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George Orwell "Animal Farm" (ジョージ・オーウェル 動物農場)

Jones氏が経営する農場(Manor Farm)で家畜達の叛乱が起こり、人間は農場から追放され、家畜達による農場経営が始まった。 叛乱が起きた要因は、Old Majorという年老いた雄豚が説いた動物が皆平等で人間のいない世界が到来するという夢に触発されて家畜達の間に思想的な準備がなされたことにあった。叛乱後すぐに、動物は平等、を初めとする7つの掟(Seven Commandments:七戒)が定められ、動物農場の壁にペンキで記(しる)される。 The Seven Commandments   Whatever goes upon two legs is an enemy. Whatever goes upon four legs, or has wings, is a friend.   No animal shall wear clothes.   No animal shall sleep in a bed.   No animal shall drink alcohol.   No animal shall kill any other animal.   All animals are equal. 動物は平等とされたが、実際に農場経営を決定する評議会に議案を提出するのは家畜の中で一番知恵のある豚だけであり、結局豚達が農場経営を支配することになる。中でも去勢されていない2匹の雄豚SnowballとNapoleonが評議会でも主導権争いを繰り広げる。Snowballは知恵があり、人間の書物を読んでは数々のアイディアを農場経営に持ち込む。片やNapoleonは知恵はさほどでないが体力で勝り、Snowballの提案に全て反対を唱え、終(つい)にはSnowballを力によって追放してしまう。その後は、評議会は廃止され、Napoleonが議長を務める秘密会議で決定された内容が報告されるだけとなる。つまり、農場はNapoleonによる独裁的な支配となっていく。 理想とは裏腹に、独裁支配による悲惨な生活が到来するのだが、物語の中で悪事は明示的には描かれない。常に何かを仄(ほの)めかすように語られる文章から、裏側の世界が推測されるのみである。例えば、Napoleonがそ...

芥川龍之介 「トロッコ」 薄暗い人生の路

良平は8歳の頃に小田原熱海間の鉄道敷設工事を毎日見に行った。子供の目には、土工がトロッコで土を運ぶ様子が面白く映ったのである。トロッコに乗って、実際に動かしてみたいとも思っていたが、土工達に怒られるので、それは叶わなかったが、ある日若い土工たちに許され彼等と一緒にトロッコに乗ることができた。 いつしか見知らぬ海が見えたとき、良平は子供ながらに遠くに来すぎたことを感じ取り、帰りたいと思っていたが、若い土工たちは小さな子供の気持ちなど気に掛けず、どこまでも先へと進むのであった。それは延々とどこまでも続く道程(みちのり)であった。 西日が傾く頃、土工たちにもう帰るように言われて、良平は呆然とする。トロッコに乗ってもあれだけの時間がかかった道程を、暗闇が迫る中、子供一人で帰れと言う。泣きそうになりながら、良平は、無我夢中で線路の脇を走り続けた。涙がこみ上げてくるのを無理に我慢するのだが、鼻はくぅくぅとなった。 夕闇の中、やっと我が家へ帰り着いた時、良平はわっと泣き出した。それまでこらえてきたものが一辺に堰を切って流れ出てきたのであった。子供の彼がいかほどに不安な気持ちをこらえてきたことか、良平は泣き続けた。 不安の絶頂にあった時でさえ、誰にも頼れない状況では、良平は泣き出すことすらできずひたすら走り続けた。家に帰り着いて、身を守ってくれる親に囲まれて安心できるようになって初めて良平は自らの不安の思いを泣くことによって吐き出すことができた。 この事件は、良平の脳裏に深く刻み込まれた。薄暗い一すじの路は、心の中の路でもあった。不安は、誰もが背負って生きるものである。 それから20年近い月日が経ち、良平は妻子と共に上京し、雑誌社の校正の仕事に就いている。良平は、仕事に疲れた時、8歳の頃の暗い道程を思い出すのである。 彼はどうかすると、全然何の理由もないのに、その時の彼を思ひ出す事がある。全然何の理由もないのに?――塵労に疲れた彼の前には今でもやはりその時のやうに、薄暗い藪や坂のある路が、細々と一すじ断続してゐる。 8歳の彼と同じように、良平は不安に駆られているが、家族にすら相談もできず、泣き言を言うこともできず、ただじっと我慢しているのである。泣くことができるのは、安心できる相手がいるときなのである。 校正の仕事をしているということは、作家...

