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江戸文化歴史検定協会 「江戸博覧強記 上級編 (江戸文化歴史検定公式テキスト 上級編)」

江戸の生活、文化が概観できる。将軍や大名に始まり、旗本や大名の家来など武士の生活、市井に住まう町人の暮らしに至るまで実に様々な人々が説明されている。江戸文化歴史検定の教科書ではあるが、検定とは関係なく、文化歴史を知るという立場で読んでみた。 全体的に詳細に説明がされていて面白いのであるが、特に、大名や旗本・御家人、幕臣など、文学や落語などの文芸作品で名前は出てくるものの、その暮らしぶりがどうであったかをよく知らなかった階層について興味深かった。 例えば、大名の中で、老中など幕府体制の中枢を担う職へ就く者の動向がどうであったとか、大名の家格がどういうしきたりによって扱われていたかなどは、なかなか知りえない話だと思う。 旗本や御家人の家屋や家来の構成、江戸市中を往来する際のしきたりなどを読むと、落語の「かぎや」に出てくる旗本の背景がわかってきて、作品の理解に深みが出るように思った。 また、大名の参勤交代に同行して江戸詰めをしていた武士達の様子も面白い。職務の休みを利用して、歌舞伎や江戸見物を楽しみ、規則や門限を破ってまでも執拗に外出をしている武士の記録などが紹介されており、武士の中の一例であるとは思うが、当時の風潮が感じられた。 「江戸博覧強記 上級編 (江戸文化歴史検定公式テキスト 上級編)」  小学館  江戸文化歴史検定協会

ポール・ケネディ 「大国の興亡」 4 オランダ 経済繁栄と地理的要因による衰退

オランダのような限られた国家資源にも関わらず貿易や工業によって経済的に繁栄した国の興亡を見るのは、我々日本にとっても参考になる点が多いと思う。 オランダは、人口も国土も限られた国であったが、西暦1500年からの1世紀間にヨーロッパ内でもヨーロッパの外にもにらみがきく大国へとのし上がってきた。オレンジ公ウイリアムに率いられ、1579年ユトレヒト同盟を結成し、1581年ネーデルランド連邦共和国の独立を宣言している。1648年のウエストファリア条約で、実質的には独立していた状態を、国際的に正式に認められるに至った。 オランダは、ヨーロッパの他の国々と違い、共和制による寡頭政治を行っていた。オランダ軍は訓練が行き届いており、さらにナッサウのマウリッツという名将に指揮されて軍事的に強力な存在になってき。 オランダの最大の特徴は、国の基盤を貿易と工業と金融においていたことである。世界経済の発展とともに、オランダの経済基盤も発展していくのである。オランダは、ハプスブルグ家の支配を脱すると人口が増えた上に、難民として集まってきた資本家、職人、教師、熟練労働者によってアムステルダムは国際貿易の中心地となった。それまで国際貿易における中心は地中海で、トルコからベネチアを経由してオランダの工業地帯へと交易品は流れていたが、次第に貿易の中心が大西洋へと移ってきていた。つまり太平洋から直接的にオランダへと交易品が流れるようになった。さらに、アフリカやアメリカ、アジアへと次第に広がっていく海外貿易の恩恵も受けることになった。こうした背景もあり、アムステルダムの国際金融における役割も大きくなっていった。 次の時代、1660年から1815年までの時代、それまでの大国であったオランダは、オスマントルコ帝国、スペイン、スウェーデンなどの国と同様に一流の座から転落していく。代わってルイ14世に率いられたフランスが最強国へとのし上がっていくのである。 この時期、アムステルダムは世界最大の金融の中心地であったが、オランダが大国の座から滑り落ちることを防ぐことは出来なかった。財政的な面だけでは大国の座は支えられなかったのである。オランダの凋落の原因を調べるには、国際関係における地理的な条件を見ていく必要がある。 地理的な要因とは、気候、天然資源、農業の豊かさ、交易ルートに恵まれて