャムが、相手の盗賊の首領マクフィスを罠に落としいれる。幾度かの脱獄の後、マクフィスは死刑に処せられることになるが、間際に特赦が出て爵位と褒章までが贈られる。 盗賊も、乞食の親分も、周囲にいる者から見るとかなりに裕福な暮らしをしていることからもわかるのだが、最下層の人たちを登場させてはいても、どうもブルジョア階級を皮肉った物語のようである。盗賊たちの婚礼の宴の下品な様子などは、成り上がりの階層の教養の無さや素性の悪さを皮肉っているのだろう。 乞食たちも、フランチャイズ的な商売で乞食をやっており、上納金を支払うことを約束した親分との契約が結ばれると、組織的に商売する場所があてがわれ乞食の変装(足が悪くないのに悪いように見えるものなど)が支給される。ブルジョアたちのビジネスも全体こんな詐欺まがいのものではないかと言わんばかりである。 盗賊マクフィスは、警視総監と裏で結びついていて、法の網から逃れられるように情報をもらい、代償として稼いだものから一部を渡している。自らの婚礼にも警視総監を招待しているほどである。そんなマクフィスであったが、ピーチャム一党による乞食パレードの圧力に警視総監が屈して、絞首刑に処せられることになる。刑の執行の間際まで、マクフィスは金の力で官吏を買収して逃れようとあがくが、乞食たちの力でそれもできず、とうとう絞首台にあがることになる。しかし、刑の執行の直前に国王の特赦が出て、爵位と褒章までが約束される。この最後のどんでん返しは、唐突な感じで、筋の強引さに違和感を覚える。何故、特赦が出たのかわからないのである。しかし、逆に、そこにこの世の矛盾を表そうとしているのかとも思える。 「三文オペラ」 岩波文庫 ベルトルト・ブレヒト著 千田是也訳

「ニーベルンゲンの歌」 運命との闘い

歴史を紐解けば、紀元437年にゲルマン人のブルグンド族がフン族に滅亡されたことが記されているが、これを下敷きにして中世末期の13世紀頃に書かれた一大叙事詩である。全編が4行詩の形で歌われており、美しい形式を持っている。日本語訳にしても、その一部を確実に味わえるのであるから、もし原語がわかるならば、きっと素晴らしい感銘を味わえるのではないかと思う。 ライン河畔ウォルムスに都するブルグント国は、繁栄を誇っていたが、勇者ジーフリトと王女クリエムヒルトの恋とそれに続くジーフリトの死を端緒として、破滅へと向かっていくのである。 ニーデルラント国の王子ジーフリト(ジークフリート)は、竜退治までやり遂げた不滅の勇士で、しかもニーベルンゲン国を倒してその国の至宝も手に入れた王者でもある。ジーフリトは、ブルグント(ブルグンド)国のまたとなき美しき王女クリエムヒルトに求婚し、王女の兄グンテル王を助けたことで結婚を許される。その後、ニーデルラント国王ともなり、力、愛、富の全てを手にした二人は幸福の絶頂を迎えた。 しかし、兄王グンテルの妃にそれを妬む心があった。それを知ったグンテルの忠臣ハゲネは、ジーフリトを暗殺するのである。ハゲネの提案に、王室の者は反対もしたが、結局グンテルは暗殺を決意する。竜退治の際に全身に竜の血を浴びたジーフリトの肌は、どのような剣も跳ね返す鋼のように硬かった。しかし、竜の血に触れなかった弱点があって、それを知られたジーフリトは、ブルグント王室の狩の最中にハゲネに暗殺される。最愛の王を失ったクリエムヒルトは悲嘆にくれ、そして兄王やハゲネが暗殺したことを知り復讐を誓うのであった。 クリエムヒルトは、フン族の国王エッツェル(アッチラ)から求婚され、フン国の王妃となる。王妃という権力を使い、ブルグント国王をフン国宮廷へと招待し、ジーフリトが亡くなって10余年経って、その復讐を果たす機会が訪れた。 ハゲネは、クリエムヒルトの招きを罠であると見抜き、フン国行きに反対したが、ブルグント国王グンテルは、武力を誇るフン国王エッツェルの招きを断れなかった。グンテルは、王族とその家来数千人でフン国を訪れる。ブルグント勢は、クリエムヒルトに唆されたフン国の家来と壮絶な闘いを繰り広げたが、いかに勇猛果敢な勇者揃いといえども多勢の前に力尽きてしまう。

