小林秀雄 「本居宣長」(上)(下) 5 古事記

古事記は、神代のことを伝える書であり、それゆえに源氏物語のような物語とは異なる。しかも、この点が古事記を読む者たちを混乱させる。理性では理解し得ない神代の伝説(つたえごと)を如何に扱うべきか、あるいはどう折り合いをつけるべきか、それは宣長と同時代の学者たちにとっても同じであった。神代の伝説を真実として受け入れるべきか、それは理性とどう折り合いがつくのか、神代の伝説を真実として受け入れられないとすれば古事記自体をどう受け入れるべきか。古事記は、読む者の理性に解けぬ謎を出して来る。学者自らが頼りとする自身の「さかしら」な理性に足を取られ、古事記の世界へ入っていくことができなくなるのである。「さかしら」が学者と古事記との間に介在し、学者が古事記に直に近づくことを阻むのである。

宣長は、源氏物語を通して会得した道を真直ぐに歩いて、行ける所まで行ってみた。その様子が以下のように説明されている。

彼は、神の物語の呈する、分別を超えた趣を「あはれ」と見て、この外へは、決して出ようとはしなかった。忍耐強い古言の分析は、すべてこの「あはれ」の眺めの内部で行われ、その結果、「あはれ」という言葉の漠とした語感は、この語の源泉に立ち還るという風に純化され、鋭い形をとり、言わばあやしい光をあげ、古代人の生活を領していた「神(あや)しき」経験を描き出すに到ったのである。(p.155)

ここに言われる「古代人の生活を領していた『神(あや)しき』経験」という深い感覚を掴めないと、先へ進むことができない。著者はこの古代人の経験について、以下のようなヒントを与えてくれる。

上古の人々は、神に直に触れているという確かな感じを、誰でも心に抱いていたであろう。恐らく、この各人各様の感じは、非常に強い、圧倒的なものだったに相違なく、誰の心も、それぞれ己の直観に捕らえられ、これから逃れ去る事など思いもよらなかったとすれば、その直観の内容を、ひたすら内部から明らめようとする努力で、誰の心も一ぱいだったであろう。この努力こそ、神の名を得ようとする行為そのものに他ならなかった。そして、この行為が立ち会ったもの、又、立ち会う事によって身につけたものは、神の名とは、取りも直さず、神という物の内部に入り込み、神の意(こころ)を引出して見せ、神を見る肉眼とは、同時に神を知る心眼である事を保証する、生きた言葉の働きの不思議であった。(p.113)

古事記の最初には、神の名前しか記されていない。それは、我々現代人には不思議なこと、もしかすると無意味なことにさえ感じられるかもしれない。だが、神の名が持つ力、神の名を求める意味、それが著者によって説明された通りである。

古事記は神代の伝説(つたえごと)が書かれたものであるが、では、宣長は、神代の伝説(つたえごと)に対して、どのような考え方を持っていたのか。話言葉による伝説(つたえごと)は信頼にたるのか、あるいは、書き言葉ほどの信憑性はもてないのか。それは、古事記に対する根本的な態度にも影響する重要な問いであった。

「文字は不朽の物なれば、一たび記し置つる事は、いく千年を経ても、そのままに遺るは文字の徳也、然れ共文字なき世は、文字なき世の心なる故に、言伝へとても、文字ある世の言伝へとは大に異にして、うきたることさらになし、今の世とても、文字知れる人は、万の事を文字に預くる故に、空にはえ覚え居らぬ事をも、文字しらぬ人は、返りてよく覚え居るにてさとるべし、殊に皇国は、言霊の助くる国、言霊の幸はふ国と古語にもいひて、実に原語の妙なること、万国にすぐれたるをや」(p.211)

宣長は、文字が無い時代に生きた人々の言伝えは、信ずるに足るものであると言っているし、私もそうであろうと思う。この態度は、言葉が持つ奥深さを如何に理解するかということにも繋がっていると思う。それが「言霊」という言葉で表現された部分ではなかろうか。


「本居宣長」上・下 新潮文庫 小林秀雄著



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