投稿

8月, 2008の投稿を表示しています

シェイクスピア 「リチャード3世」 リチャードとマクベス

リチャード3世は、イギリスばら戦争の時代に実在した王であり、史実をもとにしたシェイクスピアの劇となっている。ばら戦争は、15世紀後半、ランカスター家とヨーク家によってイングランドの王位が争われた内乱である。ヨーク家のグロースター公リチャード(後に王位に就いてリチャード3世となる)は、王位のためには、権謀術数を用いることを厭わず、兄弟、血縁者であろうと家臣であろうと容赦なく抹殺していく。 ばら戦争ではランカスター家とヨーク家が争っているのだが、リチャードは宿敵ランカスター家の王を倒した後も手を緩めず、自らが王位に就くためにヨーク家の身内を手にかけていく。兄王の幼い王子たちを手にかけたことは、まさにその典型である。 リチャードの姿は、同じシェイクスピアによる悲劇マクベスを想起させる。自ら策をめぐらして王位を手中にした点では同じである。また、その王位は人心を得られず、戦場で倒れる形で王位から退けられた点でも類似している。 しかし、物語として、二つの劇は性格が大いに異なるように見える。リチャード3世は、情け容赦なく邪魔者を消して、王位を手に入れていく過程に描写の中心が置かれているのに対して、マクベスでは王位につく直前から破滅に向かうまでの苦悩が描写されている。リチャード3世では王位への上りつめる様子が描かれているのに対して、マクベスでは王位からの下り落ちる様が描かれているという違いである。 また、マクベスの精神的な苦悩が中心であるのと対照的に、リチャード3世では人間関係が中心に来ているように感じられる。 更に、リチャード3世では、非情な意思と行為が描かれているというのに、どこかユーモラスな印象を受けるのは私だけであろうか。この点でも、マクベスの徹底したシリアスさとは違うものがあるように感じる。このユーモラスな印象であるが、リチャード3世の話術によるところが大きい。巧みな話術をもって、リチャードに反感を持っている者たちをも丸め込んでいく。特に王位の周りに存在する女性たちは、リチャードの言葉に翻弄され続ける。前王妃、皇后など、女性たちの存在も物語にユーモラスな性格を与えているようである。 兄王の王子たちも機転が利いて話術にも優れており、温かみのある描写からは、抹殺される役回りながら、悲壮さをそれほど感じさせないものがある。とはいえ、幼い者の命を奪うのである。人の心を

シェイクスピア 「マクベス」 4 洗い落とせぬもの

マクベス夫人は、大事にあたって弱気を見せるマクベスに対して、怖じ気づいたことをそしり凶行へと背中を押すほどの気丈な女性であった。それほどの精神力をしても、正統な王を殺害した罪の重荷から逃れることは出来ることはなかった。 夫人は、夜な夜な夢遊病者そのままに、眠ったまま起き上がって書棚に向かって手紙を書いた。手をこすり合わせて呟く。 消えてしまえ、呪わしいしみ! 早く消えろというのに! 一つ、二つ、おや、もう時間だ。地獄って何て陰気なんだろう! (p102) まだ血の臭いがする、アラビアの香料をみんな振りかけても、この小さな手に甘い香りを添えることは出来はしない。ああ! ああ! ああ!(p103) 夫人の侍女に請われて夫人の様子を見た侍医は、マクベス夫妻が為した罪の全容を知り、夫人が背負っている罰の重さを感じて、堪えられなかった。 なんという溜息だ! 心の重荷がそのまま伝わるような!(p103) まさしく、心に負った重荷が伝わってくるようである。背負った重荷は永遠に消えることはなく、重荷を負って生きる運命を自ら選択してしまったのである。血は罪のしるし。消そうとしてもそれは出来ぬものである。それは罪を悔いて贖わない限り消えぬものである。マクベスにも夫人にも罪を悔いて贖うことが出来なかった。それも運命なのであろうか。 「マクベス」 新潮文庫 シェイクスピア著 福田恒存訳

シェイクスピア 「マクベス」 3 戸をたたく音

マクベスによる王ダンカン暗殺の場面、マクベスが殺害を果たした後に、戸をたたく音が響き渡る。 あの戸をたたく音は、どこだ? どうしたというのだ、音のするたびに、びくびくしている? 何ということだ、この手は?ああ! 今にも自分の目玉をくりぬきそうな! 大海の水を傾けても、この血をきれいに洗い流せはしまい? ええ、だめだ、のたうつ波も、この手をひたせば、紅一色、緑の大海原もたちまち朱と染まろう。(p39) 時は深夜、城にいる者は全て寝静まり、起きているのはマクベス夫婦のみ。暗殺のもたらす心理的な暗さが、漆黒の闇を更に暗くする。暗殺の場面、その音は、地響きのよう、辺り一面にうなるように響き渡るのである。その音は王を迎えにマクベスの城に来た貴族達が城門をたたく音で、後の場面に続いていくのである。音の効果は絶大で、罪を犯した者を断罪するような響きを持っている。それは、運命がマクベスを呼んでいるかのようでもある。マクベスは音に怯え、自分の罪を悔いるのである。読む者は、マクベスの不正義が問われているのだと予感する。 アメリカTVドラマ「刑事コロンボ」の「ロンドンの傘」で、コロンボが対決する犯人はロンドンの劇場で活躍する俳優と女優の夫婦である。ドラマの中で犯人夫婦が劇中劇を演じるが、それがマクベスである。犯人が殺人を犯したことと、マクベスの王暗殺が重なり合っている。戸をたたく音は、低く暗く大きな音で響くのであった。音が鳴り響く中を舞台の袖に逃げるように退くマクベス夫婦、何か魔物にでも追われるような心理状態である。見ている者も何か怖ろしい物に追われるような恐怖を感じる。ドラマを見てからもう数十年経っているが、未だに忘れ得ぬ場面である。 この音を境にマクベスは奈落の底に落ちていく。地獄の門が開かれた音のようでもあった。 「マクベス」 新潮文庫 シェイクスピア著 福田恒存訳