キプリング 「少年キム」 自分を探して

キム(Kimball Ohara)は、アイルランド系イギリス人将校とイギリス人女性との間にインドで生まれた少年であった。幼い時に両親と死に別れたキムは、人種のるつぼインドで誰も身寄りのない中ただ一人で生き抜いてきた。

イギリス人の血を引いているが、イギリス文化には全く触れずに、インド社会にもまれて成長したキムはイギリス人でもインド人でもない不思議な存在であった。英語の読み書きはほとんどできないし、イギリス文化をほとんど何も知らなかった。逆にインドの風習やインド人の習俗については現地人と同じくらいに理解していたが、インドの文学や学問を習得していたわけでもなかった。

時は、イギリスがインドを植民地として支配し、ヨーロッパ列強と覇権争いをした帝国主義の時代であった。数多くの言語と民族が混交して出来上がっているインド社会は、イギリス軍とイギリス官僚によって支配されていた。


キムは、そんなインド社会の片隅にイギリス人孤児として、しかしインド人の貧しい子供たちと同じように、生きていた。博物館の前でインド人の子供たちと遊んでいたとき、子供の遊びでも多民族で様々なインド文化が顔を出している、キムはラマの高僧に出会った。ラマ僧は、釈迦が放った矢が刺さった地に湧き出し、そこに浸ると悟りへと導いてくれると言われる聖河を探していた。キムは、ラマ僧のことが気に入って、それまでの暮らしを投げ出してラマ僧の修行の旅に導かれていく。

二人は、ガンジス河の流れに沿ってインドを東西に走る大幹道と呼ばれる部分を旅することになる。

聖河をさがしておるのだ。すべてを浄める奇跡の聖河を。 

キムは、頭の回転が速く、インド習俗も深く理解し、度胸もある子供であったから、インド支配のためにイギリスが作った秘密組織に利用された。秘密文書の運搬をそれとは知らずに託され、その有能さが実証され理解されると今度は組織の人間になるように促された。秘密組織には、ヒンズー、イスラムなど現地の有能で多様な人々が属しており、彼らが有能で魅力ある性格のキムの事を気に入ったのである。

キムが組織の修行中に、インド北部地帯を旅したことがあった。ここで、南下政策でインドを狙うロシア人と、それを助けるフランス人という、二人の諜報活動員に出会う。彼らはイギリスに反感を持つインド北部の諸国に付け入り、不穏な動きに加担してイギリスを出し抜こうと考えていた。キムは彼らが集めた秘密情報を奪い取り、イギリス軍諜報機関へ持ち帰ることに成功した。

キムのようにイギリス人の意思を持ち、インド人の思考方法を理解し、活力にあふれ勇気と能力のある人間が、帝国主義時代の支配には必要とされたのであろう。ヨーロッパ本国から遠く離れた地で、ヨーロッパ人からすると過酷な気候環境の中で、文化も習俗も全く異なる多民族を、平和裏に収めるには現地を理解し民衆と協調できる人物が必要であった。例えるならば、キムとは対極にあるが、『闇の奥』のクルツのような人物である。

煙草入れなどどこにも置き忘れていないことをわかると、彼の顔は喜びでほころんだ。まさに自分好みの人間がいる  陰でゲームをあやつる曲者。そうだ、あの人が馬鹿になれるなら、じぶんもなってやろう。  
給料などはどうでもいい仕事だ。ときたま、神さまがこの世に送りだした人間のなかに  おまえもその一人だが  危険を冒してまで出かけていって、新しいことを発見したいとこいねがう者がいる。 


著者キプリング自身、インドで生まれ育ちインドの学校で学んでいるようで、ヨーロッパ人の誰よりもインドを熟知していたから、このような名作を著することが出来たのであろう。


インドの習俗や風景が見事に描かれていて、本作品の大きな魅力の一つであると思う。次のようなくだりは、インドに長年暮らした人でなければ絶対に描写できないであろう。

トカゲや汚ない食べ物やらを入れた籠を背負い、飢えた痩せ犬を足元にはべらせたぼうぼう髪でぷんぷん臭う遊行乞食(サンシー)の一団に出会った。
ラマは、ちょうど沈みゆく太陽が木の根の節目に切りこむような影をつけるように、宿場の火が幾重にも黒い切れ目をつけた黄色い衣をまとい、背筋をぴんと伸ばしたまま、揺らめく同じ光のなかで色とりどりの宝石さながらに照りはえている飾り幕と漆塗りの唐車に向かって話しかけている。

こうして書いてくると帝国主義の大国間の争いが主題のように思われるかもしれないが、本作品の主題は、キムのアイデンティティを探す旅であると思う。キムは、アイルランド系イギリス人として生まれたが、イギリス民族としての共通の文化背景を持つことが出来なかったし、インド社会に適応することはできたが、それはあくまでも下層インド社会の習俗に親しんでいるだけで、インド文化の神髄を理解していない。

土地の大衆の無関心には慣れていたが、白人に囲まれてのこの強烈な孤独感はキムを蝕んでいった。


やあ、住み心地はどう? あまりよくないか、ん? つらいだろうさ  野性児のおまえにはつらいだろう。

キムは、どの国の人かと問われたとすると、どこにも属さない国際人になっていた。

おれはキム、おれはキム、でも、キムってだれだ。

そのようなキムは、ラマ僧に出会った時に、本能的にラマ僧に従って生きることを選んだ。そこには、民族や人種を超えた人のアイデンティティの基盤として宗教・思想の可能性が示唆されていると思う。

長く、完璧な一日一日がキムの背後に壁のごとく立ち並び、彼を人種と母国の言葉から切り離していった。
グローバル化が進む現在の世界の中で、キムのような人々は増えていくことだろう。グローバル社会で活躍する人間は、自分のアイデンティティを真剣に問わざるを得ない。いったい自分は何者であろうか。自分を支える思想・文化基盤は何であろうかと。キプリングは、帝国主義時代に同じ問いに悩まされ一生考えて生き抜いたのではないかと想像される。キプリングの真剣な問いがこの作品には感じられる。



もう一つ、キプリングの思想が感じられる瞬間がある。たとえ人間の生が醜いものを表すことがあったとしても、そこには人間の生に対する肯定的で暖かい眼差しがある。

老女とて、やはり骨の髄まで人間であり、生を眺めて生きるのである。 
この世の生に対するキムの関心は、遠からず生を離れる老女と同じくらい強いものであり、彼は足を法衣の裾の下に入れて座ったまま生のすべてを飲み干し、一方ラマは、ハリー・バーブーの提唱する医療理論を一つずつ却下していた。 

たとえ悲惨な瞬間や醜い瞬間があったとしても、生をありのまま受け入れて、肯定的に生きる姿勢を好ましく思う。



「少年キム」 ちくま文庫 ラドヤード・キプリング著 斎藤兆史訳

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