ベールキン物語 その一発

地方師団の将校たちが集まる社交場にシルヴィオと言う一人の男がいた。彼は「平生の沈鬱さ、激しい気性、また毒舌癖」によって若い将校たちから一目をおかれる存在であった。さらに射撃の名手でもあった。

彼 のおもな日課はピストルの練習で、部屋の壁は一面の弾痕に蝕まれて、まるで蜂の巣のように孔だらけだった。ピストルの豊富な蒐集は、彼の住むみすぼらしい 小屋に見られる唯一のの贅沢品であった。その腕前と来たらとても人間業とは思えないほどで、彼がお前の軍帽に載せた梨を射落としてやろうかと言い出せば、 頭を差し出すことをためらう者は聯隊じゅうに一人もなかった。(第1章)

そのシルヴィオが、些細なことで決闘に値する侮辱を受けたにもかかわらず、しかも彼ほどの腕前を持ちながら、決闘をしなかったことで将校たちからの尊敬を失ってしまう。後でわかるのだが、彼には別の人間と決闘するまでは命を粗末にできない事情があったのである。

シ ルヴィオが、まだ連隊に勤務していた頃、彼はその酒量と銃撃の腕前によって連隊中から一目をおかれる存在であり天狗になっていた。ある日、家柄もよく財 産のある男が連隊へ来たことから、シルヴィオの人気が落ち目になり、シルヴィオはその男に嫉妬を抱きはじめる。憎しみを憶えはじめていたシルヴィオはその 男ととうとう決闘をすることになった。しかし、シルヴィオが銃で狙いを定めているにも関わらず男が平然とサクランボを口にしているのに屈辱と怒りを感じた シルヴィオは自分の一発を保留にしたまま決闘を中断し持ち越しにしていた。

ある日のこと、シルヴィオは聯隊を離れて旅立っていく。決闘に決着をつけるためであった。その後消息は知れなかったが、語り手はふとしたことで、決闘の顛末を知る

語り手は連隊を辞めて田舎暮らしをしていたのであるが、ある時隣村に伯爵夫妻が滞在した。田舎暮らしに寂しさを感じていた語り手は、早速訪問に出かけたのであるが、伯爵その人がシルヴィオの決闘相手であった。

シルヴィオは、伯爵を訪ねてきて決闘の続きを申し込んだ。

伯爵は軍隊を離れてから銃を握っておらず腕前は落ちていたため、銃を外してしまう。次にシルヴィオの番になった。伯爵には愛する妻がおり、以前のような泰然とした態度で決闘に望む事はできず、怖じ気づいたり、妻の前で取り乱したりした。決闘相手に対して精神的に苦痛を与えられたことにシルヴィオは満足し、伯爵を撃たずに去っていったのである。

相手を打ち負かすことについてのなんという執念であろうか。彼の部屋の壁が蜂の巣のように孔だらけになっていることからも彼の執念の深さが窺える。相手を撃って決闘に勝つことではなく、精神的に相手を打ち負かすことこそが彼にとっての勝利であった。


「スペードの女王・ベールキン物語」 岩波文庫 プーシキン著 神西清訳



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