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トマス・モア 「ユートピア」 自由な精神と自己規律

船乗りラファエル・ヒスロディによって語られたユートピアは、自由な精神と自己規律でもって正しく生きている人々の国であった。 ユートピアとは、ラテン語を使ったトマス・モアの造語で、どこにも無い国という意味だそうである。1500年前後のヨーロッパの実情を見て危機感を抱いていたトマス・モアが、理想の国として描いたものであった。少ない法律で国が円滑に運営される国、徳が非常に重んじられている国、物が共有されているためにあらゆる人が物を豊富に有している国、それがユートピアであった。現実を直視したときに、問題の根源を洞察し、財産の私有が認められ金銭が絶大な勢力・権力を振るうようなところには、正しい治世と社会的な繁栄はありえないという意見に傾いていたのであろう。 都市は国中に均等に散らばって存在し、都市間はわざと間隔が開けられている。それは、農村部を配置し、自給が可能なようにと配慮されているのであろう。 農村部の農場に、都市部から人が2年ごとに交代で集められ、農耕が営まれている。これは旧ソ連時代の集団農場を想起されるが、旧ソ連の指導者たちがユートピアをモデルにしていたとしても不思議なことではないだろう。 農業は効率的に営まれ、農産物は豊かに稔り、共有財産制ということもあり人々は豊かな生活を保障されている。農業は食料を得るためという意味よりも、人間の徳を高めたり健康を増進したりするために行われている。農業のほかにも手工業などの技能が尊ばれているが、本人の性向が向けば、学問を修養することも強く奨励されている。精神生活を充足することこそが人生を充実させて生きることだと考えられている。 政治は共和制である。つまり、選挙によって選ばれた首長によって治世が行われている。30の家族の長である家族長と300の家族の長である主族長が選出され、さらに市長が4人の候補者から選挙で選ばれる。市長は、弾劾を受けない限りは終身制である。市長の下で治世が行われる。ユートピアには54の都市があり、各市長がアモーロート市と呼ばれる都市に集まり、国全体の治世に関する議論を行う。 ユートピアは島国であるが、他国との貿易によって莫大な利益を上げている。しかし、ユートピア人は財産の私有制を取っていないため、特定の個人に財が集中することは無く、またそういう野心を抱く

カフカ 「変身」

主人公のグレゴール・ザムザは、ある朝目覚めると自分の体が毒虫(多分芋虫のようなもの)のようになっているのに気がついた。その朝以来ずっとグレゴールは毒虫のまま自分の家から一歩も出ることなく生きていくことになる。 グレゴール自身、自分の変身にひどく驚いたし、家族もそれは同じであったが、驚きの後は疎遠で淡々とした暮らしに落ち着いていく。グレゴールは、変身した日から、社会や外界との交流は一切なくなり、孤独の中を生きていく。それは淡々とした起伏の無い無味乾燥な生である。 窓から外を眺めもしたが、それは昔そうやって暮らしていたという記憶を懐かしんでのことで、毒虫になったグレゴールの目は次第に視力を失い、窓から見えたのは曇った灰色の世界であった。 グレゴールは、いつも妹のことを気遣い、家族への思いやりも忘れない。良心だけが人間らしさを示していた。 グレゴールが変身した朝、彼はその日に予定していたセールスの出張に遅れることばかり気にしていた。その後も、所長が怒るだろうということや、食事のことなど、普段の生活の瑣末なことばかりを気にしていた。その姿には、何故自分は変身したのかという問いや、人間であるということは何なのかという問いなど、あってしかるべき根源的な問いや苦悩が少しも見当たらないのである。それは、彼の家族も同様で、毒虫になった息子を哀れむより、働き手を失って困窮する自分たちの生活を嘆くばかりである。人間が毒虫になったことよりも、彼らの中に根源的な問いかけが少しも無いことこそ、非常に驚かされるところである。真剣な問いかけも無く、淡々と生活が継続されるのは、表面的には穏やかでユーモラスでコミカルな世界であるが、実は不気味で恐ろしささえ感じる。 グレゴールは、父親に投げつけられた林檎が背中に食い込み、その傷のためかあるいは食べ物を体が受け付けなかったためか、体力が衰えて自室の中で死んでいく。彼の死後、家族は晴れ晴れとピクニックに出かけ、暖かな陽光の中で健やかに成長した妹の姿を見て、両親は幸せを感じるのである。目の前の物質的な幸福こそが彼らの人生の全てなのであった。 日々の生活に追われて生きて、目の前の瑣末で物質的な世界だけが人生の全てある現代社会の人間は、実はグレゴール・ザムザのように成り果ててはいないか、もうすでにそういう状態に陥