魔の山 13 生命とは

著者は時々自分の意見を物語の中に挟んでいる。例えば以下にあるような生命についての文章もそうである。
生命とはなんだろうか? だれもそれを知らなかった。生命が湧きでる、生命が燃えあがる自然的基点は、だれにもわからない。この基点からのちは、生命の世界には偶発的な、もしくは偶発的にちかい現象は一つとして存在しないが、生命そのものはやはり偶発的とみるほかはない。生命についてせいぜいいえることは、生命がきわめて高度の発達をとげた構成を持っていて、無生物界にはそれと少しでも比肩できるものは一つも存在しないということだけである。(p472)

さてそれなら、生命とはいったいなんだろう? それは熱であった。形態を維持しながら一瞬も同一の状態にいないものがつくりだす熱、同一の状態を維持することが不可能なほどに複雑で精巧な構成を持つ蛋白分子が、たえず分解、新生する過程に附随する物質熱である。したがって、もともと存在しえないものの存在であって、分解と新生とが交錯するねつ過程においてのみ、甘美に、せつなく、辛うじて生命線の上にバランスを保っていることができるものの存在である。生命は物質でもなければ精神でもなかった。両者の中間物であって、飛瀑にかかる虹のように、または焔のように、物質を素材とする一現象である。(p473)



「魔の山」 岩波文庫 トーマス・マン著 関泰佑、望月市恵訳




コメント

このブログの人気の投稿

フレイザー 「金枝篇」 ネミの祭司と神殺し

ヴォルテール 「カンディード」 自分の庭を耕すこと

安部公房 「デンドロカカリヤ」 意味の喪失