中島敦 「山月記」 臆病な自尊心と尊大な羞恥心

李徴(りちょう)は、博学にして才穎(さいえい)、若くして官吏となるほどであったが、下級官吏として俗悪な上官に仕えることを潔しとせず、己の詩才を恃(たの)みに詩家として自らの名前を後代に残すべく故郷へと退いた。しかし、文名は容易には揚がらず、生活は困窮していった。己の詩才に諦めをつけ、妻子の生活を支えるため、やむなく地方官吏の職を得たのであるが、才能が無い者と見下していた者たちの命令を受ける身となってしまった。詩家としての挫折に加え、鈍物と見做した者に下命を受けることは、李徴の自尊心を激しく傷つけた。公用の旅の途中、李徴はとうとう発狂し消えてしまった。 李徴の姿は人喰虎になり、その李徴に、官吏である数少ない旧友が山中で出会うのである。李徴は、失踪してから虎になるまでのいきさつを語り、何故自分がこのような運命に陥ったのか解らないという。 己の中の人間の心は、獣としての習慣の中にすっかり埋もれて消えて了うだろう。 人間の心も失いつつあった。このような浅ましい姿になっても、心残りは、自分の詩作が世に残らないことである、という李徴の声に応えて、旧友は部下に命じて李徴の詠う詩を書き留めさせる。 成程、作者の素質が第一流に属するものであることは疑いない。しかし、このままでは、第一流の作品となるのには、何処か(非常に微妙な点に於いて)欠けるところがあるのではないか、と。 李徴の才能は一流ではあったが何かが足りないことが友には直ぐに知れた。それは、何であったのか、実は李徴自身にはわかっていた。 己は詩によって名を残そうと思いながら、進んで師に就いたり、求めて詩友と交わって切磋琢磨に努めたりすることをしなかった。かといって、又、己は俗物の間に伍することも潔(いさぎよ)しとしなかった。共に、我が臆病な自尊心と、尊大な羞恥心との所為(せい)である。己の珠に非(あら)ざるを惧(おそ)れるが故に、敢(あえ)て刻苦して磨こうともせず、又、己の珠なるべきを半ば信ずるが故に、碌々として、瓦に伍することも出来なかった。 漢文調の美しい語りは、主人公李徴の才が一流のものであることを醸し出してくれ、著者の非凡なる才をも伝えてくれる。読者がこの美しい文中に自らを沈めるとき、李徴と著者自身とが重ね合って見えてこないだろうか。物語る著者の心、それは自分の才を信じつつ、未だ自らに...

ダン・ブラウン 「ダ・ヴィンチ・コード」 イエスの伝説

ルーブル美術館館長が殺害され、謎のダイイング・メッセージが残された。それは、次から次へと連鎖する謎への糸口、つまり謎を解くとその答えは新たな謎を指し示していた。館長は中世ヨーロッパから脈々と続く秘密結社に関わっており、残された謎を解くには、中世ヨーロッパに培われたキリスト教にまつわる象徴を知らなければならない。 中世ヨーロッパにおいては、全てのものは何かの象徴として解釈され、それは反復して象徴の連鎖を作った。象徴が最後に行き着く先は神であった。神に関することを象徴によって隠していることもあった。物語の進行とともに、中世の象徴世界に入りこむことになる。シオン修道会、テンプル騎士団、メロヴィング王朝、聖杯、たくさんの耳新しい言葉とそれにまつわる秘密、ヨーロッパキリスト教世界の裏側を垣間見るのは実に新鮮で刺激的である。 物語はイエスに関する伝説を扱っているということで、有名になったようであるが、それほど騒ぎ立てることでもないと感じた。説得力のある証拠が提示されているわけではなく、様々な伝説を一つの筋に纏め上げあり、普通に物語を楽しみ、象徴に隠された意味を学ぶのが良いと思う。 たしかにローマの聖職者は固い信仰を持っているから、どんな嵐も乗りきれるし、たとえおのれの信じるものと完全に矛盾する文書が現れても動じまい。(62章) ローマのカトリック聖職者のような深い信仰に至らないにしても、自分の信念のある人であれば、この物語を読んだとしてもその人の信念が揺らぐようなことが書かかれているようには思えなかった。むしろ、キリスト教世界の歴史や人間模様を知ることができるのではなかろうか。 ダ・ヴィンチ・コード 角川書店 ダン・ブラウン著 越前敏弥訳

ホイジンガ 「中世の秋」 中世精神の地下水脈

ホイジンガは、「中世の秋」において中世末期15世紀のフランス・ブルゴーニュ候国とネーデルラント地方について語っている。特定の時代の特定の地域だけに焦点が当てられているにも関わらず、中世の精神とでも言うような、中世文化の本質的なものを読者に対して語りかけている。 15世紀、中世という時代は終わりを告げようとしていた。延々と神々(こうごう)しく輝いていた中世はまさに過ぎ去ろうとし、秋の夕暮れのように時代が傾く中、中世の精神は結実し赤く熟した時期であった。つまり、長きに渡って形作られてきた中世文化は完成し、そして死を迎えようとした時期であった。かたやルネサンスが萌芽しようとしており、その準備がされていた時期でもあったが、ホイジンガはあくまでも中世という視点で15世紀文化を観察し記述した。 この書物は、十四、五世紀を、ルネサンスの告知とはみず、中世の終末とみようとする試みである。中世文化は、このとき、その生涯の最後の時を生き、あたかも咲き終わり、ひらききった木のごとくたわわに実をみのらせた。古い思考の諸形態がはびこり、生きた思想の核にのしかぶさり、これをつつむ。ここに、ひとつのゆたかな文化が枯れしぼみ、死に硬直する--これが以下のページの主題である。(上巻p.7) 本書は、中世という時代を、歴史的事実の整理という表面に見えやすい形式で説明するのではなく、失われてしまったかと思われていたその時代に生きた人々の精神世界を覗き、中世文化の精神的な本質を描ききろうという大胆な試みなのである。 中世という時代を形成し支えていた精神構造の中にまで進み入り、地下水脈の如き心の世界を見事に描ききっている。ホイジンガは、自らの精神世界において中世人の残した文献や芸術作品を道標(みちしるべ)に中世末期まで辿りゆき、中世人になりきった自分の精神を観察し、地下水脈のように心の奥底に流れる精神の動きを捉え描写した。その結実として本書が生まれた。天才にして初めてなせる業(わざ)である。 そこで描かれているのは、表の世界、つまり中世貴族の優雅な生活と華々しい戦場での活躍から直接には窺(うかが)い知れない、中世人精神の激しい動きと陰鬱さである。 中世という時代、幸と不幸との隔たりはかなり大きなものであった。冬の厳しい寒さや底知れぬ闇、癒されぬ疫病、飢饉など、災禍と欠乏に安らぎはな...