小林秀雄 「セザンヌ」

画家セザンヌは、キュービズムなどの先駆者として現代美術の父という位置づけで語られることが多いが、小林秀雄はセザンヌをそういうようには見ていない。 セザンヌが掴みたかったのは、自然の瞬間の印象ではない、自然という持続する存在であった。(p.122) セザンヌは、自然の中にある確としたものをカンバスに描こうとしたのだ。我々は、物を見ているようで全く見ていないことを、画家が描く絵画を見て痛感させられる。本当に有るがままの自然を、そのままに見ることがどんなに難しく、また、どんなに苦しいことであるか。何か目前にあるものを試しに見てみればわかる。見れば見るほど今まで気づかなかった仔細が見えてくるが、同時に非常な疲れと苦しみを感じてくる。そして、耐え切れずに目を逸らしてしまう。自然は圧倒的に強い存在で、目から侵入して、見る者を烈しく打ちのめしてしまうのだという。むき出しの画家の感官が、自然に捉われるのだという。 印象派の画家たちは、自然のありのままを描こうとしたが、実際には、光を描いていたに過ぎない。一瞬の光の煌きが捕らえられているが、果たしてそれはものそのものといえるのだろうか。時間を経ても変わりなくそこに存在するもの、それこそがものそのものではないのか。セザンヌ描く静物画には、そのような、対象となるものの実体が写し出されているように感じられる。 小林秀雄の作品は、上で紹介したような浅薄なものではない。筆致できない深い洞察による内容が書かれていて、汲めども汲めども尽きることの無い泉のようである。自分でゆっくりと読まれることをお勧めしたい。 「人生について」 中公文庫 小林秀雄著

小林秀雄 「信ずることと知ること」

「信ずることと知ること」は小林秀雄の講演の内容を文章にしたもので、中公文庫から出版されている「人生について」という本に収められている。現代人、とりわけ理性的な人は、科学的なもののみを思考の対象としているが、世の中で経験される合理的・科学的でないものをどう考えるのかということが取り上げられている非常に刺激的で示唆に富んだ読み物である。 我々現代人は、合理的精神で説明がつかないものをナンセンスだと言って嘲笑し、思考から捨て去っている。合理的であることは、近代社会の中で効率的に生活していくうえでは重要なことであるが、果たして捨て去ったところにあるものをどうすればいいのだろうか。確かに、科学で説明できないことが、我々の周りでは経験されているのではないか。 小林秀雄が強い影響を受けた哲学者ベルグソンのことが引用されている。ある講演会にてベルグソンが聴講していたときに、超自然現象に関する話題で質疑が行われた。ある婦人は、夫が戦死した時刻に、夫の死ぬ様子を夢に見たのだという。これに対してある医者が、その婦人の事例に直接触れず、世の中には他に幻を見たけどそれが誤りだった事例がたくさんあると答えた。それを聞いた別の若い女性が「先生のおっしゃることは論理的には正しいかもしれませんが、何か先生は間違っていると思います。」といったそうである。ベルグソンもその若い女性が言っていることが正しいと思ったという。 その医者は、婦人の話を直接扱わないで、別の問題にすり替えてしまったわけである。しかしその婦人は、自分が実際に経験したことを話したわけである。科学者は経験を尊重しているが、それは我々が普通に経験しているものとは違う科学的な経験に置き換わっている。科学は、我々が生活の上で行っている広大な経験を合理的な経験に置き換え、計量化できるものだけを扱っている。科学はその計量化された経験だけに集中したが故に、大きな成功を収めているのだが、反面、切り捨てられている経験がそこにはあるはずである。 こうしてベルグソンや著者が話していることは、普通の意味で理性的に話している。しかし、それは科学的な理性ではないのである。我々が持って生まれた理性を、科学的な方法に置き換えている。科学のその狭い方法では扱えないものがたくさんあるのではないか。 自分は、合理的であることという現