E.H.カー 「歴史とは何か」 1 歴史とは

歴史とは何か。歴史は過去の事実の記録ではなかろうかと余り深く考えもしないで信じているのに気づかされる。

19世紀は事実尊重の時代であったと著者は書いている。ランケという人は、歴史家は
「ただ本当の事実を言うだけである」(p.4)
と述べたとあるが、これは現代でも普通に見受けられる歴史への態度を代表しているように思える。誰の眼に見ても同じに見える歴史を書かなくてはいけないし、それは書くことができると、19世紀の歴史家たちは考えていたそうである。サー・ジョージ・クラークという人は、「事実という堅い芯」「それをつつむ解釈という疑わしい果実」という言い方で、事実尊重の態度を示し、歴史家による解釈を軽視した。

しかし、よく考えてみると「本当の事実」とは何かということは非常に難しい。著者は、シーザーがルビコン河を渡ったという事実と、部屋にテーブルがあるという事実は、両方とも事実ではあるが歴史家の観点では同列には扱えないという言い方で、歴史における「本当の事実」という論点を浮き彫りにしてくれる。歴史における「本当の事実」となるには、歴史家による評価と批判をくぐり抜ける必要がある。その事実を歴史家たちが歴史的に重要だと認識する必要がある。

事実というのは、歴史家が事実に呼びかけた時にだけ語るものなのです。いかなる事実に、又、いかなる順序、いかなる文脈で発言を許すかを決めるのは歴史家なのです。(p.8)

また、「本当の事実」に関する別の困難さをも教えてくれる。例えば、紀元前5世紀にギリシャとペルシャが戦ったペルシャ戦争について、我々は多くのことを知っている。しかし、ペルシャ戦争当時のギリシャは、アテネ市民によって書かれたアテネ市民の観点からの姿しかわかららない。スパルタ人やテーベ人、奴隷などの目に、当時のギリシャがどういうように映っていたかは殆ど知ることができないのである。記録が失われたもの、あるいは書かれなかったものからは何も知ることができない。

逆に、現代へ近づけば近づくほど、記録された事実は膨大なものへとなっていく。これらの中から歴史的な事実を拾い上げることも非常な困難を伴う。解釈をやめた歴史家は、事実の蒐集家となってしまうという言い方を著者はしている。

歴史は、事実だけをただ列挙するだけではできない、歴史家の頭の中で再構成される必要がある。再構成の過程が、事実の選択と解釈を行う。

オークショット教授が申しますには、「歴史とは歴史家の経験である。これは歴史家だけが『作った』もので、歴史を書くのは、歴史を作る唯一の方法である」(p.27)

こうなってくると、歴史を読む際には、それを書いた歴史家のことをよく知っておく必要が出てくるというのである。しかし、それだけではない。歴史を考えるには、次に挙げるような点に注意が必要だと著者が指摘している。

歴史上の事実は純粋な形式で存在するものでなく、また、存在し得ないものでありますから、決して「純粋」に私たちへ現れてくるものではないということ、つまり、いつも記録者の心を通して屈折してくるものだということです。(p.27)

歴史家は、自分が研究している人々の心を、この人々の行為の背後にある思想を想像的に理解する必要がある、ということであります。(p.30)

現在の眼を通して出なければ、私たちは過去を眺めることも出来ず、過去の理解に成功することも出来ない、ということであります。(p.31)

我々が歴史を眺めるとき、直接には眼に飛び込んでこない、陰に隠れている歴史家や当時の人々の思想、さらに、自分が置かれている現在の状況、これらを考慮して始めて歴史を深く知ることが出来るということらしい。

最後に、著者による歴史とは何かについての一つの答えは次のように書かれている。
歴史家は現在の一部であり、事実は過去に属しているのですから、この相互作用はまた現在と過去との相互作用を含んでおります。歴史家と歴史上の事実とはお互いに必要なものであります。事実の持たぬ歴史家は根もありませんし、実も結びません。歴史家のいない事実は、生命も無く、意味もありません。そこで、「歴史とは何か」に対する私の最初のお答えを申し上げることにいたしましょう。歴史とは歴史家と事実との間の相互作用の不断の過程であり、現在と過去との間の尽きることを知らぬ対話なのであります。(p.40)

歴史は現在との関係において意味があるものであり、そういう意味では、時代とともに或る歴史的事実の評価は変化することになる。現在を生きる歴史家によって、過去の歴史は問い続けられるが、同時に現在の意味も問われ続ける。それは不断の問いかけであると。歴史とは、人間という存在の本質に関わることなのだと改めて気づかされる。


「歴史とは何か」 岩波新書 E.H.カー著 清水幾太郎訳


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