ポオ 「モルグ街の殺人事件」 2 あるものを否定し、ないものを説明する

デュパンは、「ギャゼット・デ・トリビュノー」誌の夕刊記事でモルグ街で起きた奇怪な殺人事件について知った。事件の概略は以下のようである。

午前3時頃、恐ろしい悲鳴がレスパネェ夫人母娘の住む家屋の4階から起こった。警官と近隣の者8、9名は玄関を鉄梃(かなてこ)でこじ開けて中に飛び込むと階段を駆け上がった。階段の途中で、階上で何か叫ぶ声が聞こえたが、一同が4階の部屋に着いたときには静かになっていた。中にはいるとそこは戦慄に満ちた光景があった。家具調度類はめちゃくちゃに壊され部屋中に四散し、床や家具の上には血痕や毛髪も見つかった。大きなお金の入った袋も発見された。

部屋を捜索した時、すぐには母娘は見つからなかった。娘の死体は、無惨にも、暖炉の煙突の中に逆さまの向きで無理に押し込まれていた。夫人の死体は、中庭に落ちていた。二人の死体には、掻き傷、擦り傷、打撲の跡が残っていた。特に夫人の体は無惨に切り刻まれ、人間の体とわからないほどであった。犯人の目星はつかず、全くの謎の怪事件として新聞には報じられた。

デュパンはこの怪事件に知的好奇心を持ち、警察から調査の許可をもらうと殺人現場に向かい、丹念に調査を行った。その後、数日部屋にこもって何か思索をしている様子であったが、遂に「僕」に対して、あの殺人現場で何か変わった事に気づかなかったかと問うのである。つまり、デュパンには事件の全貌がわかったということであった。

ここでは事件の真相は述べないが、デュパンの捜査方法について少し触れておきたい。

デュパンの捜査方法は観察と推理であった。何が本当に重要なことであるかを見抜き、事件の外面の悲惨さに惑わされず本質を追究するところに彼の神髄があった。証拠や証言で得られた事実をいかに結びつけて結論に到達するか、例えそれが常識に合わない事柄であろうと、論理的に可能な事であればありうるとする、そういう推理の方法であった。

彼は推理と共に方法論をも論じるのである。それは、捜査の方法論であるが、これが推理小説であることからして、その実は小説の組み立て方、読者への意図した効果の投影方法を論じているのに等しい。そこにこの物語の一番の面白さがあるように思える。

もし正しい演繹さえなされるならばだねえ、今後この事件の捜査の進行に、結構一つの方向を与える手掛かりになるだろう事は、請け合いなのだ。「正しい演繹」と、僕は言ったろう。だが、僕の言いたい意味は、それだけじゃ十分でない。つまり、僕が言いたいのはね、その演繹とは、唯一の正しい演繹であり、したがって、嫌疑の手掛かりというものはね、否でも応でも、そこから出てくる唯一の結果としてでなければいけないのだ。(p109)

さらに、彼は、続けていう。

これだけ明瞭な方法でね、こうした結論に達した以上はだ、もはやそれが、不可能らしいからという理由だけで、斥ける事は、かりにも僕ら、推理家をもって任ずるものの、すべきことじゃない。むしろ僕らのなすべき仕事はね、この一見不可能らしいことが、事実は、決してそうじゃないという事を、証明することでなければならぬ。(p110)

この言葉にも次の言葉にも彼の思考方法の神髄が表されているように思う。

「あるものを否定し、ないものを説明する。」(p135)


「黒猫・モルグ街の殺人事件」 岩波文庫 ポオ著 中野好夫訳



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