Steinbeck, "East of Eden" (エデンの東) 15 カレブ ありのままの自分

カレブは孤独であった。心を開いて話すアロンの周りには人が集まったが、人に警戒心を与えるカレブの周りに人はいなかった。それに、思春期に入ったカレブは、人間のありのままの事実、どろどろとした醜さをも含めたもの、と一人で立ち向かわなくてはならなかった。だからカレブはいつも孤独であった。理由もなく一人で夜の盛り場を歩き回り、真夜中遅くまで家に戻らなかった。だからといって、彼は不良とは違っていた。

あるとき、夜中に賭博場で大人達が賭博に興ずるのを眺めていて、警察の取り締まりの巻き添えを食って、留置場に一晩やっかいになった。翌朝、父親のアダムが引き取りに行ったが、自宅に戻った後もアダムは当然不機嫌で無口であった。

しかし、その時、カレブは父親から意外な事実を聞かされた。真面目なアダムが留置場に入ったことがあるという話であった。アダムは軍隊生活になじめなくて、脱走し、留置場に捕まったことがあった。カレブには、父親と自分との共通点が初めて見つかったような気がしてうれしかった。いつも孤独でいたカレブにとって、初めて父親との間に心が通った瞬間であった。
"I am glad I was in jail," said Cal.
"So am I. So am I." He laughed. "We've both been in jail --- we can talk together." A gaiety grew in him. "Maybe you can tell me what kind of a boy you are --- can you?"
"Yes, sir." (p.451)

(Calはカレブのこと。カレブとアダムの会話である。)

カレブには、大人達が陰で密かに話す母親キャシーの噂が少しずつ聞こえてきた。おぼろげではあるが、キャシーの姿が見えてきた。カレブは、キャシーの店の周りに行ってはキャシーの行動を見張った。キャシーが毎週決まったパターンで行動するのに気がつくと、後をつけて回った。

キャシーは、後をつける若い男の存在に気がつき、カレブが自分の息子であることを知らずに彼を待ち伏せて、問いただした。自分の息子であることがわかったキャシーは彼を自分の家に連れて行った。

カレブは自分の中にキャシーの血が流れていて、それ故に自分の中に悪しきものが存在していると考えていた。自分の悪しきものはキャシーのものを受け継いだものだと。それを確かめたくてキャシーのところに行ったのである。

しかし、カレブはキャシーと話すうちに、キャシーとカレブとは別のタイプの人間であることがわかった。カレブの中に存在する悪しきものは彼固有のものであって、キャシーの悪しきものとは別であることに気がついたのだった。
Cal said, "I was afraid I had you in me."
"You have," said Kate.
"No, I haven't. I'm my own. I don't have to be you."
"How do you know that?" she demanded.
"I just know. It just came to me whole. If I'm mean, it's my own mean." (p.462)

(Calはカレブのこと。Kateは、キャシーの偽名である。)
自分自身の悪であれば、それはカレブ自身によって克服できるはずである。旧約聖書のカインに神が与えた言葉、リーが読みほどいた言葉を思い出す。「道は開かれている」と。

人は自分にとって都合の良い事実しか受け取れないものであるが、カレブは自分の中の悪しきもの、現実のありのままを受け止めたのである。非常に感動的な場面の一つだと思う。カレブの強さ、カレブの心の独立、さらに普遍化して、人間の個性の独立のようなものを感じるのである。

人が善きものを求めるのは正しい姿だと思う。善きものを求めようともしないキャシーを描くことで、そのことが主張されているのではなかろうか。しかし、善きものだけでは人は生きられない。罪、悪しきものを背負わなくては人は生きられないのである。カインの話にあるように、罪は戸口に待っているのである。だから、善きものも悪しきものも全てを受け入れた上で、悪しきものを克服して善きものを求めて生きるべきではなかろうか。

カレブと両親との交流を通じて、カレブの中に良いものも悪いものも両方存在していることが暗示される。しかもそれらは彼自身のものである。カレブは、ありのままを受け止めて、生きていくことが出来た。カレブには人間の命が持つ力強さを感じる。

一方双子の兄弟アロンであるが、アロンの耳にも同じような噂が届いていたはずであるが、彼にはそれを受け止めたような形跡はなかった。彼は自分にとって都合の良いものしか受け入れない人間であった。彼は高校で優等生として勉学に励み、牧師となるべく大学に進むことになるが、美しいものや正しいものしかみようとしなかった。ありのままの事実を突きつけられたときに彼の悲劇が起きる。

"East of Eden", Penguin Books, John Steinbeck
 

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