「ニーベルンゲンの歌」 運命との闘い

歴史を紐解けば、紀元437年にゲルマン人のブルグンド族がフン族に滅亡されたことが記されているが、これを下敷きにして中世末期の13世紀頃に書かれた一大叙事詩である。全編が4行詩の形で歌われており、美しい形式を持っている。日本語訳にしても、その一部を確実に味わえるのであるから、もし原語がわかるならば、きっと素晴らしい感銘を味わえるのではないかと思う。

ライン河畔ウォルムスに都するブルグント国は、繁栄を誇っていたが、勇者ジーフリトと王女クリエムヒルトの恋とそれに続くジーフリトの死を端緒として、破滅へと向かっていくのである。

ニーデルラント国の王子ジーフリト(ジークフリート)は、竜退治までやり遂げた不滅の勇士で、しかもニーベルンゲン国を倒してその国の至宝も手に入れた王者でもある。ジーフリトは、ブルグント(ブルグンド)国のまたとなき美しき王女クリエムヒルトに求婚し、王女の兄グンテル王を助けたことで結婚を許される。その後、ニーデルラント国王ともなり、力、愛、富の全てを手にした二人は幸福の絶頂を迎えた。

しかし、兄王グンテルの妃にそれを妬む心があった。それを知ったグンテルの忠臣ハゲネは、ジーフリトを暗殺するのである。ハゲネの提案に、王室の者は反対もしたが、結局グンテルは暗殺を決意する。竜退治の際に全身に竜の血を浴びたジーフリトの肌は、どのような剣も跳ね返す鋼のように硬かった。しかし、竜の血に触れなかった弱点があって、それを知られたジーフリトは、ブルグント王室の狩の最中にハゲネに暗殺される。最愛の王を失ったクリエムヒルトは悲嘆にくれ、そして兄王やハゲネが暗殺したことを知り復讐を誓うのであった。

クリエムヒルトは、フン族の国王エッツェル(アッチラ)から求婚され、フン国の王妃となる。王妃という権力を使い、ブルグント国王をフン国宮廷へと招待し、ジーフリトが亡くなって10余年経って、その復讐を果たす機会が訪れた。

ハゲネは、クリエムヒルトの招きを罠であると見抜き、フン国行きに反対したが、ブルグント国王グンテルは、武力を誇るフン国王エッツェルの招きを断れなかった。グンテルは、王族とその家来数千人でフン国を訪れる。ブルグント勢は、クリエムヒルトに唆されたフン国の家来と壮絶な闘いを繰り広げたが、いかに勇猛果敢な勇者揃いといえども多勢の前に力尽きてしまう。最後は、両軍の勇士は全て討たれ、フン国に加担する東ゴート族王ディエトリーヒ(テオドリヒ大王)とその老将ヒルデブラントを除くと、ブルグント国のグンテルとハゲネだけとなった。

ディエトリーヒに捕獲されたグンテルとハゲネは、クリエムヒルトの手によって首を切り落とされる。また、復讐を果たしたクリエムヒルトも、ヒルデブラントによって討たれ、ここにブルグント王族は全て滅ぼされたのであった。

この物語の中で、廷臣ハゲネは敵役のように映るが、実はブルグント族そのものを象徴する存在と思える。ジーフリト暗殺もハゲネの私心で行うのではなく、ジーフリトのような強者がいては、ブルグント族の将来に不安が残るからこそ実行したのである。フン国の宮廷で戦われる死闘で最も力を発揮するのもハゲネである。その勇姿でもってブルグント族全体の武勇を現している。最後に、その勇者が、戦場の闘いではなく、女性の手によって首を取られるのは最も苦しい悲劇であり、運命の皮肉を感じさせる。

フン国へ招待されて行く旅路でハゲネは妖精と出会い、今回の旅でブルグントに無事帰国できるのは同行した神父だけであると宣言される。ハゲネは、運命を試そうとして、ドナウ河を渡る際に神父をドナウ河に投げ込んでしまう。ドナウは勇士でも溺れてしまうような大河で、そこに投げ込まれたら命は無いものと同じであるが、神父は無事に対岸へ流れ着き無事に本国へと帰っていく。そこで、ハゲネは、ブルグント族滅亡の運命を確信する。ハゲネは、滅亡への旅路ではあるが、運命から逃げる姿は微塵も無く、正々堂々と立ち向かって最後まで生きる術を探して闘い続ける。

ジーフリトを討ったのはハゲネであり、ハゲネだけを差し出せばブルグント全体は救えたはずであるが、グンテル国王はそうしなかった。廷臣といえどもハゲネは王族の血筋で、ハゲネを切り捨てることはブルグントの名誉にかけてできなかったのである。

最初は不滅のジーフリトの強さにまばゆいばかりの魅力を感じるのであるが、最後まで読み進めるにつれ次第に、死すべき運命に抗いながらも運命と正々堂々と戦い続けるハゲネの人間的な魅力に惹き寄せられるのである。

それは、民族というスケールで見たときに、民族の持つ勇敢さや精神力や潔さをうまく表現しているし、個人のレベルで考えたときにも、自らの死を見つめて運命から逃げずに返って立ち向かっていくというのは並々ならぬ精神力が表現されており、この辺りにニーベルンゲンの歌の奥深い魅力が隠されているのではないかと思う。

「ニーベルンゲンの歌」(前編)(後編) 岩波文庫 相良守峯訳




コメント

このブログの人気の投稿

フレイザー 「金枝篇」 ネミの祭司と神殺し

ヴォルテール 「カンディード」 自分の庭を耕すこと

安部公房 「デンドロカカリヤ」 意味の喪失