L. Scott Fitzgerald "The Great Gatsby"(フィッツジェラルド グレート・ギャツビー)

ギャツビー(Jay Gatsby)は何を追い求めて生きたのだろうか。

ギャツビーは、ニューヨークに近いロングアイランドにある壮大な邸宅へ毎夜多数の客を招き盛大なパーティを催してはいるが、パーティの喧騒から離れて佇む彼自身はそのパーティを楽しんでいるわけではなかった。ギャツビーは青春時代に愛したデイジー(Daisy)という女性、今はトム(Tom Buchanan)と結婚し湾の対岸に住んでいるのだが、彼女に再会することを待っていた。

    'Her voice is full of money,' he said suddenly. (p.115)

デイジーの声は金で一杯だ、という有名な言葉、彼女は裕福な家庭で不自由なく育った。デイジーは、ギャツビーにとって、人生の目的を象徴するような存在だと思う。彼女は、裕福な家庭に育ち、美人で華やかであり、そして中西部に生まれた若きギャツビーよりも東(ルイビル)に住んでいた。アメリカでの東は、エスタブリッシュメントを意味している。ギャツビーにとっての人生の目的は、グレートになること、彼にとってそれは物質的あるいは金銭的な成功であり社会でのステータスの獲得であったと思う。

そして、彼の人生は挫折で終わる。グレートとは人生にとってどういう意味があったのか。デイジーと再会したとき、実は、物質的、金銭的な成功や社会のステータスなど虚しいものであることに彼は気付いていたのではないかと思う。そしてニックも、また薄々感じていたのではないか。

I see now that this has been a story of the West, after all -- Tom and Gatsby, Daisy and Jordan and I, were all Westerners, and perhaps we possessed some deficiency in common which made us subtly unadaptable to Eastern life. (p.167)

この物語はニック(Nick Caraway)という中立的な視点を持つ人物によって語られている。ニックが、見て、聞いて、体験した出来事の中からニックによって語るべきであると選ばれたものが、ギャツビーに関する想い出として綴られている。ギャツビーがグレートになりたいと追い求めた心情は、中立的な語り手であるはずのニックによっても共有されているのではないだろうか。そして、その心情は、実は我々読者にも共有されているのではないだろうかと思う。アメリカの特定の時代の特定の場所を描いてはいるが、普遍的な主題が扱われていて、違う時代の違う場所で生きる我々にも同じく共有できる主題なのではないだろうか。


ギャツビーがこの世からいなくなったとき、ニックの目には、世界が以前とは違って輝きを失い歪んだ恐ろしいものにしか映らなくなった。ギャツビーが追い求めた社会的な成功が虚しいものであるとニックが悟ったとき、文明が作り出したものは全て崩れ去ってしまった。


    Most of the big shore places were closed now and there were hardly any lights except the shadowy, moving glow of a ferryboat across the Sound. And as the moon rose higher the inessential houses began to melt away until gradually I became aware of the old island here that flowered once for Dutch sailors' eyes --- a fresh, green breast of the new world. Its vanished trees, the trees that had made way for Gatsby's house, had once pandered in whispers to the last and greatest of all human dreams, for a transitory enchanted moment man must have held his breath in the presence of this continent, compelled into an aesthetic contemplation he neither understood nor desired, face to face for the last time in history with something commensurate to his capacity for wonder. (p.171)

海峡に月が昇るつれ、ニックの目には、数々の邸宅は溶け出して存在を失い、そこには新大陸が発見された当時そのままのロングアイランドがあるだけだった。過去の人間の歴史を持たないこの新大陸で、真に生きるとはどういうことなのだろうか。著者からの問いかけがここにあると思う。それは、物質的な豊かさだけを追い求めて今を生きる者に対しても、同じ問いかけが投げかけられているのではないだろうか。

    Gatsby believed in the green light, the orgastic future that year by year recedes before us. It eluded us then, but that's no matter --- tomorrow we will run faster, stretch out our arms further ... And one fine morning --- 
    So we beat on, boats against the current, borne back ceaselessly into the past. (p.171)

明日は今日よりももっと速く走れる、そう、未来の成長を信じて生きる。もしも、明日が約束された通りでなかったら、人の目は過去の栄光へと留まってしまう。それは、ギャツビーがそうであるように、人は、未来へ向かって生きているはずが、実は過去の青春の美しい想い出に向かって逆向きに生きているのではないだろうか。


"The Great Gatsby", Modern Classics (Penguin), by F. Scott Fitzgerald







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