プルタルコス 「英雄伝」 賢人ソロン

古代ギリシャのアテナイ(アテネ)の政治家ソロン(紀元前639年頃~紀元前550年頃)は、賢者の誉れが高く七賢人に数え上げられており、またソロンの改革によってアテナイ発展の基礎を築いたことでも有名である。

アテナイ人はサラミス島をめぐってメガラ人と長期の困難な戦いを続け疲弊した結果、サラミス島の領有を主張することを禁ずる法律を定めていた。アテナイの人々が心のうちではメガラ人との戦いを欲しながら、法律の故に戦いを躊躇しているのを知ったソロンは、アテナイ市民を鼓舞する詩を作り、広場で気が触れたような素振りをして詩を暗唱した。アテナイの政治家ペイシストラトスが、ソロンの詩に聴き従うように促したため、アテナイ市民は、かの法律を廃止してソロンを指揮者に戴いてメガラ人との戦いを再開し、サラミス島を勝ち取った。ソロンがサラミス島を占領したことについては、逸話が残されている。ソロンの計略で、女性に扮装した若い男性でメガラ人兵士を呼び寄せ皆殺しにしたのだという。サラミス島占領には他にも説がある。事前にメガラ人の船を拿捕したソロンは、メガラ人の船にアテナイ人を乗り込ませ、陸上でアテナイとメガラ人が戦っている最中にメガラ人の船を相手の国へ向かわせメガラ市を占領したのだという。プルタルコスは後者の説を取っている。

その後もアテナイ人とメガラ人との戦いは続いたので、ラケダイモン人を仲介者に立てて、調停が行われた。調停の際に、ソロンはその知略を十分に発揮し、アテナイ人に有利に調停を終わらせた。調停の結果もさることながら、調停の際にギリシャ人全体に対してデルフォイの神殿のために意見を言ったことでソロンは称賛された。ソロンの主張とは、デルフォイを援けるべきであり、キュラの人々が神託の場で乱暴を働いているのを傍観してはならない、神のためにデルフォイを援けよ、というものであった。

キュロン事件の穢れという問題がアテナイ市を騒がせていた。貴族のキュロンが権力争奪を図ったが、ことは失敗に終わった。その後、キュロンと仲間がアテナイ女神を頼りに命乞いをした際に、アルコン(最高官職)のメガクレスは、キュロンに対してアクロポリスから下って裁判を受けるようにと説得した。それに応じてキュロンたちがアクロポリスの丘から畏敬すべき女神達の祠まで降ってきた時、メガクレスと同僚のアルコンたちは、キュロンたちを祠の中と外とで殺してしまったのである。それ以外、そのアルコンたちは穢れ者と呼ばれて忌み嫌われていた。また、キュロン一味の残った者や子孫と穢れ者と呼ばれるアルコンたちとの間で抗争が続いていた。

ソロンは、穢れ者たちに、名門出の300人からなる法廷で裁判を受けるように説得した。結果、穢れ者は有罪と決まり、生存者はアテナイ市から追放され、既に死亡して埋葬された者は死骸が掘り起こされ国境の外に投げ捨てられた。アテナイ市には、迷信から来た恐怖に包まれ、亡霊までが出るとされた。その際に、クレタからエピメニデスという賢人が呼ばれ、贖罪(しょくざい)と浄祓(きよめはらい)と神像の建立によって、全市を祓い清め、正義を尊び、前よりも協和へ向かいやすくした。

キュロンの騒ぎが収まると、アテナイは国政に関する党争や地域差による分裂が起こった。山地党の人々は民主的で、平野党の人々は寡頭的であった。海岸党の人々は中庸の混合政体を取り、他の2党のいずれかが優勢になるのも妨げるような動きをした。貧民と富者の間の不均衡は絶頂に達しアテナイ市は危険状態に陥っていて、この危険状態は僭主のような絶対権力が現れでもしない限り安定を取り戻すことはできないと思われていたほどであった。

そこで、アテナイ市の最も思慮に富んだ人々が、ソロンに目をつけ、ソロンに政治制度の改革を依頼した。それは、ソロンは最も賢き者であり富者と不正を供にしておらず貧者の窮境にも陥っておらず、誰にも片寄らない公平な改革がなしえると考えられたからである。「平等は戦いにならない」という言葉が人々の間に流れ、富者は社会的評価と地位によって、貧者は数によって平等を手に入れられると期待したのであった。アテナイ市の主だったものは、ソロンに僭主の地位を受託して改革を勧めるようにと促したが、ソロンは僭主制を避けた。

ソロンは僭主制は避けたが、改革においては有力者に譲歩することも、自分を選んだ者の機嫌を伺うこともしなかった。ソロンが最初に実行したのは重荷おろしと呼ばれた負債の帳消し政策であった。現存の借財を廃棄し、その後は身体を抵当にとっての貸し金を禁止した。この政策によって富者は契約が廃棄されて悲しんだが、貧者も土地の再分配や権利の平等を期待していたのに実行されなかったので不満を感じた。つまり、誰もが満足しなかった。

しかし、次第に人々はこの改革の利益を気がつき、ソロンを国政の立て直し役と立法者に任命した。そこで、ソロンは、殺人に関するものを除いて、ドラコンの法を全て廃止したが、それは、処罰が苛酷で大き過ぎたからである。というのも、ほとんどの罪に対して死刑という刑罰しかなかったのである。

