魔の山 23 人物の死 ペーペルコルン氏 3

ハンス・カストルプとペーペルコルン、ショーシャ、その他4人は瀑布への遠足を計画した。訪れた瀑布は、夥しい量の水が轟音と共に流れ落ち、霧が吹き、飛沫が舞い、水煙につつまれ、一行は恐怖を覚えるほどであった。瀑布の傍にいると轟音のために、自分自身の声でさえ耳に聞こえないほどであった。そんな中で、ペーペルコルンは立ち上がると、誰にも聞こえない声で何か話し始めた。

不思議な男!彼自身さえ自分の声を聞くことはできなかったのだから、彼のしゃべっている聞こえない言葉がまわりの人々に一言もわかるはずがなかった。(下巻p484)

彼は、何を語りかけたのだろうか。友へのさよなら。この世へのさよなら。

その日の夜であった。ハンス・カストルプは眠りが浅く、いつもと違う気配、ざわめきのようなものを感じていた。午前二時を過ぎた頃、彼の部屋をノックする音が聞こえ、彼はペーペルコルンの部屋へと案内された。ペーペルコルンが自殺をしていたのだった。

自らの力の減退と感情の減退を知り絶望して、自らを死に至らしめたのだった。
「人生への感情の減退を、宇宙の終局、神の汚辱と感じるほどのスケールを持つ人物でした。つまり、彼は自分を神が合歓するための器官だと考えていたのです、あなた。王者らしい妄想でした。‥‥いまの僕のように感動してしまうと、不作法で不謹慎に聞こえても世間なみの悔みの言葉よりも荘重な言葉を口にする勇気が出るものです」
「彼ハ棄権シタノデス」と彼女はいった。(下巻p492)
如何に人物といえども終わりの時が訪れることから免れ得なかった。人物よ、さよなら。

「魔の山」 岩波文庫 トーマス・マン著 関泰佑、望月市恵訳




コメント

このブログの人気の投稿

フレイザー 「金枝篇」 ネミの祭司と神殺し

ヴォルテール 「カンディード」 自分の庭を耕すこと

安部公房 「デンドロカカリヤ」 意味の喪失