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スペードの女王 5 ほくそえむ女王

ゲルマンは、幻に授けられた3つの数字を胸に、勝負の場を探し求めていた。ある時モスクヴァの賭博倶楽部のチェカリンスキイがペテルブルグを訪れた際に、チェカリンスキイとの大勝負に出る。 1日に1つずつ数字をーー最初の日は「三」を、次の日は「七」をーー賭けて大金を手に入れていった。最初の日は余裕のあった大賭博師チャカリンスキイも、3日目には青ざめて卓に坐っていた。二人の勝負を全員が見守る中、ゲルマンは「一」を賭けた。 「『一(トウズ)』がやった!」とゲルマンは言って、持ち札を起こした。 「いや、『女王(ダーマ)』の負けと存じますが」とチェカリンスキイがやさしく言い直した。 ゲルマンは愕然として自分の手を見た。張ったはずの「一」は消えて、開いたのはスペードの「女王」であった。彼は自らの眼を疑った。ーーこの指が引き違いをする筈はないのだが。ーー そのとき、スペードの『女王』が眼を窄(すぼ)めて、北叟笑(ほくそえ)みを漏らしたと見えた。その生き写しの面影に、彼は悄然とした。 「あいつだ!」彼は目を据えて絶叫した。(第6章) 勝ったと思った瞬間に、勝利は彼の手からするりと逃げてしまった。彼は再び幻を見て、スペードの女王の顔に伯爵夫人の面影を認めたのであった。 この物語はいくつもの魅力を持っている作品だと思う。 寓話として見た時、非情に面白い筋書きである。短い文章の中で、ゲルマンという冷静で計算高く非情な個性を描き出しているのもすごい。自分の欲望達成のためであれば、老婆の生命をも何とも思っていない、そういう非情な冷静さを描き出している。さらにリザヴェータを登場させることで話に丸みとリアリティが加わっているような気がする。 冷静なゲルマンが、自分自身の欲望の裏返しである幻によって正気を失ってしまうところが強く印象に残る。現実と幻が微妙に絡み合っているのだが、いったいどこまでが現実でどこからが幻であったのか、物語を読み返してみても判然としない。そういうところがプーシキンの文章の魅力であろう。 「スペードの女王・ベールキン物語」 岩波文庫 プーシキン著 神西清訳

スペードの女王 4 運命の数字 「三」「七」「一」

リザヴェータの助けを借りて、ゲルマンは伯爵夫人の屋敷から無事に抜け出すことができた。ゲルマンが脱出する場面の描写に私は惹かれる。写真やテレビで知っているヨーロッパの館の造りを断片的につなぎ合わせて、古くて暗く大きな館の中にある秘密の抜け道をゲルマンがするりと抜けていく様子を想像するのである。 彼は廻り梯子を降りて、再び伯爵夫人の寝間に踏み入った。死んだ老媼は石像さながら椅子に掛けて、その面に底知れぬ安らぎを湛えている。ゲルマンは夫人の前に立ちどまり、実相の怖ろしさを見極めようと願うかのように、じっと眸を離さなかった。やがて彼は内房にはいり、壁紙のうえを手探りで隠し扉を探し出して、一寸先も見えぬ梯子段を下りはじめた。(第4章) 3日後、「信心もない癖に迷信の深い彼は、老媼の怨霊の祟りもあろうかと」故伯爵夫人の葬式に参列した。心が晴れないゲルマンは、小料理屋で珍しく酒をあおったが内心の疼きは静まらず、家に帰ると着替えもしないで寝てしまった。「夜中に眼を覚ますと、月光はひたひたと部屋を浸していた。時刻を見ると三時に十五分前。」そのとき誰かが扉から部屋に入ってきた。彼が見たその姿は伯爵夫人であった。 「お前の望みを叶えてやれとの仰せです。『三(トロイカ)』、『七(セミョルカ)』、『一(トゥズ)』ーーこの順で張れば勝ちです。」(第5章) ついに運命の数字を聞いてしまったゲルマンの頭の中は「三」「七」「一」でいっぱいになって、もう伯爵夫人の死などは影もなくなった。 「スペードの女王・ベールキン物語」 岩波文庫 プーシキン著 神西清訳

