ハナ・アーレント 「全体主義の起原」 

アーレントは、ナツィ(ナチ)やソ連のスターリンにみられる権力構造を全体主義として扱い、そこに至る歴史的な道を反ユダヤ主義、帝国主義を通して分析し、全体主義を生み出した起源を徹底的かつ根本的に探ろうとしている。


ユダヤ人は、ヨーロッパ各地に国を作らずに遍在していた。ある者は富を勝ち得て社会を動かす影の有力者として、しかし、大多数の者は社会の下層部に厄介者として存在していた。宮廷ユダヤ人は前者の代表であり、ゲットーに住むユダヤ人は後者の代表であった。

近世には宮廷ユダヤ人という者が存在していた。封建主義が絶対主義に移るような時代であるが、国民が存立していない時期には、国の権力を握る国王は貴族など有力者から独立していたから、自分の意のままになる有能な者を必要としていた。ユダヤ人は、国の中に自分たちの社会を持たず国王とのみ関係を持ちうる存在であったし、各国に住む有力ユダヤ人同士の間に信用供与や人的ネットワークを提供できる力を有していたから、国王としては信用がおける有能な廷臣となった。

宮廷ユダヤ人たちは、ユダヤ人としての連帯を持ち、遠隔地に住むユダヤ人との間で信用を請け負いあった。必要となれば人的資源の提供もできた。だから、国際的な金融信用ネットワークができるまで、国際取引をユダヤ人たちが牛耳ることができたのは、各地に住むユダヤ人同士の信用の供与によることが大きかった。有名なユダヤ人金融業者ロスチャイルドは、自分たちが社会という基盤を持たないのであればその代わりに自分の一族で基盤を維持できるとして、当時フランクフルトにいた彼は子供たちをヨーロッパ各国の主要金融都市に移住させて、一族だけで金融を制御しようとした。


ヨーロッパ内での戦争で、戦争後の講和条約の交渉をしたり賠償金の額を決めてその金を肩代わりするのも、各国に住むユダヤ人であった。自分たちの国も社会も持たないユダヤ人は、愛国心とは無関係に冷徹に現実主義的な交渉を行った。勝利国が多額の賠償金を要求しようとも、敗戦国に支払う能力がなければそれは何らかの妥協を必要とした。敗戦国を代表して出てくるユダヤ人は、その国に対して愛国心から交渉を行っているのではなく、現実に即した交渉を行ったのである。それは交渉jの外側にいる他の者から見れば、ユダヤ人たちが勝手に条件を変えて、自分の国に不利な条約を締結しているように見えたとしても不思議ではない。

しかし、国民国家が成立するようになり、宮廷ユダヤ人の時代が終わると、国の中で何らかの社会集団を持たないユダヤ人たちは、国民国家内での自分たちの位置が無くなっていることに気が付くことになる。ユダヤ人の有能な個人が社会の中で活躍することが見られるのも、偶然ではないだろう。社会的な位置がないユダヤ人たちは、芸術や医学などの専門性に頼る傾向があった。そのような時代で有名なユダヤ人が、イギリス首相を務めたディズレーリ(Disraeli)である。彼は、その後に来る反ユダヤ主義的な社会風潮の直前にイギリスの政界頂点に上り詰めた人物であった。貴族にもなった彼は、自分がユダヤ人であることを意識していなかったかもしれない。


反ユダヤ主義を象徴する事件として、フランスでのドレフュス事件がある。フランス軍士官ドレフュスは、ドイツのスパイ容疑をかけられ終身刑となったが、冤罪であることがわかったが、ドレフュスを擁護する声はなかなか上がらず、うやむやのうちに釈放された。この事件の際に、モッブと呼ばれる暴力的な集団が、暴力でもってドレフュスを擁護する者をも脅迫した。有名なのは作家ゾラがドレフュスを擁護した後、モブたちに狙わている。これは、後のナチズムの運動を予見させるような出来事であった。


