安部公房 「第四間氷期」 未来と向き合うとき

この作品が執筆されたのは昭和33年(1958)前後であるが、先見性のある著者は、現在の我々にとっても大きな影響を持つ人工知能、バイオテクノロジー、地球温暖化などの科学的で社会的でもある課題を取り上げ、近未来を描いていく。

主人公の勝見博士は予言機械、いわゆる人工知能を研究開発する研究者であるが、予言機械を開発していることが原因となって、謎の事件に巻き込まれていく。

勝見博士たちの予言機械には、競争相手があった。朝鮮戦争や冷戦という時代背景もあり、共産主義国のモスクワ1号、2号という予言機械がその相手である。

モスクワ1号、2号も勝見博士の予言機械も、実に近未来を予測し、見事に成功を収め始めた。

予言機械《モスクワ1号》によって、人類はたしかに未来をこの目で見てしまったのだ。

しかし、予測が当たり始めると、予言機械の開発を止めるように研究所の上層部から圧力がかかるのである。予測が当たると、実社会の政治や経済に大きな影響を与え、取り返しのできない事態に陥ってしまうからであった。

そこで、どうしても研究開発を継続したい勝見博士は、政治経済に影響を与えないはずと考えた普通の個人の未来を予測することにした。研究対象は無作為に抽出されていなければ科学的と言えず、そのため助手の頼木と二人で街を歩き偶然に出会った特徴の無い標準的と思われる中年男性を選んだ。

ところが、その中年男性が彼らの隠密の追跡中に、殺されてしまう。ここから物語は緊張感を読者に与えながら、勝見博士を次第に暗澹な運命の罠へ落としていく。詳しい話はここには書かない。

先にも書いたが、科学的で社会に大きな影響をもたらす大きな課題が扱われている。これらの課題を安部公房のような叡智によって分析すると、この物語に書かれたシナリオが導き出されるのかもしれない。

しかし、我々読者は、著者からの問いかけに真剣に向き合わざるをえない。

人工知能によって予測可能になった社会はどのように人間の目に映るのか?予測されたものが社会的な危機であっても人間はそれを受け止めて、冷静な判断ができるのか?社会を救うために判断された結論が非人間的であっても、遂行すべきなのか?あるいは座して何もせず滅亡を待つべきなのか?

暗澹とした未来、著者からの問いかけに、読者は苦悩の連続を強いられる。

ここで問われているのは、未来を予測することではない。未来といかに向き合うかという事である。

科学者である勝見博士は、自分自身で完成させた予言機械の提示する未来を拒絶する。科学が作るものでも、自分の許容範囲でなければ信頼できないのだ。それは、自分の行為の意義や意味を理解せず、ただ方法だけを信奉する技術屋、職人の姿である。

自らの行為の結果を引き受けて生きることができるのは、自らの行為を観照し自省する哲学者によってのみ、可能ではないだろうか?


予言機械をもつことで、世界はますます連続的に、ちょうど鉱物の結晶のように静かで透明なものになると思いこんでいたのに、それはどうやら私の愚かさであったらしい。知るという言葉の正しい意味は、秩序や法則を見ることなどではなしに、むしろ混沌を見ることだったのだろうか


重要な登場人物である和田勝子は次のように話す。

私、人間がどうしても生きていかなければならない、訳が分からない」

誰にも、著者にも、未来とどう向き合うべきか答えはわからないのだと思う。

未来が、今までのように単なる青写真ではなく、現在から独立した意志をもつ、狂暴な生きもののように思われた。

あとがきに、著者からのメッセージが残されている。

未来は、日常的連続感へ、有罪の宣告をする。この問題は、今日のような転形期にあっては、特に重要テーマだと思い、ぼくは現在の中にらん入してきた未来の姿を、裁くものとしてとらえてみることにした。日常の連続感は、未来を見た瞬間に、死ななければならないのである。未来を了解するためには、現実に生きるだけでは不充分なのだ。日常性というこのもっとも平凡な秩序にこそ、もっとも大きな罪があることを、はっきり自覚しなければならないのである。

おそらく、残酷な未来、というものがあるのではない。未来は、それが未来だということで、すでに本来的に残酷なのである。その残酷さの責任は、未来にあるのではなく、むしろ断絶を肯んじようとしない現在の側にあるのだろう。

現在と未来の間には断絶があり、我々が日常生活で安心を感じている日常性つまり連続性は断絶の中で失われる。未来は未来に生きる人の視点でしか見るべきではない。我々の日常を延長しても、そこには未来はない。著者は読者に厳しい問いかけをしている。この物語を読んで苦悩を経験したとすれば、それは著者との終わらない対話を始めることができたのではあるまいか。

「第四間氷期」 新潮文庫 安部公房著

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