スペードの女王 3 ゲルマンと伯爵夫人

リザヴェータに近づいた上で伯爵夫人と話をする機会を窺うため、ゲルマンはリザヴェータに恋文を送り始める。「一日も欠かさぬ手紙が、手を変え品を変えてリザヴェータに送られた。それはもうドイツ小説の引き写しではなかった。」ゲルマンの手紙に宿る尋常ならざる強い気持ちに動かされてリザヴェータはとうとう逢い引きの手はずを相手に伝える。 大使の舞踏会に伯爵夫人とリザヴェータが出かけた後、奉公人たちが羽を伸ばしている隙を見て、ゲルマンが屋敷の中に忍び込みリザヴェータの部屋に隠れる算段であった。しかし、実際にはゲルマンは、リザヴェータの部屋ではなく伯爵夫人の部屋に隠れた。 時は徐(おもむろ)に過ぎた。闃(げき)として物音もない。客間の時計が夜半を報ずると、遠近の間の時計も次々に十二を打ったが、軈てものと静寂に帰った。ゲルマンは火の無い暖炉に凭れていた。彼は全く平静であった。避け得られぬ危難を覚悟した人のように、その心臓は正しい響きを伝えた。(第3章) 夜会を終えて伯爵夫人は帰宅し、夫人の着替えを手伝うために出た女中たちも自分たちの部屋へ引き下がった頃、ゲルマンは夫人の前に進み出た。そして、ゲルマンは三枚の札を教えて欲しいと願った。夫人は、あれは冗談だったと返事をしたのだが、ゲルマンは聞かず、さらに迫った。 「たといその為、怖ろしい罪咎をお着になろうと、至福とお別れになろうと、悪魔とどんな取引をなさろうと、まあ考えても御覧なさいーー貴女はもう御老体です。この先の生命もお長くはありますまい。貴女の罪咎は私の魂にお引き受けします。ですから秘伝をお明かし下さい。」(第3章) なんと冷たく非情な考え方であろうか。自分の欲望のために、相手に悪魔とでも取引をせよと迫っているのである。しかも、気が狂ったわけではなく、冷静で計算ずくめの考えである。人間の怖ろしい一面を覗かせている。 終いにはピストルまで出して脅したのだが、夫人は何も話さないどころか、ショックのため「見れば彼女は死んでいた。」伯爵夫人の部屋を出ると、ゲルマンはリザヴェータの許へ向かい、今までの出来事を告白する。 彼女は今は及ばぬ後悔に咽び泣いた。ゲルマンは無言で女を見詰めていた。その胸もやはり引きちぎられる思いであった。とはいえ彼の冷たい心を騒がせるのは、哀れな娘の涙ではない。嘆き悶える有様のひとしお美しい姿

