魔の山 17 叔父ジェームズ

ヨーアヒムがサナトリウムを出ていってしまった後、しばらくして叔父のジェームズ・ティーナッペル領事がサナトリウムを訪ねてきた。ジェームズは40ちかい年齢の紳士で、「きわめて精力的で思慮深く、きわめてゆうがである一面、また冷静で実際的な実業家であった」。
自分の考えを主張しないこのいんぎんな的な如才なさは、彼が育った文化に自信がないからではなくて、むしろ、その文化の強固な価値を意識していたからであったし、また、自分の貴族的な狭量さを修正して、自分にとって奇怪に感じられる習俗に接してもそれを奇異に感じる気持を見せまいという考えからでもあった。「それはもう、なるほど、ごもっとも!」と、紳士ではあるが融通がきかない人間と考えられないために、あわてていうのであった。(下巻p158)
今回の訪問は、「出たっきりで戻ってこない若い甥の様子をはっきりと見定め」、「甥を『救い出して』、家の人々の手に戻すため」親族全員を代表としてのものだった。まずは、ハンス・カストルプの様子を窺うように軽口を言ってみたが、彼が平気な顔をしてすましているのをみて、少し動揺する。

甥がその軽口のどれにも落ちつきはらって、受けつけないように微笑を浮かべるのを見て、その微笑にこの上の世界の手ごわい自信がそっくりあらわれているのを感じ、不安をおぼえ、自分の実務家としてのエネルギーがそれに圧倒されるのをおそれ、平地から持ってきた自意識とエネルギーを動員できるうちにすこしも早く、その日の午後のうちにでも、甥のことで顧問官と重要な話しあいをしようと急に決心したのであった。(下巻p160)
数日間が過ぎ、顧問官との会談が持たれた。ハンス・カストルプを連れ帰るための直談判をするためであった。しかし、会談の様子を著者は具体的には書いていない、ただ、次のように推測の形で触れているだけである。

ベーレンスとの会談も、領事が考えたのとはちがう結果におわったのだろうか?話あうにつれて話はハンス・カストルプのことだけではなく、ジェームズ・ティーナッペル自身のことにかわり、会談は私的会談の性質をなくしてしまったのだろうか?領事の様子はそういうように想像させた。領事はひどくはしゃぎ、しゃべりつづけ、理由もなく笑い、甥の脇腹を拳固でこづいてさけぶのであった、「よう、大将!」そして、その合間には例のあちらをうかがい、あわててまたこちらをうかがう目つきをした。(下巻p165)
サナトリウムの空気は、ここに来たる者の心を惑わし、上の世界の空気を訪問者の中に染み込ませ、滞留させずにはおかないのであろうか。ジェームズは、ハンス・カストルプを連れ帰るどころか、自分自身がサナトリウムの空気に感化されハンス・カストルプと同じ運命を辿りそうでさえあった。この上の人たちも、そしてハンス・カストルプもそうであったが、特定の異性への関心が頭の中を一杯にして、レーディッシュ婦人へと視線が釘付けになってしまった。

しかし、1週間ほどたったある日、ジェームズは誰にもさよならを告げず朝の一番列車で出発してしまった。ハンス・カストルプに言わせると「逃げ出した」のであった。

ついに逃げだしたのである。いまこそ決心のしどころ、この瞬間を逃がしてはたいへんとばかりに、無言であわてふためいて荷物をかばんに投げこみ、一目散に逃げだしたのであった。りっぱに使命をはたしての二人づれでではなくて、一人だけで、自分だけでも逃げだせるのにほっとして、実直者の叔父ジェームズは、平地の人生連隊の軍旗のもとへ脱走してしまったのであった。では、道中ご無事で!(下巻p168)
セテムブリーニが次に述べているように、ハンス・カストルプやサナトリウムの人々は冥府のとりこになってしまっていたが、ジェームズは、冥府のとりこになりそうなことに気が付き、危ういところで逃げだしたのだった。

「神々と人間はときどき冥府を訪ねて、ふたたび帰ってくることができました。しかし、冥府の者たちは、冥府の果実を食べたものが冥府のとりこであることを知っています」(下巻p25)

「魔の山」 岩波文庫 トーマス・マン著 関泰佑、望月市恵訳




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