Umberto Eco "The name of the rose" (ウンベルト・エーコ 「薔薇の名前」)

14世紀イタリアのある修道院にイギリス人William of Baskervilleという修道士が派遣された。Williamの目的は、神聖ローマ帝国皇帝とアビニョンにいる教皇の和解交渉の場を準備することであり、両者との中立性を理由に選ばれたその修道院で教皇側使節と事前交渉を行う使命を帯びていた。ところが、修道院に到着したときWilliamは失踪した馬について見事な推理を披露したことから、修道院内で直前に起きた若い修道士の不可解な死についての捜査を修道院長から依頼されたのである。Williamによる捜査は7日間に渡ったが、その間にも修道士が次々と命を落としていく。

Williamは、ドイツ人Adso of Melkという名の若き見習い修道士を伴っていたが、物語は後年Adsoがラテン語で羊皮紙に書き残したものを現代の著者が発見して翻訳したという設定になっている。Adsoは物語の中で重要な役を受け持っており、Williamでは近づきえない非聖職者や下層の民との自然な交流を物語に持ち込んでくれるのである。社会の下層に生まれキリスト教の異端派に属した者たちが宗教の名で社会に対して暴力をふるう姿や、すでに修道士という立場にありながら呪術を使う姿などが描かれていく。

修道院には荘厳な造りの図書館があった。三角形の窓、4つの塔、7角形や12角形がちりばめられた構造、それはキリスト教で重要視される、3(三位一体)、4(福音書)および3と4の和や積を表していた。幾何学的な美とともに神学的な意味を重ね合わせた完璧で荘厳な建造物である。

当時、化学・数学・哲学など先端の学問は、アラビアや古代ギリシャの文献からもたらされおり、修道士たちはアラビア語やギリシャ語からラテン語へ翻訳しながら写本していた。この修道院でもアラビア語やギリシャ語から最先端の学問が導入され知識が蓄積されていった。その写本蓄積はヨーロッパ世界に名を馳せており、各地から学問を志す修道士たちが集まってきていた。現実世界と同様に、この物語でも書物、図書館は重要な役割を果たしている。

Williamが調べてみると、死んだ修道士たちは写本作業に従事しており、そのうちの一人は奇妙な挿絵さえ書き残していた。修道院にある図書館に何か事件を解明する鍵が隠されていると思われたが、図書館の書庫は正副の図書館員2名以外には入ることを許されない規則で、特別な捜査を任命されたWilliamも同じく書庫への入室は禁じられた。夜には厳重に鍵がかけられ誰も入ることはできなかった。それは、修道士の死よりも図書館の秘密の方が修道院にとっては重要であることを暗示させた。この修道院は一体何を守ろうとしていたのか、修道士の命よりも優先しようとしたその秘密とは何なのか、それがこの物語の焦点となる。

さらに謎を深めたのが、被害にあった修道士たちはヨハネの黙示録に従って死んでいたことだった。誰が何の目的でわざわざヨハネの黙示録に従って人を殺していくのか。背後には何が隠されているのか。


Williamは図書館へ通じる秘密の通路を見つけ、Adsoとともに夜中に書庫へと忍び込む。書庫は完璧に作られた迷路であった。書庫は、多角形の形をした部屋に細かく分割されており、隣の部屋への扉は不規則に付けられ、後戻りすることも困難な造りだった。各部屋に置かれた写本はアルファベット順に並んでおらず、図書館員以外には写本の位置もわからない仕組みになっていた。書庫の中をさまよった二人が辿り着いたのは、湾曲した鏡に覆われた部屋だった。何かが隠されているように見えるが何も手がかりはつかめなかった。謎を解くには、まだ手がかりが不十分だった。


捜査が進展しない中、本来の目的である教皇側使節との会談が持たれた。皇帝側、教皇側ともに相手を信頼しておらず議論のための議論を重ねるが、そのような会談の様子は当時の皇帝と教皇の外交交渉や信頼関係を如実に窺わせるものとなっている。まさに権謀術数の限りを尽くして自らの生き残りを図らねばならない厳しい世界。マキャベリの君主論が真剣に書かれた背景を目の当たりにしたような気がした。


この物語では、中世ヨーロッパ世界の多様な対立関係が提示されている。皇帝と教皇の対立、
イタリアと他国との対立、信仰と異端の対峙、教皇庁と修道院派との対峙、豪奢と清貧の対峙、合理的精神と信仰との対峙、ラテン語と民衆の言葉との対峙、ラテン文化とアラビア文化、古典文化との対峙など複雑に絡み合い目も眩むような中世社会が読者の眼前に現出する。著者ウンベルト・エーコにして初めて復元できる技であると思う。

エーコの描く中世の中で最も目を引くのが写本による思想の世界である。荘厳という表現が相応しい図書館は、写本が納められた迷宮になっている。迷宮の奥には指導者から異端と見做された思想が隠されている。修道院を裏で操っているのも図書館に関係する人物である。何か中世思想世界を象徴しているようである。

中世知識人である修道士たちはラテン語を話したが、彼らは様々な国の出身者であった。Williamはイギリス人であり、近代科学の先駆者と言われるRoger Baconの教えを受けていた。彼もまた合理的精神の持ち主で鋭い観察眼と論理的な推理で事件を解決に導いていく。Williamの言動や、彼を通して現れるRoger Baconの影響には、後に続くルネサンス時代の合理的精神や人間中心主義の萌芽が垣間見られる。Williamは異端裁判の裁判官を務めていたが、信仰と異端の違いがわからなくなったという理由で裁判官を辞している。それは、我々現代人が異端裁判に対して疑問を抱くのと同じ思考方法だろうと思うが、ここにも新しい時代の合理的精神の萌芽が感じられるのである。また、Williamが代表するイギリス人は合理的精神の象徴でもある。

書物とは何か。単に知識を記録したものではない。思想、政治、宗教、文化、その他様々な人間的な歴史を背負って生き延びてきたもの、それが書物であることをこの物語は教えてくれる。


"The name of the rose", Umberto Eco





コメント

このブログの人気の投稿

フレイザー 「金枝篇」 ネミの祭司と神殺し

ヴォルテール 「カンディード」 自分の庭を耕すこと

安部公房 「デンドロカカリヤ」 意味の喪失