スペードの女王 2

三枚のトランプの話を聞いてからというもの、秘伝のことが頭を去らず、我を忘れてゲルマンはペテルブルグの街を彷徨い歩いた。そして、知らず知らずのうちに辿り着いたのが老伯爵夫人の邸宅であった。 伯爵夫人の屋敷を探し当てたものの、どうしたものかと考えあぐねて、ゲルマンは屋敷の外に何時間も立ちすくんでいた。そのとき遠く窓越しにではあったが、屋敷に住むリザヴェータと目があったことから、ゲルマンの考えは決まり、物語が前へと歩み始める。ゲルマンは、リザヴェータを介することで伯爵夫人へ近づくことを企てるのである。 その当時の老伯爵夫人やリザヴェータについて、プーシキンが簡潔ではあるが非常に表現力豊かな文章で描いた一例を紹介する。プーシキンの見事な文章が物語にリアリティや魅力を与える重要な役割を果たしている。 短い文章の中で、伯爵夫人の過去や性格や毎日の生活の様子が上手に描かれている。 伯爵夫人***はもとより邪な 人ではないが、世に甘やかされた女の例しに漏れず、気儘な人であった。また、花の時楽しみつくし、今の世に縁遠くなった老婆の例しに漏れず、吝嗇で、冷た い我執に満ちていた。彼女は今もなお、社交界のあだな催しには何時も欠かさず姿を見せた。華やかな舞踏会にも出入りして、厚化粧を凝らし時代遅れな衣装を まとうた彼女は、広間にはなくてはならぬ怪奇な置物として、片隅にうずくまっていた。 リザヴェータの境遇や伯爵夫人との関係もこんな風に表現されている。 リザヴェータは本当に不幸な娘であった。『他人の麺麭(パン)のいかばかり苦く』とダンテは言う、『他人の階子(はしご)の昇降のいかばかりつらき。』もし束縛の絆が、高貴の老婦人の許に養い取られた哀れな娘の身にこたえぬとしたら、ほかの誰がその苦さを知ろうか。 リザヴェータ・イヴァーノヴナはこの館の殉教者である。お茶を注いでは、砂糖の使い方が荒いと叱られた。小説を読み上げては、作者の罪科を一人で着た。散歩のお供をしては、天気や道がわるいと責められた。定めの給金をきちんと払って貰えた例しはないのに、いつも皆の衆と、と言うのはつまりきわめて少数の婦人と同じに、身仕舞いをととのえていなければ夫人のご機嫌は悪かった。 「スペードの女王・ベールキン物語」 岩波文庫 プーシキン著 神西清訳

スペードの女王 1 伯爵夫人と三枚の骨牌(カルタ)

スペードの女王 プーシキン著 ロシアの都ペテルブルグが舞台。若い士官たちが近衛騎兵士官ナルーモフの所に集まり、トランプで賭けながらロシアの長く厳しい冬の夜を過ごしていた。ロシアに帰化したドイツ人を父に持つ工兵士官ゲルマンもその場にいたが、倹約家である彼は賭け事が好きであっても賭には参加せず脇で見ているだけであった。 たとえば、彼が心からの賭博好きでありながら、まだ一度も骨牌(かるた)札に手も触れないのは、「余分な金を手に入れようとして、入用な金を投げ出す」ほどの身代ではないと、口にも出し、また自分にも思い込んでいたからである。その癖、夜通し骨牌(かるた)卓の前を離れずに、転変極まりない勝負のさまを、熱っぽい眸でただわくわくと追っているのであった。(第2章) トランプで一夜を明かし、そろそろ寄り合いもお開きにしようとする時、年老いたアンナ・フェドトヴナ伯爵夫人にまつわる賭け事の噂になった。それは次のようなものであった。 60年前、伯爵夫人はパリに滞在していたが、パリ中の上流階級が追い回すほどの人気であった。ある日、伯爵夫人は宮中にてオルレアン公相手にトランプで大敗を喫した。伯爵に払ってもらえなかった彼女は、負けたお金の工面に奔走し、ついにサン・ジェルマンに相談したところ、トランプの秘伝を授けられた。次にヴェルサイユで開かれた大会で、彼女はオルレアン公相手に、トランプを闘わせた。3枚の札を選び、1枚1枚賭けていき、負けを見事に返してしまった。しかし、今に至るまでその秘伝はわかっていないということであった。 賭け事が好きで集まっていた士官たちである。この噂話を聞いて、関心を示さぬ者はなかったが、皆は口々に嘘だとかまぐれだとか理由をつけた。ゲルマンはというと、その場では気のない発言をしたが、その実、この話を聞いて以来この話が頭から離れず、いてもたってもいられなくなった。 三枚の骨牌(かるた)の話は、著しく彼の空想を刺激して、一晩中頭を去らなかった。「若し、ひょっとして」と、彼はその翌る日ペテルブルグの街をさまよいながら考えた、「若し、ひょっとしてあの年寄りの伯爵夫人が、この俺に秘伝を明かして呉れたら。さもなければ、ただ三枚の勝ち札だけでも教えて呉れたら。」(第2章) お金のことに心を奪われペテルブルグを彷徨い歩くゲルマンの姿は、ドストエフスキ