次にソロンは、国政への参与の方法を改革した。国勢調査を行い、財産を調べて、財産に応じて身分を4つ、五百石級、騎士級、農民級、労働者に分けた。労働者は官職へ就くことは認められなかったが、民会に出て裁判に参加することは認められたが、労働者の裁判への参与は重要なこととなった。事件や係争は裁判に持ち込まれるので、裁判官は法律の主人となったわけである。

私は民衆に十分なだけの力を与え、
その名誉を損ないもせず、付け加えもしなかった。
権力があり富を羨まれる人々についても
私は不当の扱いをせぬように配慮した。
私は双方を力強い楯でかばって立ち、
どちらにも不当の勝利を許さなかった。

またさらに民衆の権利を守るために、誰か不当な目にあっている人のために訴訟をする権利を全てのアテナイ人へ与えた。

ソロンは、アレイオス・パゴス(アレオパゴス)評議会を設けて、アルコン職を終えた人たち(貴族階級)から選んだ。ソロンは、アレイオス・パゴス評議会が民衆よりも先に議事を審議して、予備的審議を経ない議題は民会へ出されないようにした。アレイオス・パゴス評議会を国政の監視者、法律の番人としたわけである。

ソロンの政策は、誰にも偏らなかったため誰もが満足せず、法律が発表されると人々は次々とソロンのところに来て法律への提言をした。ソロンはそれを避けて、10年間外国へと旅立った。この10年で人々が新しい法律に慣れることを期待したのである。


外遊の時期にあったソロンとクロイソスとの会見は有名である。この会見が事実であるかどうかは議論の余地があるにせよ、ソロンの正確によく適合しており、彼の偉大な精神と知恵に相応しい話を棄て去るのは賛成できないと、著者プルタルコスは述べている。

クロイソスは当時小アジアの西側に位置したリュディア(リディア)の王であり、イオニアにあるギリシャ人の都市を併合して行ったが、また莫大な富でも知られている。ソロンはクロイソス王に招かれてリュディアの都サルディスへと行ったが、クロイソスの宮殿で次々と広間を通るたびに王の重臣達が豪奢な服装をして数多くの供や護衛を連れて歩いているのを見て、その一人一人をクロイソス王かと思った。いよいよクロイソス王の前に出たとき、王は華麗を極めた服装をしていたが、王の期待に反してソロンは一向に感動した様子を見せなかった。ソロンは、王の悪趣味と卑小な精神とをさげすんでいたのである。

クロイソス王は、ソロンに対して、王よりも幸福な者を知っているかと尋ねた。ソロンはアテナイ市民のテュロスが幸福であると答えた。テュロスは善良な人で、評判の良い子供たちを残し、必要なものに事欠かない生涯を送った後、アテナイに武勲を立てて名誉の戦死をしたのであった。クロイソスは、人の幸福を富や権力で計らず、王の地位よりも庶民の生涯と死に方が気に入っていると話すソロンのことを変人だと考えた。クロイソス王は、更にもう一度自分よりも幸福な者を知っているかと尋ねたが、やはり同じようなクレオビスとビトンという者の名前が出てきた。これにはクロイソス王も腹を立て、自分を幸福な者と思わないのかと尋ねた。ソロンは次のように答えた。

リュディア人の王よ、神はギリシア人に対し万事に中庸であることを授けた賜うた。そしてこの中庸のお陰で我々には、王者風でも、華々しくもなく、慎重で民主的といえる一種の知恵が具わっておる。この知恵が人の一生には運命の転変のいかに激しいかを知っているので、現在の幸せに奢ることも、いずれは変化する時もあり得る他人の幸福に驚嘆することも許さない。我々にはわからない複雑な未来が何人をも襲って来るものであるから、運命が終わりまで繁栄を与えた者を我々は幸運と認めます。まだ存命で運命の危険に曝されている人を幸福というのは、競技の最中に勝利の判定を下し栄冠を与えるようなもので、不確実かつ無効であります。

しかし、ソロンは、クロイソス王の心を変えることはできなかった。

クロイソスは、その後、ペルシャのキュロス王との戦いに敗北し国を滅ぼし、自らは生け捕りにされてキュロス王の前で火炙りに処せられる事になった。薪の山に縛られたところで、クロイソスは「おおソロン」と3度大きな声で叫んだ。驚いたキュロス王は人を遣わして、絶体絶命の最中(さなか)に呼んだソロンとは一体何者なのか、神なのか英雄なのか、を問わせた。クロイソスは正直に何もかもを説明した。

この人はギリシアの賢人の一人で、私は彼を招いたが、それは彼の話を聞き、新知識を学ぶためではなく、当時の私の幸運の目撃者となり、その証人として帰ってもらうためであった。しかしこの幸運は、それを授かっているのがよかったというよりもその喪失の苦痛のほうが大きかった。幸運の続いた間、そのよさは人々の噂に上り、事実のように見えたのだが、その転変は現実に恐ろしい苦しみと癒しがたい不幸とをもたらした。あの人は当時の状態から今日のことを予言し、人生の終末を考慮すべきで不確実な予測に立って気が大きくなり傲り高ぶってはならないと勧告したのであった。

キュロス王は聡明であったので、ソロンの忠告の意味を理解し、またクロイソスの実例によって証明されていることも見たので、クロイソスを放免して残りの人生の面倒を見た。こうして、ソロンは、二人の王のうち一人の生命を救い一人を教えたことにより、その名を高めたのである。


「プルタルコス英雄伝(上)」 ちくま学芸文庫 プルタルコス著 村川堅太郎編 安野光雅装丁

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