プラトン 「メノン」 考える術(すべ)

ギリシャ北部の国テッサリアの名門出の若者メノンが、「徳(アレテー)は教えらるものでしょうか?」とソクラテスに問うた時、メノンは何を考えていたのであろうか。メノンには自らの実力や有能さに自負がありそれを誇りたい気持ちがあっただろうし、自分の血筋が有能さを決めたのかそれとも勉学によって実力が築かれたのか知りたいと思ったのかもしれない。メノンにとっての徳は社会における自分の実力のようなものであった。


問われたソクラテスは直接に答えず、徳とは何か知らないのに徳が教えられるものかどうかを答えることはできないと言い、逆にメノンに徳とは何かと問うのである。メノンは、徳とは国を支配する政治家の有能さであるとほんやりと考えているだけであったから、いざ徳とは何かと言われたときに、答えられなかったし、何故徳の意味を探究せねばならないのかもわからなかったのだろう。

当時のギリシャ人にとって徳(アレテー)という概念は、人以外にも適用できて、そのものの能力を発揮させている源のようなものと考えられていた。例えば馬の徳(アレテー)は速く走ることである。だからメノンが人の徳(アレテー)を社会を支配する力と答えたとき、当時のギリシャ人の多くが考えていたものに近かったのであろう。


しかし、ソクラテスはその答えに満足しなかった。人の徳(アレテー)は、政治家だけでなく、男も女も市民も奴隷も人であれば全て共通に持っている優れた性質、真に本質的なものであるとソクラテスは考えていた。名門の生まれのメノンにはこの考えも理解できていないようである。

二人は対話をしながら徳とは何かを探究して行きながら、人が共通に持つ優れた性質として正義、勇気や節度も徳であると見つける。するとメノンは、徳とは正義のようなものであると言い出す。これでは徳は正義によって表され、正義は徳によって言われるから、循環に陥っている。

ところで、このように徳の中に含まれるものを正義、勇気、節度といったように列挙していくのでは、徳は何かを言いえない。そもそも、ソクラテスは徳を知らないと言っているわけで、知らないものを探究する方法はあるのだろうか。探究のパラドクスと呼ばれるものが提示される。

「人間には、知っていることも知らないことも、探究することはできない。知っていることであれば、人は探究しないだろう。その人はそのことを、もう知っているので、このような人には探究など必要ないから。また、知らないことも人は探究できない。これから何を探究するかさえ、その人は知らないからである。」

このパラドックスへのソクラテスの回答は、人は生まれる前にそのことを知っていて忘れているだけだから、そのことを思い出すことができる、という想起説である。だから、一見知らないように見えることも探究することができるのだという。

ソクラテスは想起説を説明するために、メノンの召使の少年に幾何学の問題を解かせる。少年は幾何学など知らないから、自分では解けないのであるが、ソクラテスが考える筋道を誘導しながら教えると、自分の力で回答を導き出すのである。つまり、正しい考え方を持っていれば探究することはできるというのである。優れた人々は、正しい道筋に沿って考えるから、その秀でた能力を勝ち得たのだという。


そこで、ソクラテスは知らないものを探究する手段として仮説による考察を提案する。徳はお知られるかということが議論の出発点であったが、教えられるものは知識であることから、徳は知識のごときものであるという仮説を立てる。また、徳(アレテー)そのものは、よいものである、という仮説も立てる。

勇気や正義も、正しい判断力や知性があって初めて優れた性質となる。つまり徳は知性に結びついているというのである。では、知性あるいは知識であれば、教えることができるのか。ここにきて、ソクラテスは徳は教えられないという現実の例を出しながら、仮説のどこかに誤りがあるのではないかと指摘する。実際に、優れた人々の子供が必ずしも優れた人物にはならない事実を見ると、徳は教えることが難しいものであることがわかる。ソフィストと呼ばれる人々が徳を教えるといって当時のアテネには現れ、多額のお金を受け取って教育をしていたが、弁論術は教えられても真の徳は教えることはできていなかった。

結局、話は結論が出ないままに終わってしまう。徳が何であるのかは、わからないまま残されるのだが、それはここまでの話で読む者に考える道筋を教えたのだから、あとは自分の力で考える時だとプラトンが語り掛けているように感じる。


徳とは何であろうか。良きものであるとソクラテスは語った。それは、人が生きる目的のようなものではないだろうか。


「メノン」 光文社古典新訳文庫 プラトン著 渡辺邦訳




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