魔の山 25 音楽

ベルクホーフに蓄音機が来た。ハンス・カストルプはレコードの虜となって聞き始めた。

彼は、楽音のとりことなった。彼の愛した音楽は、ヴェルディの歌劇「アイーダ」、ドビュッシーの「牧神の午後への前奏曲」、ビゼーの歌劇「カルメン」、グノーの歌劇「ファウスト」、そしてシューベルトの「菩提樹の歌」であった。

「菩提樹の歌」は、彼にとって大きな意味を持つ存在であった。
彼にとって菩提樹の歌は「意義」を持ち、一世界を意味していて、彼はその世界をも愛していたにちがいなかった。その世界を愛していなかったら、その世界を代表し象徴している歌にあのようにぞっこんではなかったろう。その歌がまことにこまやかに神秘に包括している感情の世界、ひろい意味の精神的態度の魅力にたいして、彼の気持ちがとりこになるまでに熟していなかったら、彼の運命は現在とはちがったものになっていただろう、と私たちはーーたぶんいくぶん謎めいたことをーーつけ加えるが、私たちはいいかげんなことをいっているのではない。現在の彼の運命は、彼の精神を向上させ、冒険と認識とをもたらし、彼の心に陣取りの諸問題を提起し、それによって彼は、あの歌の象徴する世界、その世界をもちろん驚嘆するほどみごとに象徴している歌、その歌にたいする愛情に、懐疑的な批判をむけ、その世界と歌と愛情の三つを良心的な懐疑をもってながめうるまでになっていた。(下巻p537)
菩提樹の歌が象徴しているのは何だろうか。

「菩提樹の歌」の背後にある世界は、彼の良心の予感によれば、禁断の愛情の世界であったが、その世界はどういう世界であったろうか?
それは死の世界であった。(下巻p538)

死は人を惹きつける力を持つが故に、克己によって克服すべき対象なのである。

「魔の山」 岩波文庫 トーマス・マン著 関泰佑、望月市恵訳




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