グレアム・グリーン 「叔母との旅」

主人公のヘンリー・プリングは、長年真面目に務めたロンドンの銀行の支店が閉鎖されるときに、退職して50代にして年金暮らしをしている人物であった。ずっと独身でありダリア園芸の他に趣味もなく、銀行と自宅の間を行き来する狭い世界に住んでいた彼にとって、大して金もなく知人友人もほとんどなく、引退してからの日々は時間を持て余すものであったのだが、彼の母親の葬式に出て、初めて叔母のオーガスタ・バートラムと出会ってからというもの、彼の人生は大きく変わることになる。

オーガスタはヘンリーを自宅に招いてくれたのだが、そこで驚くべきことを話した。ヘンリーは、確かに彼の父親の子であるが、実の母親は別人であるという。50も半ばにして、自分の母が義母であったことを初めて知ったのである。

オーガスタは、86歳になる前に亡くなったヘンリーの母親と12歳ほど離れた妹で、真面目な性格であったヘンリーの母とは反りの合わない、奔放な行動で活力にあふれ、はっきりとものを言うタイプの女性であった。(それだから、長年ヘンリーは叔母に会うことがなかったのであろう。)ずっと独身であったようで、世界中を飛び回り、幾人もの男性と関係も持っていたようでもあった。

狭い堅苦しい世界に住んでいたヘンリーにとって、オーガスタの生きている世界は、全くの別世界であり、先の見えない危うさとともに何か妖しい魅力を以て彼に光を投げかけて誘っているようでもあった。実際、旅行好きのオーガスタに、ヘンリーは旅行のお供を相談され、その後二人はあちこちを共に旅することになる。オーガスタと実際に旅行する旅であり、旅行の合間にオーガスタから聞く彼女の人生も旅そのものであった。


ロンドンからイスタンブールへ向かうのに、わざわざパリ発のオリエント急行に乗った時、道理に合わないがロンドンからパリまでは飛行機を使い、オーガスタは大きなスースケースをヒースロー空港に持ち込んだ。大量のポンドをこっそり国外へ持ち出すためである。みすぼらしい今にも壊れそうな柔な作りのスーツケースであれば、税関も荷物運搬人も詮索しないだろうという見込みの下の賭けの行動であった。著者グレアム・グリーンの諜報部員としての経験から書いている真実味のある裏の世界の人々の行動が、物語のあちこちに垣間見られる。

オリエント急行と言うと華やかな印象を持つが、実際の旅は、地味で苦労の多いものであった。そもそも食堂車が連結されておらず食事もろくに取れず、旧共産圏は殺風景で駅に停車しても長い検閲や停車が待っているだけで何の楽しみも無い黙々と座り続けているだけのものだった。そうやって苦労してイスタンブールへ着くと、警察が捜査に来るのだが、イギリスから国外へポンドを持ち出したのはイスタンブールで何か取引をしようとしたことがわかる。ポンドは金に換えた上で燭台に巧妙に隠してあり、結局証拠が見つからないまま二人は短い時間滞在しただけで国外退去となってしまい、取引は失敗である。


旅の合間に語られるオーガスタの人生はもっと波乱に満ちている。イギリスのブライトンでサーカスに関わっていたかと思うと、パリでは愛人としてアパートに住み、イタリアでは何やら怪しげな一座に参加していたようでもある。アラブやバチカンや警察を向こうに回して詐欺を企むこともあれば、犬の教会を開いて多くの金を集めてもいる。ロンドンで一緒に暮らして、彼女の世話をしていたワーズワスと呼ばれるアフリカのシエラレオネ出身の黒人は、麻薬の常習者でもある。オーガスタは、犯罪や悪徳と同居しながら、そこにうしろめたさや罪の意識はなく、何かそういったものを超越した信念を持って生きている人である。


ヘンリーが慣れ親しんだ世界が時折語られるのだが、銀行員時代のお得意さんのアルフレッド卿の娘であるキーン嬢というそれなりの年齢に達している女性が出てくる。オーガスタが見せてくれる新しい外側の世界にヘンリーの心が傾くとき、古い世界へとヘンリーをつなぎとめるのがキーン嬢との思い出であり、彼女との文通である。ヘンリーとキーン嬢は、熱烈ではなく、なんとなく相手に好意を持っており、自分たちの年齢を考えると結婚した方が便利であろうという功利的な理由で互いに相手を気にしている。どちらも少し消極的な理由で相手を求めているので、互いに相手が言い出したら自分もそれに応えるのだと待っている姿勢である。キーン嬢へ結婚を申し込んで慣れ親しんだ世界に留まろうとヘンリーは何度も考えるのだが踏み切れない。外側の世界は、危険や悪徳に満ちているけど、生の充実感に満ちた魅力的なものに映った。


いつも楽しい旅であったとはいえない。イスタンブールの酒場で、ヘンリーは自分がのけ者であることを感じる。そして、新しい外側の世界においてというよりは、これまで生きてきたすべての場所において自分はのけ者であったと気づくのである。それは銀行勤めの時も、キーン嬢との会食の時も、そして多分自分の母親と一緒の時もである。


暫くオーガスタと音信不通となった後で、南米パラグアイのアスンシオンへ船便で来るようにと手紙があり、部屋に飾られていた額縁を持ってヘンリーは出かけていく。しかし、今度の旅はこれまでの者とは異なり、慣れ親しんだ世界に留まるか、それとも外側の世界へ踏み入るかどうかを決める旅となった。


外側の世界に住む人々はこの危険に満ちた厳しい世界を生き抜くためであれば、麻薬、密輸、詐欺など何であろうと罪でも悪でもそれを行う。しかし、そこには、必死さに生の純真さが重なるように感じる。

自分たちが安穏と暮らしている世界の外には、もっと厳しさと悲惨さに満ちてはいるが、もっと生の真実に近い世界があるのだと著者は言っている。その厳しく悲惨な生を生き抜くには、善とか悪とか議論している余裕はなく、必死さだけが真実である。しかしそれでも、そこには何か信仰のようなものを感じてしまう。信仰のようなものを持たずに悲惨な世界を生き抜くことが出来るのだろうか。

ヘンリーは、平穏な世界に住むが、彼には信仰は無く、多分彼には神も存在しないのだろう。ところが罪や悪徳を為す人々に、精神的な力強さが現れている。ワーズワスは、人を愛することに非常な純粋さを示す。オーガスタは、善も悪もなく行動するけれども、厳しく悲惨である生の真実を認識した上での超越した何かを持っている。その純粋さや超越したものに信仰的なものが宿っているように感じられるのである。何か非常にたくましいものを与えてくれる力である。


「叔母との旅」 早川書房 グレアム・グリーン全集 グレアム・グリーン著 小倉多加志訳

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