魔の山 7 死と隣り合わせ、しかも隔絶されている

生と死が隣り合っているサナトリウムではあるが、しかし、隣人に訪れた下知らないという、何か隔てられている関係である。

「君に聞こうと思っていたがーー」と彼はいった。・・・・「僕の部屋の病人は、僕が着いたときちょうど死んだというんだね。ほかにもまだ、君がこの上に来てから、死んだ人がたくさんいるかい?」
「いくにんかはいるね」とヨーアヒムは答えた。「しかし、どれもこっそり片づけられてしまうんでね、だれもそれを少しも知らずにしまうか、あとでなにかの折りに知るだけで、だれかが死んでも、患者たちに知らせないように、ことに、発作を起こしかねない婦人たちのことを考えて、極秘のうちに片づけられてしまうんだよ。君の隣の部屋でだれかが死んでも、君はそれを少しも知らないでしまうだろうよ。・・・」(p96)
舞台裏で大切な事が起こり、そして片付けられてしまう。何か現代社会にも似たところがある。もしかすると、この人間社会はずっとそういう仕組みなのであろうか。
サナトリウムという非常に狭い人間関係の社会にも、その外側にある同時代の大きな世界からの影響からは逃れられず、その影響の現れがこういうところに出ているのだろうか。


「魔の山」 岩波文庫 トーマス・マン著 関泰佑、望月市恵訳

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