オルテガ 「大衆の反逆」 

オルテガは、ヨーロッパ社会で大衆が完全に社会的権力の座についている事実を指摘した上で、大衆は自分自身を指導することもできず、まして社会を支配することなど到底無理であるのだから、この事実は社会が危機に見舞われていることを意味していると警告している。

オルテガは、大衆という言葉を「平均人」という意味で使っており、今の社会に生きるほとんど全ての人はこの部類に含まれてしまうと思う。オルテガは社会を構成する人々を優れた少数者と大衆とに分けて考えている。優れた少数者は自らに多くのことを課して困難や義務を負う人々であるのに対して、大衆は自らに特別なことは課さず、与えられた生をただ保持するだけで自己完成の努力をしない人々である。これは、貴族と平民という分け方とも異なっている。

世が大衆化するまでは、政治は優れた少数者によって舵取りがなされてきた。しかし、大衆化した世界では大衆が政治の座にもついているのである。しかも、自ら社会を支配することは無理だというのにである。


大衆とは何者であろうか。オルテガは、大衆の典型を近代の知識人の代表である科学者に見るのである。科学者は大衆人の典型ということになるのだが、それは偶然のせいでもなければ、めいめいの科学者の個人的欠陥によるものでもなく、科学、それは近代文明の基盤であるが、そのものが、科学者を自動的に大衆に変えていくのだという。

科学者は近代の原始人、近代の野蛮人になってしまっている。ガリレオなどの数世紀前の科学者は別として、近代の科学者は、良識ある人間になるために知っておくべきことのうち、ただ一つの特定科学を知っているだけで、しかもその科学についても、自分が実際に研究している分野にしか通じていない。近代は科学によって物質的な豊かさを実現したが、同じ科学によって人が大衆化されてしまったのだという。



「大衆の反逆」 白水社 ホセ・オルテガ・イガセット著 桑名一博訳





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