オスカー・ワイルド 「ドリアン・グレイの画像」

「ドリアン・グレイの画像」岩波書店 オスカー・ワイルド著 西村孝次訳 美貌の貴族青年ドリアン・グレイは、友人の画家ホールワードに肖像画を描いてもらっていた。画家のアトリエで出会ったヘンリー卿に触発されドリアンの性格は変わり、その後のドリアンは快楽にふける生活を送っていく。 ドリアンの魂が堕落するに比例して、ホールワードが描いたドリアンの肖像画は醜さを増していく。しかし、ドリアン自身は幾年を経ても美貌と若さを保ったままであった。 快楽こそが人生の全てと考えて生きてきたドリアンであったが、魂の退廃に堪えきれなくなり、ついには自らの手で肖像画を切り裂こうとしたが、ナイフはドリアンの心臓を刺さり死んでしまう。その最後の瞬間に、ドリアンと肖像画の姿は入れ替わっていた。 序文に警句がいくつか書かれている。以下はその一部である。 芸術家とはもろもろの美しいものを創造する人である。 芸術を表して芸術家を隠すことが芸術の目的なのである。 批評家とはもろもろの美しいものからうけた自己の印象を別な形もしくは新しい材料に移しかえることのできるひとである。   最高の批評は、最低のそれと同じように、自伝の一種なのである。 美しいものに醜い意味を見いだすひとびとは腐敗しているだけで魅力がない。これはひとつの過失である。   美しいものに美しい意味を見いだすひとびとこそ教養人なのである。これらのひとびとには望みがある。   美しいものが「美」だけを意味するひとびとこそ選ばれた民なのだ。 ワイルドはドリアン・グレイにおいて芸術や美について描いたにも関わらず、作品には醜さが際立ってしまっているのは皮肉な印象を受ける。美と若さを保っていた主人公は、魂の腐敗に堪えかねず自らの手で死に至ってしまう、この結末も著者の思想からすると正反対の方向に物語が進んでしまっている。作品にリアリティを持たせようとすると、どうしてもそういう流れになってしまうのか。とすると、著者の思想そのものにも、何か足りないものがあるのではないかと思えてくる。

