レイモンド・スマリヤン 「哲学ファンタジー」 

数学者レイモンド・スマリヤンによる哲学コンテである。哲学に関する話題を少し滑稽な味わいで会話にして、哲学のことが身近に楽しめる本になっている。著者は、一般人を読者として据えて、哲学の教科書にあるような厳密性は敢えて無くして、一般人が容易に理解できるような表現や説明方法を心がけている。一般的な知識と論理的な思考方法が身についていれば、他の参考書を参照することも必要なく哲学を楽しむことができる。

楽しいばかりではない。著者は、哲学問題を真剣に扱っているので、一つ一つの話は読後にゆっくりと瞑想すると実は深い知的な内容であることが知れる。つまり、知的に味わい深い本でもある。


第1章に「あなたはなぜ正直なのか」という正直をテーマにした会話形式の哲学コンテである。場面は、道徳家が主催するシンポジウムで、司会(道徳家)が正直と言われている人々に何故あなたは正直なのかを問うのである。見かけは単純な問いであるが、意味の深い問いであるので、真剣に生きている人々からは様々な答えが返ってくる。

聖書を信じており、聖書に正直であるように書かれているから。 
徳の高い人間でありたい。そのためには正直である必要があるから。 
哲学者カントの倫理学を信じており、カントの道徳的な見解を受け容れているから。 
社会のために尽くしたい、正直であることは社会のためになるから。 
自分の名前がフランク(正直)であるから。 
自分は利己的で嫌な奴だ。しかし、利己的にふるまうとトラブルに巻き込まれるが、トラブルは嫌いだ。正直にするとトラブルに巻き込まれず静かに生きられるから。 
人生における自分の喜びが最大になるように生きている。正直であることは、長期的に見て自分が幸福でいられるというり理性的な根拠があるから。(彼は理性的な快楽主義者) 
(前の人は快楽主義者であったが、)自分は神秘的な快楽主義者である。正直であることが自分を幸福にすると自分は知っているから。理性的な理由はなく、直感的にそうであることを知っているというところが神秘的である。自分では、合理的には嘘をついた方が幸福になれると考えているが、神秘的な理由で正直に生きている。 
自分が正直であるのは、偶然のことであるから。一般的に人が嘘をつくのは嫌な相手に会ったり困った状況に陥ったりするからだが、自分は幸運にも偶然にもこれまでそういう状況に陥らなかった。 
自分は正直でいたい気分だから。正直であるべきかどうかという議論は自分には関係ない。 
木が育つことは、木にとっての特別な理由はない。それと同じように自分が正直であることは、自分にとって理由はない。しかし、自分を超えたもっと大きな目的に自分が正直であることは意味を与えている。(彼は禅宗徒である。)

思わず吹き出してしまうような、余りに正直な意見が並んでいて、読んでいると楽しいのだが、静かに考えるとなかなか答えは出てこない。

このように正直であること、つまり道徳の意味を真剣に考えると実は難しい問題であるし、人によって異なる考え方をしていることがわかる。理性的な快楽主義者と言われた人の考え方に近い人も多いと思う。それ以前に、道徳の意味さえ考えずに生きているかもしれない。道徳がどれほど大きな意味を持つのか、こうして哲学に扱われていること自体を疑問に感じる人もいるかもしれない。しかし、道徳を行動の価値判断基準と考えると、行動の価値判断が何にも基づいていないとすれば、この世は混沌として闇の世界に陥ってしまうのだから、その重要性は理解できるのではないか。スマリヤンはこの本で答えを提示しようとはしていないが、この問いの重要性には気づいてほしいという姿勢である。


レイモンド・スマリヤンによる他の著書も面白い。著者は、一流の数学者、論理学者でありながら、一般人向けに論理学をベースにしたクイズの本を多数出している。例えばゲーデルの不完全性定理をモチーフにした本「数学パズル 美女か野獣か 楽しみながらゲーデルの謎にせまる」(森北出版 阿部剛久訳)なども読んでいて楽しい。


「哲学ファンタジー」 ちくま学芸文庫 レイモンド・スマリヤン著 高橋昌一郎訳







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