グレアム・グリーン 「事件の核心」

第二次世界大戦時の西アフリカにあるイギリスの植民地が物語の舞台である。そうとは書かれていないが、シエラレオネである。そこは貧困や荒廃にまみれて、悲惨さの極みにあり、殺人や窃盗や汚職などが横行し、ヨーロッパ人、現地アフリカ人、中東から来るシリア商人など人々は平気で嘘をつき相手を欺きながら生きていた。悲惨な環境では生きるのに余裕はなく、そうしなければ生きていけなかったのである。そうできない者は、自死を選ぶしかなかった。

主人公スコービーは、そのような環境であるにもかかわらず、賄賂を受け取って蓄財することもできず、人を欺いて出世することもできず、日々の勤務を真面目に勤める警察副署長であった。スコービーはカトリックであり、神を心の底から信じていた、神を愛していた。彼には悪を為すことができなかったのである。彼は、人々を公平に扱おうとしたので、逆に人々に疎まれていた。


スコービーには、ルイーズという妻があった。インテリで、詩を読むことを好むのであるが、西アフリカに来るような一物あるような人々やましてや現地人には相手されない人物であった。ルイーズは、西アフリカで人付き合いが出来ず、唯一の話し相手であるスコービーにつらく当たり、彼はルイーズを持て余した。スコービーは、ルイーズを彼なりに愛していたが、ルイーズには伝わらなかった。夫婦喧嘩の際に出たのが次の言葉である。
「おまえはおれに平安を与えることができない女だ」 (中略)「私がいなくなればあなたは心の平安を得られるでしょう」「なんにもわかっていないんだな」
スコービーは、心の平安を求めていた。毎日生きるのがどんなに苦痛の連続であるか、彼はどうにかして心の平安を手に入れたいと熱望していた。それはルイーズが言ったように何かの悲惨さや苦痛の不在によって得られるものではなく、神から与えられるものであった。

ルイーズが西アフリカを離れて南アフリカへ行きたいといった時、賄賂を受け取らないスコービーには、金が全くなかった。そこで金の工面のために、彼は、皆から嫌われているシリア商人のユーゼフから借金をする。ユーゼフは、ダイアモンドの密輸で富を築いているという噂であったが、真相はわからない。世渡りの上手な人間であれば、ユーゼフのような危険人物と関わらないのだが、スコービーはユーゼフしか頼る人間がいなかった。

ユーゼフは、人を欺き金を巻き上げる、自分の商売のためであれば人を殺すことも厭わない、家来か敵しかこの世にはいないような人物である。常に誰かを見張り、常に誰かにつけ狙われ、取引を繰り返している。権力を持つ白人たちには見向きもされないが、植民地では商店を経営し重要な役回りを占めていた。そのようなユーゼフであるが、スコービーに好意を、というより友情の気持ちを表すのである。スコービーが示す誰にも公平であろうとする姿勢は、ユーゼフにも同じように公平であり続けたから、ユーゼフはスコービーを尊敬し友情を抱いていた。

スコービーとの会話で溢れ出るユーゼフの真心は、人が持ちうる真実の心情だと思う。しかも、ユーゼフはその真実の真心を示した後でも、スコービーを裏切ることさえするのである。真心と裏切りはどちらも彼の真実であり、矛盾する二つのものが同居して、偽善によって覆い隠されずに自然に現れるところに、ユーゼフという人物の魅力があると思う。


ユーゼフに金を借りたスコービーは、ルイーズを南アフリカへ行かせることが出来た。一人になった彼は、平安が訪れると期待していたが、そうはならなかった。スコービーは、難破船に乗っていて救助された若いイギリスの未亡人ヘレンと副署長という職務上で関りを持ったのだが、彼女と浮気をしてしまう。浮気していることを隠すために気を使い、次第に精神的に成長しわがままを言うようになるヘレンの相手をするのに疲れ、終いには、ルイーズが戻ってきて、三角関係の中で軋轢に苦しむことになる。



ユーゼフと並んで興味を引く人物がもう一人いる。ウィルスンという謎の多い人物であるが、実は諜報部員であった。ウィルスンは、ルイーズに恋し、スコービーに反感を持ち、絶えずスコービーを付け狙っていたので、その三角関係の中に自ら関わっていく。


まだ、スコービーがユーゼフから金を借りず、苦悩の多い毎日ではあるが自分の道を外さずに生きていたとき、彼は、自分が神の前では小さなものにしか過ぎないのを知っているのであるが、それでも自分は神に赦しを乞うような行為を成していないと信じていた。彼の心情をよく表しているのが次の文章だと思う。
どうして、(中略)おれはこの町がこんなに好きなんだろう?ここでは人間性がおのれを偽装する暇がなかったためか?ここではだれも地上の天国について語ることはできなかった。天国は死の向こう側のあるべき場所に厳然と存在しており、こちら側にはよそでは人々が巧みにもみ消している不正や、残虐や、卑劣が隆盛をきわめていた。ここでは人間を、ほとんど神が愛するように愛することができた、その最悪の部分を知りながらも、である。
人間的に非常に立派な考えのようであるが、そこには陥穽のようなものがあり、信仰的な傲慢さが見えるようである。まるで自分が神に近づいたかの如くである。勿論、彼にはそんな気持ちは無いのだが、無意識のうちにそういう気持ちを抱いている。あまりにも真剣に生きているがゆえに、自分が信仰的に傲慢なものを抱いていることに気づかないのだが、人は悪から離れて潔癖に生きることはできないから、自分が悪を為しうることに気づくと呆然として成す術を失ってしまう。実際、彼はこの後から不倫に落ちていくのである。

スコービーの物語は、聖書のヨブ記を思い起こさせる。ヨブは信仰に厚く、掟を守る、完璧な人であったが、神の前では塵芥(ちりあくた)に過ぎなかった。そのことをヨブは理解していなかった。そこに傲慢な態度が見えるのである。傲慢な信仰、何か共通点を感じる。

スコービーの苦悩や悲惨さは、実はスコービー自身が作り出していると思う。それは、彼が悪いというのではなく、人間であれば誰でもそうであるように、自分の行為や自分と周囲との関係の中で、自分の思い通りに自分の未来を決められない、そうならざるを得ない人間存在の宿命なのではないかと思う。

ルイーズに対して不倫を隠していた彼は、教会でのミサにおいて嘘の告白をすることになり、神にさえ嘘をつくという行為に苦しむ。それは、彼にとって、神を否定するに近い行為であった。神の定めた掟を守らないことよりも、神を否定することのほうが比べるまでもなく大きな罪であった。
「おお、神よ、私はあなたを見棄てました。あなたは私を見捨てないでください」
スコービーは、三角関係に悩み、生きることに苦しむけれど、実は、常に自分と神との関係に悩んでいる。周囲の人への憐憫に動かされて何かを行うと、それは神を否定してしまっていることに気づき呆然として、生きる術を失ってしまう。遠藤周作の「沈黙」に影響を与えたと聞いたことがあるが、神を愛し神との関係に苦悩する姿を見ると、そうであるかもしれないと思わせる内容である。

「事件の核心」 早川書房 グレアム・グリーン全集 グレアム・グリーン著 小田島雄志訳

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