コンラッド 「闇の奥」 7 クルツと二人の女

クルツを巡って二人の対照的な女性が登場する。アフリカの奥地に住む原始的な女と、ヨーロッパでクルツの帰りを一人待っていた許嫁であるが、クルツの住む二つの世界を象徴している。 クルツを連れ帰るために船へと運び入れ休ませた時、その女は現れた。クルツが引き込まれていった闇黒に住む女性は、原始的な強い生命力と自我を感じさせた。 なにか縁飾りのある縞模様の布片をゆるやかに纏い、昂然とした足取りで歩いている、ーー一定のリズムに乗って足を運ぶ度に、いかにも野性を思わせる装身具が、かすかに音を立ててキラキラ光る。昂然と頭をもたげ頭髪はヘルメットのような形に結い上げている。膝には真鍮の脛当、肱には同じ真鍮製の肱当、渋色の頬には深紅の頬紅をさし、頸には無数のガラス玉を頸飾りに下げている。(p126) すばらしい野性を帯びた絢爛さ、狂暴な光を湛えた華麗さだった。一歩一歩悠然と踏むその歩調には、なにか不吉な、それでいて一種荘重な威厳さえ感じられた。茫漠たる悲しみの荒野を、突如として領した沈黙の中に、今や豊饒と神秘の巨大な生命の一団が、まるで彼等自身の闇黒の情熱の姿を目の当たりに見るかのように、粛然として彼女を注視しているのであった。(p126) アフリカから戻って1年が過ぎた頃、マーロウは許嫁の許を訪れてクルツの最期を語るのである。許嫁はいつまでもクルツを慕い、喪服を着て暮らしていた。 血の気のない顔をした黒装束の女が、まるで揺曳するように薄闇の中を入って来た。喪服だった。彼が死んでから、そしてその報知があってから、もう一年以上経っていた。だが、彼女は永久に憶え、永久に嘆いているかのように見えた。(p154) 彼女にとってクルツの死は過去のものではなく、今もその悲しみの中に生きていた。クルツの死は永遠のものとなったのであった。 彼女にとっては、クルツの死はまだほんの昨日の出来事だったのだ。僕は激しい感動を覚えた、そして僕にもまた彼の死が昨日ーーいや、今この瞬間の出来事のように思えてきた。彼女と彼ーー彼の死と彼女の悲しみとを、僕は同一瞬間の中に見たとも言えれば、ーーまた彼女の悲しみを彼の死の瞬間においてみたともいえよう。諸君にはわかるだろうか?僕はそれらを同時に見、ーー同時に聞いたのだ。女は大きく一つ息を呑んだかと思うと、「私は取り残されました、」と呻くよう

コンラッド 「闇の奥」 6 クルツ 自己との対峙と荒廃

いったいクルツの身に何が起きたのか。アフリカの奥地、完全な静寂の中で一人自己と向き合しかなくなったとき、心の奥に潜む自己の欲望に気づき、それに身を任せてしまったのだ。制するもののない地では、彼の常軌を逸した行動は増幅されていった。 完全な孤独、お巡査さん一人いない孤独ーー完全な静寂、世間の与論とやらを囁いてくれる親切な隣人の声など、一つとして聞かれない静寂、ーーお巡査さんも隣人も、それはほんのなんでもないものかもしれぬ。だが、これが文明と原始との大きなちがいなのだ。それらがいなくなれば、あとはめいめい生まれながらの自分の力、自身ひとりの誠実さに頼るほかなんにもないのだ。(p103) たった一人荒野に住んで、ただ自己の魂ばかり見つめているうちに、ああ、ついに常軌を逸してしまったのだった!(p138) 名声、栄誉、成功、権力。「一切の関心が恐ろしいほどの強烈さで、自我の上だけに集中されていた」。有能で偉大な人物であったが故に、その荒廃ぶりも凄まじかった。道徳や誠実さといった人間的なものは失われ、ひたすら自我を満足させることだけに集中される生。それはもう人間とは言えないのではないか。アフリカ奥地の原始的な環境("Heart of Darkness":原題)の中で心の中の原始的な感情("Heart of Darkness")に身を委ねてしまい、身を滅ぼしてしまったのだ。 最後の瞬間も壮絶だった。 あの時彼の顔に現れた恐ろしい変化、僕はそれに近いものをさえ、かつて一度も見たことがなかったし、願わくば今後も二度とふたたび見たくないと思っている。僕の心は、動かされたというよりは、魅惑されてしまったのだ。いわば帷が引き裂かれたのだ。僕はあの象牙のような顔に、陰鬱な自負、仮借ない力、おどおどした恐怖、ーー一口でいえば、厳しい完全な絶望の表情を見てとった。このいわば完全知を獲た至上の一瞬間に、彼は彼自身の一生を、その欲望、誘惑、惑溺と、それらのあらゆる細部にわたって、あらためて再経験しつつあったのではなかろうか?なにか眼のあたり幻でも見ているように、彼は低声に叫んだ、ーー二度叫んだ。といっても、それはもはや声のない気息にすぎなかったが。 「地獄だ!地獄だ!」(p144) クルツの荒廃を眼のあたりにし、マーロウ自身もー

