芥川龍之介 「トロッコ」 薄暗い人生の路

良平は8歳の頃に小田原熱海間の鉄道敷設工事を毎日見に行った。子供の目には、土工がトロッコで土を運ぶ様子が面白く映ったのである。トロッコに乗って、実際に動かしてみたいとも思っていたが、土工達に怒られるので、それは叶わなかったが、ある日若い土工たちに許され彼等と一緒にトロッコに乗ることができた。

いつしか見知らぬ海が見えたとき、良平は子供ながらに遠くに来すぎたことを感じ取り、帰りたいと思っていたが、若い土工たちは小さな子供の気持ちなど気に掛けず、どこまでも先へと進むのであった。それは延々とどこまでも続く道程(みちのり)であった。

西日が傾く頃、土工たちにもう帰るように言われて、良平は呆然とする。トロッコに乗ってもあれだけの時間がかかった道程を、暗闇が迫る中、子供一人で帰れと言う。泣きそうになりながら、良平は、無我夢中で線路の脇を走り続けた。涙がこみ上げてくるのを無理に我慢するのだが、鼻はくぅくぅとなった。

夕闇の中、やっと我が家へ帰り着いた時、良平はわっと泣き出した。それまでこらえてきたものが一辺に堰を切って流れ出てきたのであった。子供の彼がいかほどに不安な気持ちをこらえてきたことか、良平は泣き続けた。

不安の絶頂にあった時でさえ、誰にも頼れない状況では、良平は泣き出すことすらできずひたすら走り続けた。家に帰り着いて、身を守ってくれる親に囲まれて安心できるようになって初めて良平は自らの不安の思いを泣くことによって吐き出すことができた。

この事件は、良平の脳裏に深く刻み込まれた。薄暗い一すじの路は、心の中の路でもあった。不安は、誰もが背負って生きるものである。


それから20年近い月日が経ち、良平は妻子と共に上京し、雑誌社の校正の仕事に就いている。良平は、仕事に疲れた時、8歳の頃の暗い道程を思い出すのである。

彼はどうかすると、全然何の理由もないのに、その時の彼を思ひ出す事がある。全然何の理由もないのに?――塵労に疲れた彼の前には今でもやはりその時のやうに、薄暗い藪や坂のある路が、細々と一すじ断続してゐる。

8歳の彼と同じように、良平は不安に駆られているが、家族にすら相談もできず、泣き言を言うこともできず、ただじっと我慢しているのである。泣くことができるのは、安心できる相手がいるときなのである。

校正の仕事をしているということは、作家を志しているのであろうか。暗い一筋の路を思い出す彼は、自分の作家への路が先行き暗いものであることを不安に感じているのであろう。


「蜘蛛の糸・杜子春・トロッコ」 岩波文庫 芥川龍之介著



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