グレアム・グリーン 「ハバナの男」

第2次世界大戦が終わって暫く経った、多分1950年代のキューバ、それはまだ革命が起こらず自由主義諸国の一員であったころ、が舞台である。そのような時代背景のもと、起きていたかもしれない諜報活動をパロディにした物語である。著者自身が諜報機関の一員であった経歴を持つため、パロディと言えども、話は真実に鋭く切り込み、裏側の世界が透けて見えるような気がする。

キューバは、アメリカのフロリダ半島先端のマイアミすぐ近くに位置し、しかも政権が不安定な中南米に位置し、アメリカ、イギリス、ソビエトなど様々な国々が情報を求めて、あるいはアメリカを狙う拠点を構築するために集まってくるような場所であった。

ソビエトのように領土の四方を別の国に囲まれた国から見れば、国の近くに他国、あるいは敵対する国の拠点が存在することの脅威や危険をよく知っているのであるから、他国に対してもそうした対抗策を考えたくなるのは当然であったし、アメリカから見れば、自分の国のすぐそばに、得体のしれない人々が集って、何か企んでいるのを傍観できるはずもなかったし、イギリスにとっては、大国として世界中に張り巡らした諜報網は、中南米にも及んでいたのも当然である。自分で何かしたいと思っているのであるから、他国も同じ考えだろうと、どの国が何をしているのかそれを知りたかった。こうして様々な人々が集まっていた。

イギリスの諜報機関の工作員が、キューバのハバナで自分の部下となる工作員を選定した。部下の工作員は、電気掃除機のキューバでの販売拠点を任されたセールスマン ワーモルドであった。ワーモルドは当然面喰い、何かの間違いだろうと考えたが、結局は工作員となってしまった。それは彼の娘の浪費(乗馬とか)を賄うために金が必要で、工作員として経費でそれを工面することにしたのである。それに、友人であるハッセルバッヒャ医師の助言、秘密は誰も知らなければ知らないほど価値を生むのであるから、誰も知らない嘘をつけばよい、にも背中を押された。

自分の娘ミリィの乗馬倶楽部の名簿から、適当な人物の名を選び、自分の部下として登録し、架空の情報を作り上げてはイギリスの本部へ送信した。それは本人でも驚くほどの偽情報づくりの才能であった。

工作員になって暫くすると、諜報機関らしい話がいくつも出てくる。例えば、身辺調査をされて、友人のハッセルバッヒャ医師の過去は怪しいので、付き合うべきではないというのである。それは物語が進むにつれて少しずつ明らかになってくるが、ハッセルバッヒャ医師は、東ドイツの生まれで、プロイセンの時代に軍隊に入隊しており、第1次世界大戦にも参戦するという過去を持っていた。第2次世界大戦が始まる前に国を出たと言うが、彼は自分の過去を話そうとしなかったし、キューバのほかに行き先もなかったのである。物語の時代にドイツ人であることがどれほど困難を生んだかは想像に難くない。ましてや戦争犯罪人として捜索される者は中南米に多数流れ込んでいたのを思い出させる。それでも、彼はプロイセン時代に、カイザー(皇帝)に声をかけられたことを誇りにして生きていた。それは、彼にとっては、真の戦争が起きる前の、牧歌的な軍隊の世界であった。

ワーモルドの情報は一貫して裏が取れないものばかりであるからイギリスでは最初は相手にされなかったのだが、ワーモルドの情報を傍受した他国が関心を示しているとわかると、話がずっと変わってきた。その他国が誰なのかはわからない。アメリカかもしれないし、ソビエトかもしれないし、中南米諸国の反政府勢力かもしれなかった。とにかく、ワーモルドは重要な工作員となった。そのため、彼には秘書のビアトリスと部下のルディが派遣される。

ワーモルドが部下として名前を借りた者たちが相ついで命を狙われる。ワーモルドからすれば、あくまでも架空の部下が作り上げた情報であり、架空の部下が実際に命を狙われるという口にしたことが現実化することに戸惑い自己の責任を感じる。何かこの辺りの口にしたことが現実化するということにも当時の諜報戦の真実が隠されているように感じられる。関心を持っている他国は、ハッセルバッヒャ医師を暗号解読係として雇い、ワーモルドの情報を解読し、分析していた。そして行動を起こしたのである。ハッセルバッヒャ医師は、素性を知らないまま他国に雇われ、脅され、最後には口封じのために殺されてしまう。

娘のミリィに心を寄せる、キューバ警察のセグーラ警視は、赤い禿鷲と呼ばれ、囚人への拷問で怖れられていた。そのセグーラ警視は、キューバでの大国の諜報戦を調査し、情報を掴んでいるのである。大国に翻弄される小国の状況を伝えている。セグーラ警視は、拷問の事を聞かれて、次のように言う。この世には、拷問されることを許されている人と許されていない人がいる。欧米人は拷問を受けない部類に入り、キューバの人々は拷問されてる部類だというのである。そのような論理は人権からすれば許されない考え方であるが、当時の中南米諸国の事情はそうなっていたことを風刺しているのだと思う。

キューバに来た外国人たちは、キューバや中南米の社会にはなじめず、酒や夜の世界に溺れて一時を紛らすしかない。夕方になると酒場でダイキリを飲むのが、主人公の習慣であった。また、外国人たちが、猥褻な踊りの店や売春宿に行く様子も描かれている。

ロンドンでは、諜報機関の事務所で、諜報部の部長が遠くキューバから送られてくる情報を読み、解釈し、判断を行う。そして、素人の嘘の話を信じるのである。それは風刺だと言えば笑いごとであるが、諜報工作の実態に何か近いものが含まれているのだろう。現場を知らないものが遠隔地で勝手な憶測による間違った判断を行うということ。

ワーモルドは、アメリカから来たセールスマンのカーターに、連合会の午餐会の席上、毒を盛られる。あやうく毒を口にせずに済んだのだが、カーターが敵であるとわかったワーモルドは、決着をつけるために二人で夜の街へ出かけ、決闘するのである。見たところカーターは普通のセールスマンである。ワーモルドやハッセルバッヒャ医師のように、組織に利用されただけの民間人かもしれなかった。心の迷いが躊躇させる中で、ワーモルドは、カーターを撃ち殺してしまうのである。普通の人々が国家組織によって操縦され、邪魔になると消される、そういう過酷で悲惨な状況を表している。この物語では、ワーモルド自身の罪の意識などは語られないが、恐ろしい話である。もしこの物語に、少し現実味のある描写が付いたら、悲惨な物語と現実が現れるだろう。


「ハバナの男」 早川書房 グレアム・グリーン全集 グレアム・グリーン著 田中西二郎訳


コメント

このブログの人気の投稿

フレイザー 「金枝篇」 ネミの祭司と神殺し

ヴォルテール 「カンディード」 自分の庭を耕すこと

安部公房 「デンドロカカリヤ」 意味の喪失