チェスタトン 「ナポレオン奇譚」 英雄の歌

本作品はチェスタトンが1904年に発表した長編作品だが、80年後のイギリス政治を人を食ったような破天荒な奇抜さで描いている。1984年のイギリスは、中世・近世に逆戻りしたかのように国王による専制君主制となっていて、しかも、国王は籤(くじ)引きで選ばれるのである。

オーベロン・クウィンは、友人たちの間では奇矯な行動で知られていたが、その彼が国王に選ばれた。オーベロンは、国王になると自己の奇想さ奇矯さを誇示するかのように、ロンドンの各地区を中世都市の佇(たたず)まいへと変えさせた。それぞれの地区に旗を持つ衛兵の姿が現れ、領主が据えられた。中世の儀式の世界の復活である。オーベロンにはユーモア以上の考えはなかった。オーベロンの姿には、この世に真実なるものはない、真面目に生きる必要はない、そうであるなら全ては諧謔と笑いでおどけた振りしてやり過ごそう、そういう精神が窺える。

そのようなオーベロン国王による冗談のような命令を真剣に受け止めて、旗を掲げて国王に心から忠誠を誓い、古めかしい儀式に生命を吹き込む者が現れた。ノッティング・ヒルのアダム・ウェインという若者であった。国王は自分の冗談に真剣に付き合う者が出てきたと喜ぶのであるが、実際は、アダム・ウェインは国王の言葉を語られるままに受け取って国王に忠誠を誓うのである。アダムには人の冗談に付き合っているつもりは微塵もないし、そもそも国王の命令が冗談であると微塵も考えていない。ある意味、天才と天才の邂逅(かいこう)、それは、人の及びもつかぬことを考え付く者と、徹底した真面目さで自分の信念を生き抜く者の出会い。

そこへ、ノッティング・ヒルをめぐる闘いが起きる。ノッティング・ヒルを買収して都市開発しようとする勢力が現れるが、アダムはノッティング・ヒルの神聖さを信じており都市開発など眼中にないからその買収提案を拒否したところ、交渉や裁判や国王の裁定によらず、力づくでの解決、つまり剣と剣、拳(こぶし)と拳によって土地を奪う市民同士の内戦が始まった。国王は、自分の戯れが闘いの儀式で盛大に飾られることに満悦である。

しかし、オーベロンの旧友や周囲の者は、国王に抗議し反対しつつも、話が通じないアダムを軍隊の数で押さえつけようとするのだが、アダムの知略によって狭い街路へとおびき寄せられ、逆に打ち負かされ、次第に正気を失って内戦の中に引きずられていく。
 
真面目な者、不真面目な者、天才、変人、様々な者が歴史を紡いでいく。世界の歴史は、神と天才とによって築かれていくのだと言わんばかりである。チェスタトンの作品には神が現れるが、この作品では神は出てこないように見える。しかし、この不条理とも言える物語の進行を見ていると、何か旧約聖書にある神と民との関係を感じる。どこかに神がいて見ているのではないかと思う。


「新ナポレオン奇譚」 ちくま文庫 チェスタトン著 高橋康也訳、成田久美子訳




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