ベールキン物語 駅長 1

1800年代初頭のことであるからまだ汽車などはないから、駅と言っても馬や馬車の乗り継ぎをするところで、そのような駅の駅長の物語である。ロシアでの駅長の地位は低く、軍や役所の階級の高い人たちは言うに及ばず、旅人たちからも、馬や御者や旅程の遅れなどまで理由にして責められる弱い立場にあった。

語り手の知っている中に、ドゥーニャという名の美しく利発な娘を持っているシメオン・ヴイリンという駅長がいた。どのように不機嫌な旅の客でもドゥーニャが出てくるだけで気分が静まり、駅長にさえ優しい言葉を掛けてくれるのであった。

駅長の家には、聖書に出てくる「放蕩息子」の物語を描いた4枚の絵が掛けてあった。「放蕩息子」の物語は大体以下のような内容である。

父親から相応の財産を分け与えられた下の息子は、旅に出て放蕩の限りを尽くし、持っていた財産を使い果たしてしまう。零落した息子は、食べるものも着るものも儘ならぬ身となり、深い後悔と悲しみに至る。行くところにも困った息子は、父親の許に戻るのだが、父親は下の息子が戻ってきたのを喜び迎えて祝宴を開く。ずっと父親と一緒にまっとうな暮らしをしていた上の息子は、何故正しい生活をしていた自分のためには宴を開いたこともないのに、放蕩の限りを尽くした下の息子のために宴を開くのかと問う。これに対して父親は、死んだと思っていた息子が生きて帰ってきたのであるからこれほど喜ばしいことはない、これを祝わない父親があるだろうか、と答える。

語り手は、そして読者も、娘のドーニャと「放蕩息子」の絵について強い印象を受けつつ、話の展開を待つのである。

「スペードの女王・ベールキン物語」 岩波文庫 プーシキン著 神西清訳



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