コンラッド 「闇の奥」 5 クルツとの対面

いよいよクルツとの対面ーー原住民たちに担架で担がれたまま、やせ衰えた姿を見せた。背丈は7フィート、鳥籠のような肋骨が浮き出している。病によってやつれ、自分ではもう歩けない状態になりながらも、彼の精神は未だに恐ろしいほどに力強くその体の中に居座っていた。彼の精神は、目の輝きと、驚くほどの響きをもった声の中に現れていた。 なにか奇怪な、痙攣でも起きたように肯く骨張った顔からは、落ち窪んだ亡霊の瞳が暗鬱な光を帯びて輝いていた。(p124) だが、それよりも僕を驚倒させたのは、あの全く無造作に、ほとんど唇一つ動かさないで発した彼の声の音量だった。声!声! それは実に厳粛に、沈痛に、そして朗々として響いた。(p125) クルツを看護するために、そしてヨーロッパへと連れ帰るために、彼を小さな船室へと担ぎ込んだ。原住民たちは森へと帰っていった。 しかし、クルツはヨーロッパへ帰るつもりはなかった。 だが、最初は自分で自分の眼が信じられなかった。ーーあまりにもありうべからざることに思えたからだ。つっまり、そのとき僕の気力もなにも奪ってしまったのは、いわば全く空虚な驚きーー現実の肉体的危険とは全然無関係な、純粋に抽象的な恐怖だったのだ。だが、なぜ僕はこの感情に心もなにも縛られてしまったのだろう。ーーそうだ、なんと言ったらいいか、ーーいわばそれは、僕の受けた精神的打撃、たとえばなにか思ってもたまらない、そしてまた憎むべき悖徳が、突如として僕の魂の上に押しつけられたとでもいうような、そうした恐ろしい打撃がそうさせたのだ。(p133) 皆が寝静まると彼は船室から抜け出し、衰弱しきって歩けないため、這い蹲りながら森へと戻っていった。それは、彷徨う亡霊の姿であった。そうまでしても、彼には自己の欲望を満たしたいという衝動があった。マーロウはその人間の心の奥に潜む自我の凄まじさに恐れ戦いたのだろう。 「闇の奥」 岩波書店 コンラッド著 中野好夫訳

コンラッド 「闇の奥」 4 噂のクルツ

マーロウや中央出張所支配人たちは、船で河を遡り、クルツが支配する奥地出張所へとたどり着いた。途中、船は河岸の叢林から矢で攻撃してくる原住民たちに襲われ死者まで出す犠牲を出しての到達であった。 奥地出張所では、クルツに心酔するロシア人青年が待ち構えていて、マーロウたちを出迎えてくれた。ロシアの青年は、病で小屋に伏せているクルツについて語り出す。彼の語るクルツ像は、恋愛や思想を語る高邁な姿から、人間性が荒廃して自らの欲望によって行動する姿にまで及ぶ。クルツが精神の荒廃へと至った過程は具体的には書かれていないのだが、クルツに関する断片的な描写を通して、彼の精神の足跡が知れるのである。 ロシア人青年がクルツと出会った頃、恋愛、正義、善行、様々な問題について二人は夜を徹して語り合ったこともあり、その素晴らしい思想や正義感によってロシア人青年はクルツの礼賛者となった。その声の響きはクルツの特徴であり、非常に大きく印象的で、聞く人を圧倒し、彼の持つ精神力の大きさを反映している。その声で、クルツは自作の詩さえもロシア人青年に朗読して聞かしてくれた。 一方、クルツは、その声や精神によって近くの集落の原住民たちの心をも掴まえていた。原住民たちにとってクルツは神のような存在であった。クルツは原住民たちを自分自身の欲望の手段とし、彼等を従えて近隣の集落を襲い象牙を略奪した。クルツは、自分自身の欲望を満たすことしか考えられなくなっていたのである。 「闇の奥」 岩波書店 コンラッド著 中野好夫訳