有力なユダヤ人たちは、資本投資というリスクを嫌がり金融にこだわった。しかし、時は資本家、工業資本家の時代へと移っていく。銀行家といえども社会の富を肩代わりできる時代はなくなってきていた。資本は成長を続けついには国内市場には目ぼしい投資先が無くなるほど、つまり過剰資本になった。こうなると、海外へと投資先を探すしかない。国内の産業が衰退しては国の盛衰に関わるので、政府と投資家が手を携えて海外へと飛び出していくのである。これが帝国主義を招き、植民地化となって現れた。以前のような有力な金融家、銀行家として国王に影響を振るえた時代はとうに過ぎ去り、国民国家として国民から権力基盤も税金という財政基盤も揺るぎないものをもっている政府は、ユダヤ人銀行家の力を必要とはしなかった。ユダヤ人は社会から疎外されていった。


帝国主義は、イギリスの南アフリカ支配が始まりである。スエズ運河の建設によって、ヨーロッパとアジアの間の貿易が南アフリカ経由からスエズ運河経由となり、南アフリカは貿易中継基地としての存在意義を失っていた。しかし、ダイアモンドと金鉱の発見は、南アフリカに新しい価値を与えてくれた。南アフリカには、ヨーロッパの社会規範からはみ出すような者、ただの暴漢ではなく知性を伴った暴力者たちが集まってきた。

帝国主義時代に本国を離れて活動した人物として文学に描かれているのがコンラッドの「闇の奥」のクルツである。ヨーロッパでの普通の社会生活に収まり切れず、植民地へ出て行き、自分の野望や欲望を果たすために本国では社会的に許されないような行為にまで及ぶのである。クルツはモッブであったのかもしれない。

また、違うタイプの帝国主義時代の人物として、キプリングの「少年キム」の主人公キム(キンバル・オハラ)が挙げられている。彼はインド支配のために派遣されたイギリス軍士官の息子で、インドで生まれ孤児としてインドの中で自分一人で生きている。イギリス(本当は彼はアイルランド人)の文化も知らず、かといってインドの文化も十分に理解しているわけでもなく、生まれた時から無国籍に近い形で帝国主義列強のパワーゲームの中で生きている人物である。こうした人物たちが帝国主義支配を支えていた。


帝国主義時代に、アフリカやアジアの人々は非人道的な扱いで強制労働を課され搾取された。帝国主義時代にヨーロッパから植民地へ赴いた人々は、アフリカの社会、文化、知性を見てこれが自分たちと同じ人間と言えるのかと自問し、ダーウィンの進化論を理論の基礎として人種差別的な支配を強めていった。しかし、その人種差別的な支配は本国から遠く植民地で行われており、本国の国民の目に触れることは稀であった。

アーレントは、南アフリカに住むオランダ系移民の子孫であるブーア人(ボーア人)に注目している。彼らは、土地とも民族(文化)とも切り離された存在であって、人種だけが存在理由となっていた。ナチの文筆家に南アフリカ生まれが多いのは偶然ではなく、人種思想は南アフリカで生まれている。ブーア人たちは、新しく入植したイギリス人とも、原住のアフリカ人とも交わらず、人のいない地方へと移住を繰り返した。彼らは、経済的な行動を無視して、人種的に隔離されることを望み、生活した。

南アフリカでは、収益性計算が無視され、社会主義でも利潤志向の資本主義でもない、人種主義社会が志向された。本来経済的な計算をすれば、アフリカ人労働者は生産施設の近くに住まわせることが重要となるが、彼らは経済的なことは無視し、あくまで人種的に隔離されていることを望んだ。人種が異なること、ブーア人であることが、アフリカ人へ対する優越になり、権力基盤となりえた。そこには暴力による権力があった。経済的権力や地位を持たなくても、純然たる暴力によって、国の中で無権利な層、搾取できる層を作り出すことが出来たのである。暴力によって、支配階級のある階層をも味方につけることが出来た。徹底的な人種主義と暴力による権力掌握。ナツィにみられる特徴がそこには表れている。


