魔の山 5 ハンブルグ

祖父と死別したハンス・カストルプは、母親の叔父にあたるティーナッペル領事のところに引き取られた。石炭やタール、それに積み上げられた植民地貨物でごった返す、国際貿易で栄えた港町ハンブルグ、彼はこの町の上流階級に属して成長していった。

商業をなりわいとする自由都市の支配的上流階級が、その子弟たちにつたえる高度の文明を、ハンス・カストルプはのんびりと、なかなかぴったりと身につけていた。(p59)
ハンス・カストルプは、「人生のなまの享楽に、赤んぼうが母親の乳房にしがみつくようにしがみついて」いた。食後のシガーにも強い執着を持っていた。彼は仕立屋に服を作らせ、外へ出ていた期間にも下着類はわざわざハンブルグへ送って洗濯をさせたりもした。アイロンのかけ方はハンブルグが一番であるという理由でである。そういう上流社会の生活を送っていた。

彼は、「天才でもなかったし、愚物でもなかった」。著者が彼を平凡と呼ぶことを避けているのは、平凡という言葉がハンス・カストルプの知性についていっていると誤解を与えるのをさけるためである。ハンス・カストルプは自分で認識していなかったかも知れないが、人生の奥深い真理を感じ取ることができた。
それに、彼はどのような事柄と対象のためであっても努力などはまっぴらであったろう。苦しみをするのがこわかったというよりも、そんな必要を絶対にみとめなかったからであった。もっと正しくいうと、そんなことをしなくてはならない絶対的な必要をみとめなかったからであった。そういう必要のないことを何かの形で感じていたからこそ、私たちは彼を平凡よばわりしたくないのでだろう。(p61)

「魔の山」 岩波文庫 トーマス・マン著 関泰佑、望月市恵訳




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