小林秀雄 「本居宣長」(上)(下) 1 思想劇

小林秀雄が、本居宣長について、冒頭に近い部分で

宣長という謎めいた人が、私の心の中にいて、これを廻って、分析しにくい感情が動揺しているようだ。(p.10)

と書いている。読者にとって「本居宣長」という作品も、まさに謎めいているが、そこから尽きせず汲み上げられる新しい発見に驚かされ、うまく言い表しがたい感情に長く心が揺り動かされてしまう、そのような作品ではなかろうか。では、その魅力の源泉は、どこにあるのだろうか。

或る時、宣長という独自な生まれつきが、自分はこう思う、と先ず発言したために、周囲の人々がこれに説得されたり、これに反撥したりする、非常に生き生きとした思想の劇の幕が開いたのである。この名優によって演じられたのは、わが国の思想史の上での極めて高度な事件であった。(p.26)

著者が簡明に語っているが、まさにそういうことなのであろう。「本居宣長」を通じて読者は、小林秀雄によって註解された、「わが国の思想史の上での極めて高度な事件」に、出会うのである。これほど心を揺り動かされるような事件が他にあるだろうか。

本居宣長は、言わずと知れた江戸中期の国学者である。宣長が現れる前の思想界はどうであったのか。江戸時代に入る前、日本は戦国時代と呼ばれる時期であった。

兵乱は、決して文明を崩壊させはしなかったし、文明の流れを塞き止めもしなかったという、この時代の、言わば内容のほうが、余程大事なのだ。(p.82)

戦国の世でも日本の文明は死に絶えるどころか、脈々と生き続け、天下平定で兵乱が収まると、安土桃山の絢爛な華を咲かせたのであった。戦国の世は「下克上」という言葉で言い表されるように、実力のある者が有名無実となっていた既成制度の「位」を押しのけ、のし上がった時代であった。「下克上」というと、下にある者が上のものに克つという意味であるが、大言海という国語辞書では「下克上」を「でもくらしいトデモ解スベシ」と言っていると、著者は指摘している。実力ある者が、名ばかりの者を排して上に登るということを、積極的に現代的に捉えたうまい解釈だと感心する。

日本の歴史は、戦国の試練を受けて、文明の体質の根底からの改善を行った。(p.84)

「下克上」を体現した豊臣秀吉の天下統一によって社会的な動きは一応収拾したが、精神界への波及は100年ほど遅れて来た。著者が紹介する中江藤樹という人は、貧農に生まれながら独学だけで江戸前期を代表する儒学者にまでなった人である。当時としては、考えられないようなことであったらしい。

彼は、天下と人間とを、はっきりと心の世界へ移した。眼に見える下克上劇から、眼に見えぬ克己劇を創り上げた。(p.86)

この中江藤樹から契沖と経て、本居宣長へと日本思想の流れが続くと、著者は説明している。


「本居宣長」上・下 新潮文庫 小林秀雄著



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