シェイクスピア 「リチャード3世」 リチャードとマクベス

リチャード3世は、イギリスばら戦争の時代に実在した王であり、史実をもとにしたシェイクスピアの劇となっている。ばら戦争は、15世紀後半、ランカスター家とヨーク家によってイングランドの王位が争われた内乱である。ヨーク家のグロースター公リチャード(後に王位に就いてリチャード3世となる)は、王位のためには、権謀術数を用いることを厭わず、兄弟、血縁者であろうと家臣であろうと容赦なく抹殺していく。

ばら戦争ではランカスター家とヨーク家が争っているのだが、リチャードは宿敵ランカスター家の王を倒した後も手を緩めず、自らが王位に就くためにヨーク家の身内を手にかけていく。兄王の幼い王子たちを手にかけたことは、まさにその典型である。

リチャードの姿は、同じシェイクスピアによる悲劇マクベスを想起させる。自ら策をめぐらして王位を手中にした点では同じである。また、その王位は人心を得られず、戦場で倒れる形で王位から退けられた点でも類似している。

しかし、物語として、二つの劇は性格が大いに異なるように見える。リチャード3世は、情け容赦なく邪魔者を消して、王位を手に入れていく過程に描写の中心が置かれているのに対して、マクベスでは王位につく直前から破滅に向かうまでの苦悩が描写されている。リチャード3世では王位への上りつめる様子が描かれているのに対して、マクベスでは王位からの下り落ちる様が描かれているという違いである。

また、マクベスの精神的な苦悩が中心であるのと対照的に、リチャード3世では人間関係が中心に来ているように感じられる。

更に、リチャード3世では、非情な意思と行為が描かれているというのに、どこかユーモラスな印象を受けるのは私だけであろうか。この点でも、マクベスの徹底したシリアスさとは違うものがあるように感じる。このユーモラスな印象であるが、リチャード3世の話術によるところが大きい。巧みな話術をもって、リチャードに反感を持っている者たちをも丸め込んでいく。特に王位の周りに存在する女性たちは、リチャードの言葉に翻弄され続ける。前王妃、皇后など、女性たちの存在も物語にユーモラスな性格を与えているようである。

兄王の王子たちも機転が利いて話術にも優れており、温かみのある描写からは、抹殺される役回りながら、悲壮さをそれほど感じさせないものがある。とはいえ、幼い者の命を奪うのである。人の心を揺さぶらずにはおかない。歴史の本を紐解くと、二人の王子が抹殺される場面を描いた絵画が紹介されていたりするが、心に衝撃を与えるような事件であったことがこれからも確かめられる。


「リチャード3世」 岩波文庫 シェイクスピア著 木下順二訳
 


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