魔の山 22 人物 ペーペルコルン氏 2

セテムブリーニやナフタが立派な理論を口にしたとしても、それは頭の中で考えただけのものだった、しかし、ペーペルコルンはすべてを、そして神をも、感じて生きていた、そこに人物としての大きさがあった。
「私はくりかえしていいます、だから私たちは感情燃焼の義務、宗教的義務を持っているのです。私たちの感情は、いいですか、生命を目ざます男性的な力です。生命はまどろんでいます。生命は目ざまされて、神聖な感情と陶酔的な結婚を結びたがっています。感情は、若い方、神聖です。人間は感じるから神聖なんです。人間は神の感情の器官です。神は人間によって感じようとして人間をつくりました。人間は、神が目ざまされ陶酔した生命と結婚するための器官にほかならないのです。人間が感情的に無力でしたら、神の屈辱がはじまり、神の男性的な力の敗北、宇宙のおわり、想像を絶する恐怖になりますーー。」(下巻p452)
実は後でわかるのだが、ペーペルコルンは最初の晩にハンス・カストルプがペーペルコルン同様にショーシャ夫人を愛していることを見抜いていた。
「ーー 完全。失礼ですがーーいや、なにもつけ加えますまい。どうぞ私と飲んでください、グラスを底まで飲みほしてください、腕を組みあってです。これはあなたに 兄弟として『あなた』と呼び合うことを提案するのではまだありません、ーーそれを提案するところだったのですが、まだ少し性急すぎはしないかと考えたんで す。」(下巻p385)
しばらく経ったとき、ペーペルコルンは、ハンス・カストルプがショーシャと会うときのぎこちなさを指摘し、ハンス・カストルプがショーシャを愛していることを指摘した。ハンス・カストルプは彼女への思いを次のように説明した。
「僕がさきほどもちょっとふれました教育的牽制をふりきって、彼女に近づいた夜、ーーまえから頭にちらつきがちであった口実でーー近づいた夜は、仮装舞踏会の夜、カーニヴァルの夜、責任から解放された夜、『君』と呼びあう夜だったのですが、夜がふけるにつれてこの『君』という呼び方が夢幻的な無責任な深まりようをして完全な意味を持つようになってしまったからです。しかし、その夜はクラウディアが出発する前夜でもあったのです」(下巻p460)

魔の山で数年を過ごし、経験を積んで成長していたハンス・カストルプのことを、ペーペルコルンは男として認めてくれていたのだった。
完全な意味も理解してくれた。

私はあなたと知りあいになった直後のあの高揚した一夜を思いだします、ーーあのとき私はブドウ酒をたくさん飲みましたが、あの夜のことはおぼえていますーー、あのとき私はあなたの人柄に快い感銘をうけ、あなたに兄弟のあいだの『君』を提案しようとしたのですが、いくぶん軽率ではないかという気持ちから思いとどまったのでした。結構、私は今日、あの一夜に話を結びつけ、あの一夜に立ちもどり、あのとき他日を期してと考えた他日がここに訪れたことを声明します。若い方、私たちは兄弟です、私はここにそれを声明します。あなたはさきほど完全な意味の『君』ということをいわれました、ーー私たちの『君』も完全な意味を持つでしょう、感情による兄弟という意味を。(下巻p468)

完全な意味での『君』。


「魔の山」 岩波文庫 トーマス・マン著 関泰佑、望月市恵訳




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