ドイツは、イギリスやフランスに遅れて国民国家を建設した。ドイツ国内に資本の投資先が無くなって海外へ目を向けた時には、既に海外には植民地にできる場所はほとんど残っていなかった。ドイツは、資本の投資先として中央ヨーロッパ、東ヨーロッパへと目を向けるのである。アフリカで行われた帝国主義支配を隣国で行おうとすると、その無慈悲で悲惨な支配の様子が国民に見えてしまうのだった。

ナツィは、ドイツの政権を獲得した後、皆が安定を望んだ時にも、運動し続ける状態、不安定な状態を継続しようとした。全体主義にとって安定な状態こそ最も危険な状態であった。全体主義は、革命運動を継続し続けるそのことにこそ目的があり、何かを達成することを目的としていない。

同じように、国内にナツィの政敵がいなくなった後でも、秘密警察の活動は続けられた。活動を続けることが目的だからである。秘密警察自身によって、誰かが反逆を計画しているとされ、秘密警察によってそれが予知されて阻止される。

ナツィにとって、その統治形態からもわかるが、国軍よりも秘密警察の方が重要であった。外の敵を征服することが目的ではなく、占領した領土も含めた国内の人民を監視し計画に沿って抹殺することが目的であるからである。そのためには、警察組織のような人民を細かく監視できる組織が必要であった。

ユダヤ人の絶滅が完成された後に計画していたのは、全体主義者は運動を続けるしかないから、次に別の人種が選ばれ絶滅されるのである。ドイツ人も無関係ではなく、健康状態の悪い者も計画に入っていた。


東ヨーロッパには無数の民族が存在した。彼らは民族同士争っていた。だから、全体主義者たちがユダヤ人を最下層に、ドイツ人を最上位に置いて、各民族に序列を入れた時に、ドイツに対して争うのではなく、自分の下位にある民族を押し下げ自分の上位にある民族の足を引っ張ろうとした。そこには一定の秩序が生まれたのである。しかし、ユダヤ人は最下層で次第に権利さえも失っていった。

ナツィのユダヤ人絶滅計画には、東ヨーロッパの人々のある部分が手を貸している事実があるし、ある場合にはナツィが制止しなければもっと悲惨な殺害や強奪が起きていた。ナツィはユダヤ人殺人を機械的に工業的に行った。窃盗などの犯罪は許されなかった。


人権とは、最も基礎的なものであり、他の権利を導き出す源となる。そうであるから、人権を規定しようとすることは矛盾に陥ってしまう。人権は各国法律では規定されなかった。だから、ユダヤ人たちが国籍を失った際に、人間としての全ての権利を失ってしまったのである。ナツィはユダヤ人を二級市民と宣言し、国籍を剥奪し、強制収容所へと移送した。ナツィは、ユダヤ人を国外へ追放しようとし、各国がユダヤ人を引き受けないことが立証されると、ユダヤ人絶滅が開始された。


国籍を失って権利を喪失することがいかに恐ろしいことか、ユダヤ人は何かの犯罪で警察につかまった状態の方が人間的に扱われた。犯罪を犯して刑法の範囲内へ入ることによって犯罪者として扱われ、それは人間として権利あるものとして扱われることを意味した。そうならないうちは、ユダヤ人は何の権利も有さなかった。


規模の大小はあるにしても虐殺は過去にも存在した。全体主義者の新しさは、粛清された個人に対する社会からの完全な抹殺であった。その個人が存在したということすら記録には残されない。収容所で死亡したとしても、家族には何も通知されないし、大衆は何も起きなかった如くに生活を続けるのである。完全な人権の喪失である。個人の権利は喪失し、人間という種族としてしか扱われなくなる。家畜と同然である。


法的な人格の抹消、道徳的人格の殺害、虐殺である。人と人との間に本来存在している社会という空間が抹殺され、個人としての人格は失われ、ただ種族として生きるのである。

当時のドイツ国民の中には何が起きていたのであろうか。人と人との間にある血の通った社会が喪失していたのだろうか。他人の心配をせず、ただ自分の安全だけを考えて生きる家畜のような生活があったのだろうか。


「全体主義の起原」 みすず書房 ハナ・アーレント著 大久保和郎訳(1巻、3巻) 大島通義訳(2巻)、大島かおり訳(2巻、3巻)






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