茨木のり子 「花の名」

茨木のり子の「花の名」は、父の告別式の帰り道に、その心中を詠んだ詩である。近親の者を失って、深い悲しみに心は暗く沈むのだけれども、著者の悲しみを知るべくもなく世の中はいつも通りに過ぎていく。世の中の平穏さと、著者の死者を悼む心中とが、詩の中で並行して並べられ、その落差に一層著者の悲しみを知るのである。

詩の場面は告別式からの帰りの列車の中である。ちょうど乗り合わせた男性客が浜松のストリップの話題に話しかけてくる。その客にとっての日常は、そんなことであったのだろうし、ある意味、人の生と性(さが)の最も現れた話題であったのかもしれない。人の生と死が隣り合わせに、併存していて、悲しみとばかばかしさとが一つ所にあって、大げさに人の死を嘆くよりも反ってもの悲しさが強まるような気がする。

著者は黙って自分の世界に引き入ったまま、通り過ぎたいのだが、客が話しかけてくるものだから、日常の世界に連れ戻される。そして花の名を問われるのである。

花の名を知っていることは素敵なことだと、著者の父が娘に対して教えたのだった。そんな父の思い出が、花の名前をきっかけに蘇ってくる。父は田舎の医者で、知的な人であり、著者を知性の世界に導いてくれた人だった。田舎の人々を助け、慕われ、涅槃図のように人々が集まって、その死を悼んでくれた。著者は、生きているうちに、父には言えなかったことがたくさんあったのだろう、そうやって、いくつもの記憶を辿りながら父に話しかけるのである。


「茨木のり子詩集」 岩波文庫 谷川俊太郎選 茨木のり子


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