魔の山 8 セテムブリーニ

サナトリウムで療養している中の一人、イタリア人セテムブリーニは、「栗色の髪をしたほっそりとした紳士で、黒い口ひげを美しくひねりあげており、明るいべんけい縞のズボンを」はいていた。ハンス・カストルプは彼と対面して、「眼のまえの人物が紳士であることをはっきりと感じた。その外国人の教養のありそうな顔つきと言い、自由で美しいともいえる態度といい、それを少しもうたがわせなかった。」彼は文学者であった。

サナトリウムを批評的に冥府と表現した。顧問官ベーレンスと代診クロコフスキーの二人の医者をミノスとラダマントュスになぞらえ(冥府の最高裁判官)、サナトリウムを冥府と呼んだ。
「冥府を訪れたオデッセーのように。なんという大胆さでしょう、亡者どもが酔生夢死をしている深淵へおりてこられるとはーー」(p104)
ハンス・カストルプの口から偶さか出た悪魔という言葉を掴まえて、悪魔を引き合いに出しながら話を続けていく。話は婦長フォン・ミュレンドンクのことになり、今度は中世が出てくる。
「敬愛するあなた、ここにはあなたが『中世の感じ』と呼ばれるものが、他にもいろいろとありますよ。」(p110)
セテムブリーニは、著者から「悪魔」というあだ名をもらっているが、中世的なものに批判的であり、中世的なものに理性で対抗していこうとする立場にあることを窺わせる。イタリア人、ルネサンスの合理性の象徴である。
「私にいわせると、辛辣は闇黒と醜悪の力に対する理性の武器、もっともかがやかしい武器です。辛辣は、あなた、批判の精神であり、批判は進歩と啓蒙の根源です」。そして、たちまち、ペトラルカのことをしゃべりはじめ、ペトラルカを「近代の父親」と呼んだ。(p111)
セテムブリーニにとってサナトリウムは理性的でない社会で、それだから中世的で、冥府でもあるのだろう。彼はしっかりと生きることを要求する。理性的に生きること、彼にとってはそれは批評をしながら生きることであった。サナトリウムに生活する人々が、それをやめていることを彼は感じ取っていたのだった。
「それは鈍感というものです!」とイタリア人はいった。「批評しなさい!自然はそのためにあなたに眼と悟性をあたえたんですから。」(p115)

「魔の山」 岩波文庫 トーマス・マン著 関泰佑、望月市恵訳




コメント

ディラン2009 さんの投稿…
なつかしいですね。
若い頃読みました。
長い作品でしたが、何回も読み直しました。
今も、セテムブリーニのあのおしゃべりが聞こえてきそうです。

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