江戸文化歴史検定協会 「江戸博覧強記 上級編 (江戸文化歴史検定公式テキスト 上級編)」

江戸の生活、文化が概観できる。将軍や大名に始まり、旗本や大名の家来など武士の生活、市井に住まう町人の暮らしに至るまで実に様々な人々が説明されている。江戸文化歴史検定の教科書ではあるが、検定とは関係なく、文化歴史を知るという立場で読んでみた。 全体的に詳細に説明がされていて面白いのであるが、特に、大名や旗本・御家人、幕臣など、文学や落語などの文芸作品で名前は出てくるものの、その暮らしぶりがどうであったかをよく知らなかった階層について興味深かった。 例えば、大名の中で、老中など幕府体制の中枢を担う職へ就く者の動向がどうであったとか、大名の家格がどういうしきたりによって扱われていたかなどは、なかなか知りえない話だと思う。 旗本や御家人の家屋や家来の構成、江戸市中を往来する際のしきたりなどを読むと、落語の「かぎや」に出てくる旗本の背景がわかってきて、作品の理解に深みが出るように思った。 また、大名の参勤交代に同行して江戸詰めをしていた武士達の様子も面白い。職務の休みを利用して、歌舞伎や江戸見物を楽しみ、規則や門限を破ってまでも執拗に外出をしている武士の記録などが紹介されており、武士の中の一例であるとは思うが、当時の風潮が感じられた。 「江戸博覧強記 上級編 (江戸文化歴史検定公式テキスト 上級編)」  小学館  江戸文化歴史検定協会

ポール・ケネディ 「大国の興亡」 4 オランダ 経済繁栄と地理的要因による衰退

オランダのような限られた国家資源にも関わらず貿易や工業によって経済的に繁栄した国の興亡を見るのは、我々日本にとっても参考になる点が多いと思う。 オランダは、人口も国土も限られた国であったが、西暦1500年からの1世紀間にヨーロッパ内でもヨーロッパの外にもにらみがきく大国へとのし上がってきた。オレンジ公ウイリアムに率いられ、1579年ユトレヒト同盟を結成し、1581年ネーデルランド連邦共和国の独立を宣言している。1648年のウエストファリア条約で、実質的には独立していた状態を、国際的に正式に認められるに至った。 オランダは、ヨーロッパの他の国々と違い、共和制による寡頭政治を行っていた。オランダ軍は訓練が行き届いており、さらにナッサウのマウリッツという名将に指揮されて軍事的に強力な存在になってき。 オランダの最大の特徴は、国の基盤を貿易と工業と金融においていたことである。世界経済の発展とともに、オランダの経済基盤も発展していくのである。オランダは、ハプスブルグ家の支配を脱すると人口が増えた上に、難民として集まってきた資本家、職人、教師、熟練労働者によってアムステルダムは国際貿易の中心地となった。それまで国際貿易における中心は地中海で、トルコからベネチアを経由してオランダの工業地帯へと交易品は流れていたが、次第に貿易の中心が大西洋へと移ってきていた。つまり太平洋から直接的にオランダへと交易品が流れるようになった。さらに、アフリカやアメリカ、アジアへと次第に広がっていく海外貿易の恩恵も受けることになった。こうした背景もあり、アムステルダムの国際金融における役割も大きくなっていった。 次の時代、1660年から1815年までの時代、それまでの大国であったオランダは、オスマントルコ帝国、スペイン、スウェーデンなどの国と同様に一流の座から転落していく。代わってルイ14世に率いられたフランスが最強国へとのし上がっていくのである。 この時期、アムステルダムは世界最大の金融の中心地であったが、オランダが大国の座から滑り落ちることを防ぐことは出来なかった。財政的な面だけでは大国の座は支えられなかったのである。オランダの凋落の原因を調べるには、国際関係における地理的な条件を見ていく必要がある。 地理的な要因とは、気候、天然資源、農業の豊かさ、交易ルートに恵まれて...