小林秀雄 「悲劇について」

ニーチェによればギリシャ悲劇に代表される悲劇こそは最高の人生肯定の形式であり、逆説的ではあるが、悲劇的に生きることこそ人生肯定の最高の生き方である。

悲劇は、人に何かが不足しているから起きるのではなく、人に何かが過剰であるからこそ起きるのである。人生は人が自身の力で動かすことのできない災いだとか不幸だとか死などに満ちている。人生を否定したり逃避したりして生きる者は悲劇人たりえない。嫌悪すべきことから逃げるのではなく、自身で全てを引き受けて肯定的に力強く生きる時、その人生は真の意味で悲劇的なものとなる。人生の充実があって初めて悲劇的に生きられる。

こうした運命の思想においてニーチェは、運命から目を逸らさないことを主張した以上に、運命を愛さなければならないという考えに到達した。

こうした生き方は合理的に説明がつくものではないのであり、直覚によって掴むしかない。そうであるからニーチェの思想は誤解され無視されるのかもしれない。

悲劇を観る者の感動は、人間の挫折や失敗に共感するところから生まれる。それは、悲劇の中で生じる挫折や失敗が必然のものであると感じるところにある。ここでいう必然とは、人間の自由や意志が存在しないという意味ではない。悲劇を観る者の中では、人間の挫折や失敗に外的な必然性が順応しているという感情を抱くのである。不幸も死も、そうあるべきと望まれたものとして受け取られる。自分自身の不幸を自ら創っていくということである。


「考えるヒント3」 文春文庫 小林秀雄著






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