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R.Tignor, J.Adelman, et.al."Worlds Together, Worlds Apart" Columbian Exchange コロンブス交換

Columbian Exchange(コロンブス交換)とは、コロンブスによるアメリカ大陸発見に続いて引き起こされた両大陸間(アメリカ大陸とアフリカ・ユーラシア大陸)の様々な物や人の移動、またそれ伴う世界全体に与えた大きな影響のことを指している。アメリカ大陸発見で世界全体は結び付けられ、アメリカの富が旧大陸へと流れ出し、世界の勢力バランスがヨーロッパへと傾いていくのである。 新旧大陸は何世紀にも渡る期間隔絶されており、それぞれの大陸にしか見つからないものがたくさん存在した。例を上げると、農産物で言えば、アメリカ大陸からトウモロコシやジャガイモなどその後のヨーロッパの生活を支える重要な植物がもたらされたし、タバコやココアなど嗜好品となる重要な作物もあった。逆に小麦はアメリカにはなかった。 アメリカ大陸から流れ込んだ金や銀は、スペインに大きな富をもたらしただけにとどまらず、ヨーロッパ各国や中国をも含めた世界全体の経済に重要な影響を与えた。 また、スペインがアメリカへ渡った際に、様々な病原菌も一緒にもたらされた。アフリカとヨーロッパとアジアは、長く隔絶していたアメリカ大陸の人々は、ヨーロッパからもたらされた病原菌に対して免疫を持っておらず、大多数の人々が新しい病気により死滅したのだった。(ハイチでは、原住民人口の90%が死滅した。)スペインは、病気によって弱ったアステカ帝国やインカ帝国を征服し植民地化した。 銀鉱山やプランテーションなど植民地経営をするには、大量の労働力が必要となったが、原住民はほとんどいなくなった状況では、他の労働力を探すしかなかった。そこで、アフリカ大陸から奴隷が大量に連れて来られた。アフリカ社会では、それ以前からアフリカ内で取引される奴隷が存在していたのをヨーロッパ人は利用したのだった。奴隷売買によって大西洋を渡ったアフリカ人の数は、5百万人を超えるという。奴隷というと、アメリカ南部の綿花プランテーションでの黒人奴隷が思い浮ぶが、ここで扱っているスペインやポルトガルによって移動させられた奴隷人口は、アメリカへ移動した数をはるかに上回る。奴隷売買は、アフリカの王国の支配者やヨーロッパの奴隷商人に大きな富を与えたが、アフリカは人口の減少、特に男性人口の減少によって、アフリカ社会は壊滅的な状況に陥った。また、奴隷の扱いは非人道的で、プランテ

R.Tignor, J.Adelman, et.al."Worlds Together, Worlds Apart" 14世紀:黒死病からの復興

世界史の中で各国の事件を伝えるというより、世界のいかなる国といえども如何に深く関連し合い干渉しあっているかを教えてくれる本である。 例えば、13世紀に興ったモンゴル帝国は、騎馬による強力な軍事力を擁して、ヨーロッパとアジアを結ぶ交易路を経由しユーラシア大陸おしえて各地に侵略して、東西の様々な国々がモンゴル帝国によって滅ぼされた。モンゴル帝国はユーラシア大陸の東西に渡る広大な領土を支配下に置いた。 14世紀になると、黒死病(the Black Death)がユーラシア大陸各地に広がった。初めに中国南西部で生じた疫病は、中国中央部へと広がり、東西を結ぶ交易路を通じて中央アジアから中東やヨーロッパへと広がっていった。黒死病は致死率が25%から50%にも達し、黒死病による人口減少の被害は、ユーラシア世界のどこでも例外無く甚大であった。例えば、中国では1億2千万人の人口が8千万人に減少したし、ヨーロッパの都市ではブレーメンのように人口が約3分の1にまで減少したような例も見られた。 黒死病は、東西交易路によって世界が結ばれていたがために生じたのだった。 モンゴル帝国侵略による政治秩序の崩壊や弱体化と黒死病による人口減少は、ユーラシア大陸各地の社会を同時期に崩壊させ混沌とした無秩序状態へと陥らせた。こうした無秩序状態から新しい政治秩序を構築するのは至難の業であった。各地で興った新しい支配層は、モンゴル帝国侵入以前の政治秩序を捨て新しいシステムを導入しようとした。支配者の下に強力な軍隊と中央集権化された官僚組織を確立して、支配者の権力を強大で絶対的なものにした。また、政権移譲の仕組みを制度化して政権移譲時に起こりがちな内部的な政変を防止しようとした。この政治的な仕組みはDynasty(王朝支配)といわれている。 中国では明王朝が興り、イスラム圏ではオスマン王朝、サファービー王朝、ムガール王朝が興り、ヨーロッパではスペイン、ポルトガルで王室の絶対的な力が確立し、フランスやイギリスがこれに続いた。 こうして見ると、同時期にユーラシア大陸の各地で王朝が興ったのは、世界が結ばれていたからであった。 各王朝は、無秩序の社会の中で興った新興勢力であったため、政治的な正当性を確立することが非常に重要であった。各王朝は宗教的な権威を利用して、自らの正当性を主張した。この