魔の山 24 無感覚という名の悪魔

ペーペルコルンがこの世を去り、その死に打ちひしがれたショーシャが魔の山を去り、ハンス・カストルプは無感覚に陥ってしまった。
彼自身がそういう沈滞状態に落ちこんでいただけではなく、彼にはこの世すべてが、「全体」が、同じスランプ状態に落ち込んでいるように感じられた、というよりも、このことで個人の場合と一般の場合とを切りはなして考えることが困難であるように思われた。(下巻p497)
この時代、第1次世界大戦前のヨーロッパも彼と同じようなに落ち込んでいたのだった。この場面でのハンス・カストルプは、当時のヨーロッパの象徴の役割を演じている。

ベルクホーフでは、アマチュア写真に始まり、郵便切手蒐集、チョコレート、数学が流行した。世の中のことに無関心になり、個人的なことにしか興味を持てなくなっているベルクホーフの人々も、また、当時の人々の代表でもある。

ハンス・カストルプはというと、この世を動かしている何か大きな時代の流れを感じていて、その不気味な動きに恐怖を感じていた。
この転回点から、ハンス・カストルプにはこの世と人生が異様に感じられ、日ごとにグロテスクな歪んだ気がかりな状態になって行くように思われたのであった。つまり、これまでも不吉な気ちがいじみた影響を長らく深刻におよぼしていた悪魔が、ついに権力を掌握して、傲然と公然と天下に号令し、神秘な恐怖を呼びさまし、浮き足立たせるのであった、ーーその悪魔、それは無感覚という名の悪魔であった。(下巻p497)
著者は、無感覚を悪魔と呼んでいる。読者に対して著者が語りかけている。この世や人生に対して無感覚であること、それは怖ろしいことで、神秘的な恐怖をも感じさせる位に大変なことであると。現代社会でも同じことが起きているのではないか。

「魔の山」 岩波文庫 トーマス・マン著 関泰佑、望月市恵訳




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