ペトラルカ 「無知について」 人間中心主義へ

ペトラルカが活躍したのは、中世が終わろうとし、ルネサンスが芽吹き始めた時期である。ルネサンスの芽吹きの一つがペトラルカだと言っても過言では無い

中世ヨーロッパにはアリストテレスの著作が広く知られ、知識人にとって学問中の学問と云えばアリストテレスを基にしたスコラ哲学を指していた。彼ら中世知識人はアリストテレスを神を扱うように高い位置に置いて、アリストテレスを無批判に盲信していた。アリストテレスの名前だけ唱え、アリストテレスの考えから逸脱したことを話して自分でも気づかずにいるようなことさえあった。

ペトラルカは、早くからプラトンの著作を知り、プラトン哲学の素晴らしさを理解していた。プラトンを重んじ、アリストテレスを神のようには扱わないペトラルカは、当時の知識人から見れば、「無知」な人間であった。

ペトラルカは、友人4名に「無知」であると訴えられ、その反論のためにこの書簡を認(したた)めた。友人たちはベネチア市民であって大学で学問を修め知識人を標榜していたようだが、ペトラルカのような深い知性に裏打ちされた学識を持っていたわけでもなかった。ペトラルカの勝ち得ていた名声の点でも、彼らに望むは難しく、嫉妬を感じていたようで、ペトラルカを貶(おとし)めようとしたのがことの発端のようである。

ペトラルカは友人たちから訴えられた点について反論を書いたが、それは容易(たやす)いことであった。そうであるから、書簡は当初の目的である友人への反論を超え出て、知識とは知性とは何かと言う議論へと展開されて行く。ペトラルカの知性を目の当たりにできる。

ペトラルカは、アリストテレスを否定しているわけではなくその優秀性を認めさえしているが、神のような高い位置から降ろして他の思想と同等に批判的に吟味しようとしている。

アリストテレスは、徳は何であるかを定義し教えてくれるが、徳をなすべく学ぶ者の心を励まし燃え立たせてはくれないと、ペトラルカは言う。いくら知識が増えたとしても、意志も魂も元のままでは意味が無いのではないかと言うのである。

徳とはなにかを知っても、知ったその徳を愛さないなら、なんの役に立つでしょう。罪とはなにかを知っても、知ったその罪を憎まないなら、なんの役に立つでしょう。

知識中心、権威中心であった思想を人間中心に捉え直そうとする姿勢がそこには現れている。徳をなすべく心を励まし燃え立たせてくれる者として、彼はラテンの著者キケロ、セネカ、ヴェルギリウスを挙げている。実践的な文化であったローマを好んだのは、権威中心主義から人間中心主義へと大きく変わろうとする時代背景もあったのだろうか。次の言葉にもその姿勢が強く現れている。

善を意志することは、真理を知ることよりもすぐれています。

こうして書いて来るとペトラルカは人間中心の合理主義者に映るかもしれないが、彼はキリスト教の僧であり神を深く信仰し愛している。

神を知ることに時間をついやし、神を愛することについやさない人は、はるかにひどくまちがっています。
神を愛することはいかなる場合にもつねに幸福ですが、神を知ることはときとして不幸です。

合理的なもの、人間的なもの、人間の叡智を超えたもの、全てのものを受け止められる大きな精神活動を感じるのである。正にルネサンスの芽吹きに相応しい大きく深い知性だと思う。



「無知について」 岩波文庫 ペトラルカ著 近藤恒一訳






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